あんみつの音らく

2012/09/07(金)09:19

自分の授業と日本の着付けとのコネクション

アカデミア(13)

うひょー、疲れ気味です。 この8月から、「アイデンティティーと美学:ジュダイズムの場合」という授業を教えています。 「アイデンティティー」なんていうと、くそ難しい言葉で、それだけで1年間くらい授業ができますが、簡単にいうと「わたしは誰?」という問いだと言い換えてもいいと思います。 この授業では、人が「私とは・・・である」というに至るまでのプロセスに焦点を当てています。 たとえば、 「私は、日本人です。」 と言った時、「日本人」の内容は人によって、まったく違いますよねー。 ある人によっては、お米を食べることだったり、着物を着ることだったり、黒髪だったり、テクノロジーを使いこなすことだったり、ないしはお母さんとお父さんが日本人だから私も日本人ー、と 「日本人」に至るまでのプロセス、それから「日本人」の内容も千差万別です。 これを、ちょっと広げてみると、人種や、民族、文化など色々な問題に関わってきます。 「私の両親はアメリカ人ですが、私は寿司好きの日本人です。」 と、金髪の白人のおねえちゃんが言ったとしましょう。 即座に、金髪の白人のおねえちゃんは、周りから様々なカテゴリーにいれられて、品定めされることになります。 「いやいや、彼女は白人じゃないか。両親がアメリカ人なら、彼女もアメリカ人だろう。」 「いやいや、彼女自身、自分で「日本人」と言ってるじゃないかー。日本人だろう。」 「彼女は寿司が好きなんだ。日本人だ。」 ・・・というように、彼女自身の思惑から離れて、どんどんこのおねえちゃん像が作られていきます。 私達の世界では、常に 「自分は◯◯です」という自己宣言と、 「自分は◯◯と思われています」という他人からの評価がぶつかりあっています。 しかも、おもしろいことに、その「自分は◯◯です」という自己宣言は、 必ずしも自分自身の中から自然発生的に現れてきたものではありません。 自分がある種の出来事に参加しながら、少しずつ自身のなかで創りあげてきたものでもあります。 また、「自分は◯◯です。」という表現も、どこでそれを言うのかという時代や場によって、 様々に意味が変わってきてしまいます。 「自分は日本人です。」と現代日本でいうのと、戦時中の日本でいうのと、現代アメリカでいうのと、戦時中のアメリカでいうのと、同じ言葉でもまったく異なる意味を帯びてきます。 これを、私の授業では「ユダヤ・アイデンティティー」との関係の中で見ていくことを目指しています。 ・・・と書くと、「ユダヤ・アイデンティティーって何?」「ユダヤ人って誰?」という質問が来そうですが、授業ではこの問いの変わりに、 「一体人々はどうやって、「ユダヤ」というアイデンティティーをつくっているのか」 「なぜ、人々はそんなことしているのか?」 という例をたくさんみています。 生徒の大半は「私はユダヤ人です。」と自分を説明する人がほとんど。 で、自分の「ユダヤ人です」と他人の「ユダヤ人です」は、一緒であると信じ込んでいる人がほとんどです。 「私は生まれた時からユダヤ人で、ユダヤ・キャンプに参加して、ユダヤ寄宿舎で青春をすごしたんです。それ以上の何が言えるんですか?」 と、いう女の子。 授業では、 「なるほど。では、少しちょっと一歩さがって、あなたにとって「ユダヤ人です」ということは何を意味をするのか、ちょっと考えてみましょう。生まれた時からユダヤ人といいましたね?ということは、あなたにとって「ユダヤ的」を定義するのには、「血統」が重要な決め手になっているということですね?」 「ユダヤキャンプや寄宿舎で過ごす・・・つまり、文化的・宗教的活動が、あなたの「ユダヤ的」を決定するのに重要なきめてになっているということですね?」 と、少しずつ分析しています。 この作業を通して、「あたりまえ」に思えることが、実は「あたりまえ」に存在するのではなく、 どこかで形成されてきたものかもしれない、ということが見えてくるはずなんです。 クラスの大半がこの「気づき」のプロセスに徐々に入ってきたところですが、約2,3名の生徒は、 「私はユダヤ人だし、生まれた時からそう。わたしにとってはあたりまえのこと。」 というところから抜けだせずにいます。 この18歳くらいの子供たちをみながら、ふと着付け教室にとらわれている人達のことを思い出してしまいました。 「着物・着付けとはかくあるべき」 とか 「着物をこうきるのがあたりまえ。」 と言っている人たちは、そこから抜け出すのには少々の覚悟がいりそうです。 もしかすると人生をひっくり返すような出来事になってしまうかもしれません。 「私の母も着付けスクールで習ったし、私も着付けスクールでこうするように習ったので、 これが正しいありかたです。」 というところから、 「着物という衣服に対するアプローチは、他にもあるんじゃないだろうか」 と移動するのが難しいひとたち。 私の生徒の 「ユダヤ人であるということは、こういうことです。」 というところから 「ユダヤ的ということを考えるには、もっと色々な視点があるんじゃないだろうか。」 とい移動するのかできない子供たち。 この両者が私の頭の中でどうもダブります。 普段の生活ならほっておきますが、授業。 子供たちに、いい意味でのショックを与える必要があるのですが、それをどうすればいいのかは、 なかなか難しいところです。 一人の歯科医をめざすE君が授業の後にやってきました。 「この授業は最初、ユダヤ人について学ぶものだと思っていましたが、実は、そうじゃなくてユダヤという事例をもとに、人々がどうアイデンティティーを形成しているのかについて学ぶ授業だったんですね!今まで、ユダヤ人としての自分に関わる自分史のなかで、もやもやしたものがありましたが、それが徐々に溶けていくようです。」 同じ教室内に、ばーっと急に視野が広がって感動していくひともいれば、 この日本人は、ちっともユダヤの話をしないじゃないか!と、いう態度の生徒もいます。 私は、誰が何をどう考えようと気に留めませんが、 もしかしたら、色々な引き出しが多いほど、人はより多くの「気づき」に出会えるのかもしれませんね。 それが喜びなのか、重荷なのか、私にはなんとも言えません。 ただし、引き出しが少ないと、うっかり丸め込まれてしまう危険性が高くなるような気がします。 一歩出るのではなく、一歩下がる勇気。 こういう勇気もたまには必要じゃないでしょうかね。

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