カテゴリ:ひとり言
母が亡くなって早8年。
母は元気なかわいい人だった。 母の冗談でいつも食卓は賑やかだった。 そんな母の目が突然見えなくなった。 視力のいいのが自慢の人だったのに・・・・。 原因は『糖尿病』。 それまでに糖尿病であることはわかっていたんだけど、医者の言う言葉に母は軽く考えていた。 通院するのが面倒だと、ろくろく市民検診にも行かない有様だった。 突然の失明。 それが原因で母は、うつ病になってしまった。 自分で何一つ満足に出来ない、見えないくらいなら死んだ方がましだ。 繰り返す自殺未遂、不眠、ついには食事も摂らなくなった。 精神科へ通う日々。 とんとんを産んだ直後の私、離れて住んでる姉も1歳の末っ子を抱えていたし、弟は仕事の出向で広島へ行っていた。 父は母の看病でボロボロだった。 私たちはついに母を病院に入院させることにした。 その頃母は自殺をしようと包丁を隠し持っていたり、階段の踊り場を乗り越えようとしたり、目の離せないことが多かった母に、病院側は母に拘束衣を着せていた。 病院でも、タオルをベットにくくりつけ首を吊ろうとしていたらしい。 そして1ヶ月弱経った時、突然母がベットから落ちて足の付け根を骨折した。 足腰も弱くなってた母だけど、どうしてベットから落ちたのかよくわからなかった。 始めに入院していた病院は精神科が主だったため、整形外科のある病院に転院したのだけど、母はその病院で亡くなった。 初めは普通に意識のあった母なのに、突然意識がなくなって痙攣の発作を起こしたと言う。 それからの母は、意識があるのかないのかわからない状態になってしまった。 突然痙攣を起こしたという原因。 確かに母は糖尿病だけど、満足に食事を摂ってなかった母に血糖値の下がるお薬を与えていたんじゃないかということだった。 意識が朦朧とし始めて2ヵ月後に母は肺炎で亡くなった・・・・。 亡くなった直後、父も私もボロボロだった。 『やっと母は自分が望んでた死を迎えることができたんだ』と思おうとしていた。 確かに母に死には疑問がたくさんあった。 ただ、それを追求するだけの精神力がなかった。 いや、なかった訳ではない。 それでも一時父は、母の死を追求しようと弁護士に相談した。 やはり、医療ミスの裁判は難しいらしく、母の場合は余計に難しいと言われ父はその場で断念した。 だから、母の死は当然だった、母の望みだった、とすることで母の死を誤魔化した。 あれから8年。 母は死を望んでいたわけではない。 母の死は当然なんかじゃない。 母はもっと生きたかったに違いない。 誰が母を殺したんだ? 今さら言っても遅いんだけどね。 今、天国にいる母は死の原因の追究なんて望んでいない、とはっきり思うのは確かだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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