194 表題はこの世に存在しない造語である。言わずと知れたみなさんもご存知の「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」をモジッタ。別にどういう意味か書かなくても、おわかりだと思うのであえてかきませんけど、人間生活する上で座れば半畳、寝りゃあ畳一枚、一日で食べる米の量はそんだけあればそれで、事足りる。である。
清貧の真髄を表しているのですが、私は敢えて、立って一升マスを付け加えた。座って寝てばかりではないのだ。眠って8時間、自分の生活に8時間、働いて8時間。この繰り返しが人間の生活。しかし、人間は、ほとんどの生活では立って動いている。ただ動いている意味ではない。そこには社会的な意味での生活と言うものもあるのではないか?と思ったのである。気をつけすれば、そのスペースがあれば立てる。この立つ~と言う意味を付け加える必要性が現代には存在するような気がしてならないのだ。
学校では、団体生活というものもあろうし、社会では社会的な関わりの中で生活している~規範と言うものの中にも、身を置いているのだ。人間少なからず色々な次元で生活している意味を捉えねばならないと思う。空間としてだけでこの諺を記しているのではない事は重々、理解している。が現代ではそぐわなくなっているのではないか?そんな思いで今日は認め(したため)ました。
今朝は雨が滴っております。傘を差して出掛けねばなりません。これが大儀なのである。歩く空間が暗い。朝なのに暗い。これが嫌なのである。みなさんの地方も梅雨前線が近づくに連れ、嫌な気分になる~それと一緒です。
今日は明日からの大会に向けた、事前申し込み受付が弘前観光館で行われます。私は裏方の徹する一日になるので体力勝負です。雨が邪魔してくれなければいいのですが。へばへば!