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月のひかり★の部屋

月のひかり★の部屋

短篇小説 (11)引き籠り

          
 (11)引き籠り  2006.04.01


部屋の隅の飾り棚の上に置いてある三角の形をした細長いビンに午後の薄い光が射して、まるで仄かに明かりが灯ったようにこちらから見えている。
綺麗な緑色をした藻がいつの間にか増え拡がって、ビンの上の方の3分の1ぐらいを占領しているが、肝心の魚の姿は見えない。
本当なら薄暗い藻の隙間を自由自在に銀色の鱗を光らせ、体をくねらせながら1尾の小さな魚が泳ぎ廻っている筈なのであるが・・・
実は最初、魚は2尾いたのだった。
魚が何という名前であるのかは知らない。
或いは「めだか」かもしれないが、「めだか」が一体どんな姿をしているのか知らないので、はっきりとしたことは判らない。
しかし、そんなことはこの際、どちらでも良いことである。

もう、かれこれ4年ぐらい前のことになるだろう。
その頃は自分が生まれてからこの方、一度たりとも経験したことも無いような辛い日々が続いていた。
もう、今ではすでに済んでしまったことなので、思い出したくもないが・・
いっそ、その頃の全ての記憶を綺麗に消し去ってしまいたいと思うほどである。
「忘れる」ということが、人間にとってマイナスにだけなるものでは無いことを、私はそのことがあって初めて本当に判ったような気がする。
もしも、人間の脳が「忘れる」ということをしなかったとしたら、恐らく誰も人生を長く行き続けることは不可能であるに違いない。

或る日、裁判所からの帰り道に、電車に乗るために駅前にあるスーパーの中を通り過ぎて行く途中、花屋の店頭でふと、それが並んでいるのを見付けたのだった。
ジャムの入れ物くらいの大きさの透明なビンの中を、よく注意して見なければ見えない程微かで儚げな生き物が泳ぎ廻っていた。
「まぁ!可愛い!何て素敵なの!」
私はその時一もニもなく、即座にその生き物を買う決心をしてしまった。
今から思えばきっとその時、何か可愛いものでも買わなければ、前にどうしても進んで行けないような心の状態になっていたのだろう。
1尾だけならば淋しいだろうと思って、2尾を買って同じ入れ物の中に一緒に入れて貰って持って帰って来た。
新しい住まいとして与えられた透明のガラス瓶の中で、2尾の魚達はどちらも元気にいきいきと幸せそうに泳ぎ廻っていた。
「めだかの餌」を買って来て、一つまみ入れてあげると、どちらもパクパクとよく食べて食欲も旺盛であった。
透き通るような流線型の銀色の体側には、じっとよく見ると、まるで童話の国の海のような青い色の線が描かれてあって、小さいながらもどちらも実にスマートで綺麗な姿なので、幾ら見ていても飽きなかった。

ところが間もなく意外なことが起きた。
大きい方の魚が小さい方の魚をいじめ始めたのである。
初めはただ、からかって遊んでいるだけかと思っていたが、よく見ていると
餌をあげる度に、大きい方の魚は小さい方の魚にどうしても食べさせたくないと思っている風で、何度も突進して行っては小さな魚の体を突付きまわして明らかに嫌がらせをしているのが判った。
小さな魚はただ、ただ逃げ回るばかりであったが、終にはビンの底の隅にうずくまったまま、じっと我慢をしているという風で、後から大きな方の食べ残したのをこっそりと食べなければならない状態であった。
私は大きい方の魚が憎らしくなって、ビンの外側をコツコツと爪で弾いては何とか、いじめを阻止しょうとしたのであったが、効果は全く無く、ずっと毎日当たり前のようにいじめは続いた。
「どうしてもっと優しくしてあげられないの?人間という生き物なら喧嘩もよくするし、戦争もよくするけれど、あなた達までがそんな風だなんて困ったものね・・」
ところが、間もなくまた意外なことが起きた。
或る朝、大きい方の魚が死んで水面に浮き上がっていることに気が付いたのである。
原因はいったい何なのかよく判らない。
突然の出来事だった。
(意地悪ばかりしていたから当然の成り行きだわ・・)と思ったが、死んだとなると、例えそうであってもやはり可哀想で、涙が出た。

それから以後、小さい魚はビンの中でたった1尾で暮らして行かなければならなくなったが、淋しそうな素振りも見せず、毎日悠々とあちこち泳ぎ廻って
幸せそうだった。
時々水を入れ替えたり、ビンの内側に生えた苔を拭き取ったりして掃除をしてあげることがあっても決して人間である私に馴染もうとはしないので、(このお魚はどこまでも野生のままでいたいのだなぁ・・)と思っていた。
ひと月ほど前ぐらいから急に寒さが厳しくなるにつれて、次第に魚はビンの下の方ばかりで過ごすことが多くなって餌をあげても興味も示さず上に上がって来ようともしなかった。
終に、どこに行ったのか姿が見えないようになってしまって、私をとても慌てさせた。
(いったいどこにいるのかしら?)と、ビンの中を注意深くあちこちよく探して見ると、何と底に敷いてある砂利の中に潜り込んで隠れているではないか!
(昨年も一昨年も冬眠なんかしたことがなかったのに、この冬に限って一体どういうことなの?)と思ったが、
(まぁ、無事に生きていたので良かったわ!)といったんは胸を撫で下ろした。
ビンの外側をコツコツと爪で弾くと、ピクピクと微かに体を震わせていた。
しかし、もし仮に自分の命の最期が近付いていることを知っていて、このまま誰にも最期を見られないようにと思っているのだとしたら・・
最期まで妥協などしないで野生のままで自分の命を終えようという意志があるのだとすれば、
(何と潔い生き方だろう!立派だわ!)
と感心する。
小さな生き物だからと言って決して侮ったりなんか出来ない。

それに較べると私なんて・・

実は私って2.3日前から自分の部屋に引き籠りをしている最中なのである。
人間というものにすっかり失望したという至って月並みな理由で・・
他の人だけではなく自分自身もその中に含まれていることを忘れてはならない。
もしかすると私は他の誰よりも自分自身に失望したのかもしれない。
日常生活をあまり頑張り過ぎたので、疲れたのかもしれない。
風邪も引いていたので食欲が湧かず、それで食べられなかったのかもしれない。
道理で少しずつ空腹になってきた。
「そろそろ起きたらどうなんや!今晩は食事の用意出来るのんか!」
「はぁい、そろそろ起きよと思っているところです!」

あのビンの中にいるお魚のように誰とも妥協しないで生きる勇気など全くない私である以上は、やっぱり隣人とは仲良くした方が良いに決まっていますものね。
当たり前ですね。  
          
(了)











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