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あいすまん

あいすまん

詩んぺん1・2

詩んぺん①
宮城隆尋周辺の詩の情報と
沖縄県内詩壇の出来事
《第一回》
宮城隆尋
【四月】
詩のボクシング第一回沖縄大会が四月五・六日、沖縄市民小劇場あしびなーにて開催された。日本朗読ボクシング協会会長の楠かつのり氏が来県し、審査員に加わった。参加者は、私、沖縄国際大学文芸部から五人、那覇市与儀のフリースクールから十代の面々が五人ほど、高校教師や主婦など様々で、十六歳から六十代まで計十七名。本選では第一回全国大会(二〇〇一年)優勝者の若林真理子を思わせる繊細な感性と巧みさを見せた最年少参加者の諸矢ひろ氏が優勝。だが、谷川俊太郎とねじめ正一の激闘をNHKで観戦した私には、今回の大会はエンターテイメントであったそれとは全く別で、教育的な意味合いが強いものに見えた。予選でのフリースクールからの参加者への楠氏のアドバイスに、もっと自分の日常や体験を描いて欲しいというような言葉があったことを記憶している。新人発掘、または詩の裾野を広げるという意味で既存の現代詩の評価基準から距離をおいていることを、仮にも文学の周縁にいる沖国大文芸部員が一人を除いて早々と敗退したことが物語っているのではないか。
 沖国大文芸部は三月三十一日に「月刊 偽パンダつうしん」第二十二号を発行。編集はゆう氏。しかし、表紙絵が貧相で、無駄な余白があるなど編集面で甘さが残る。作品の内実にしても、巻頭に詩二篇が掲載されている九条岬氏は猟奇趣味からの脱却が見えない。ゆう氏の詩「おべんきょう(2時間目)」も急進右派的な主張自体に真新しさがないのは致し方ないにしても、詩としての描き方に工夫が見られず魅力に欠ける。両氏とも作品から作者の姿が見えづらく、現代の若者が共通して抱える、切実な自己に出会うことの困難さを体現しているように見える。また、三月十日発行の同部の「沖国大文学」第五号は「琉球新報」の「新報文芸」(浦田義和氏)で好意的に評されていた。
 「潮流詩派」一九四号には県内からは宮城松隆氏「徒花」、山入端利子氏「ソテツと私」、神谷毅氏「悪魔は魅力的な顔をしている」の三篇が寄せられている。
「キジムナー通信」第十八号は宮城松隆氏が詩と論考を、宮城隆尋が詩を掲載。宮城松隆氏「錯乱」は時事的な社会問題を扱ったとも読めるし、普遍的な人間心理を描いたとも読める。共時性と通時性のリンクする場所を切り取った作品であると思う。
 「沖縄タイムス」紙上で山之口貘生誕百年を記念し、山之口貘の詩を連載する「貘のおくりもの」が開始。あわせてリレーエッセイ形式の「わたしのバクさん」も連載開始。第一回は第二回山之口貘賞受賞者の船越義彰氏。以降宮城隆尋、歌手の大工哲弘氏と続いた。
 同紙連載の「詩時評〈県内〉」は今月から石垣市在住で第九回山之口貘賞、第三回小野十三郎賞受賞者、八重洋一郎氏が担当。氏は各作品に丁寧に注文をつけており、私の最後の参加となった「沖国大文学」第五号を評された身としてもありがたい。しかし、ひとつ反論したい点は、氏が「沖国大文学」の作者らに対して指摘した筆名の問題。従来の筆名のような「苗字・名前」という人名の基本に則っていない「ケモリン」や「MVCH‐29019」などに対し、〈いつでも逃げられる〉とする八重氏は、彼らの筆名をただ本名を明かしたくないためにつけたどうでもいい名前であるというふうに受け取ったのかもしれない。しかし、こういった名前はインターネット上のハンドルネームに見られるような現代的な感覚の表れであり、琉球新報短編小説賞を受賞したてふてふP氏の例もあるように、字面だけでは決して逃げの姿勢とは言い切れないのだ。特に沖国大文芸部の場合は、誌面の充実を鑑ると逃げではないと言える。今回の第五号は特集を三つ組み、二八四頁という分量。明確な企画意識をもち、これだけの分量の冊子を年二回刊行している文芸団体は県内にも数えるほどしかないのではないか。全国の大学文芸部を見ても、わたしの知っている限り(四十団体ほど)では、ひとつもない。このような意欲的な活動を展開するにはそれなりの時間や資金、労力が必要となる。生半可な気持ちでは継続できない。部員として初めて作品を発表して以来、筆名を変更した者は一人もいないという事実も逃げの姿勢でないことを表している。とはいえ、指摘を行う厳しい眼は八重氏の言う〈本質的な批評〉に不可欠なものであると思うので、八重氏の姿勢は一貫しており、今後も質の高い批評を期待したい。時評ではほかに「貘のおくりもの」、比嘉加津夫氏らの「脈」第六十七号、高良勉詩集『絶対零度の近く』、高橋渉二氏の「現代詩図鑑」に触れている。


【五月】
第二十六回山之口貘賞の応募要項が「琉球新報」に掲載された。吉増剛三氏に代わって天沢退二郎氏が新たな選者となった。同賞は新人賞ではないが、世代間の隔絶の大きい県内詩壇においては、活きのいい新人の登場が望まれるところだ。また、同紙上でも山之口貘生誕百周年企画「山之口貘は今」が五月十五日から連載を開始した。こちらは山之口貘賞受賞者による執筆。初回は第一回受賞者の岸本マチ子氏と第二十二回受賞者の宮城隆尋。第二回は八重洋一郎氏と大瀬孝和氏。第三回は中里友豪氏と佐藤洋子氏と続いた。なかでも中里氏の、生活詩の良さに気づいたのは子を持ち家庭を持ってから、というのは実感のこもった言葉だ。また、読み方が変わると違った魅力が見えてくるというのは、山之口貘の詩が持つ様々な鑑賞に堪えうる普遍性を裏付けていると思う。
「沖縄タイムス」連載の「わたしのバクさん」は、第二十八回新沖縄文学賞受賞者の金城真悠氏が貘の詩との出会いを語り、以降、文学に長く携わる立場からウチナーグチと標準語という言葉の問題に斬り込んだ作家の大城立裕氏、元新聞記者の久手堅憲田氏、貘の詩を教材化した教師達について述べた国語教師の玉城洋子氏、編集者の野上龍彦氏と続いた。
 また、同紙の五月二十六日夕刊に美里工業高校演劇同好会が行っているという校内放送での山之口貘の詩の朗読が紹介された。週二回、朝の空き時間に同好会員が全校生徒に向けて朗読するという。〈国語担当教師と生徒が話し合〉って実施が決まったとのこと。テレビや情報誌や漫画などの消費財としての情報に追い立てられる現代の若者は、それらが中央から直接届けられる情報であるために、郷土の文化に触れる機会が少ない。そういった若者のためにも、また詩の裾野を広げるためにも、教育現場でのこういう地道なとりくみは評価されて然りであると思う。
 沖縄国際大学文芸部は今月も「偽パンダつうしん」第二十三号を発行している。編集は葵氏。ウチマタ氏の「最果ての恋」は片思いを地球と月の関係に投影した作。〈抑えきれない思いが私の身を砕き(略)銀の雨となって降り注ぐ〉といった部分は、衛星は近づきすぎると母星の引力によって潰れ、土星の輪のように粉々になって公転を続けるという知識に裏付けられていると思われるが、全体的には感傷的な独白が多分に見られ、月と地球の関係性についての理解が不足しているためであろうか、それを人間関係に投影することの利点を活かせていない歯がゆい作だった。誌面構成としては特集を二つ組み、企画意識に富んでいる。詩のボクシング沖縄大会総括特集でのケモリン氏の「総評」は、今大会を〈まさに予想通りの展開〉として、〈朗読のスタイルのみを評価しているように見え〉たという審査基準に疑問を呈し、「自作詩」「朗読のスタイル」という自由が〈敗北にしかつながっていない〉のでは〈何も生み出さない減点方式のコンクールへ進んでいくだけ〉と評している。
 石川為丸氏の「クィクィ通信」№十は五月六日発行。氏が担当した「詩時評〈県内〉」の十五ヵ月分をまとめて「特集 沖縄の現代詩 時評」とし、関連して氏のホームページにアップされている文章の転載もあり、明確な批判精神に貫かれている。
 八重洋一郎氏の「沖縄タイムス」連載「詩時評〈県内〉」、今月は『うらそえ文芸』第8号について、星雅彦氏や田中眞人氏らの詩句を引いて評されている。
また、五月十日に詩人の高良松一氏が急逝した。五月二十二日の「琉球新報」文化面に星雅彦氏が追悼文を寄せている。ご冥福を祈る。合掌。


【六月】
高良勉詩集『絶対零度の近く』出版祝賀会が十三日に那覇市の青年会館で行われた。高良氏と同じ山之口貘賞受賞詩人をはじめ、又吉栄喜氏や喜納昌吉氏など各界から多くの出席者が集まり、盛会に催された。佐々木薫氏や桐野繁氏が『絶対零度の近く』から数編を朗読したり、琉球舞踊なども披露された。『絶対零度の近く』は二〇〇二年十月十日思潮社より発行。高良氏がフィリピン留学を終えて帰国後に受けたカルチャーショックと、脊椎骨折の事故を契機に陥った自律神経失調、その「絶対零度の近く」からの回復が二〇篇の詩でつづられている。台所で腐らせてしまったナベの中から聞こえる〈キチ キチ〉という不気味な〈ウジ虫が腐肉を喰う〉音から、〈砲弾でえぐられた/父の肩や耳の肉を〉ウジが食っていたという〈母が語っていた/戦争の記憶〉を想起する「ナベ」や、出勤時に元栓を締めたか気になり何度も家へ戻る「ガスコンロ」など、生活の様々な場面で直面する氏の精神的な衰弱ぶりが描かれる。それは「あの音」での〈今まで書いてきた詩や評論が/何になる〉という、何らかの表現活動をする人間が抱きがちな、自分が選んだ表現媒体への信仰、その揺らぎが表出するフレーズに最も色濃く表れている。氏を詩人でなくひとりの生活人として考えるなら、「中央線」で描かれる〈坊やの声〉によって自殺を思いとどまるさまなどにわたしは安心してしまうのだが、詩人としての死に直面したかということを考えれば、「あの音」に見られるような詩への信仰の揺らぎをもっと描いてほしかったように思う。そうすれば「復活」での〈もう一度この宇宙に/名前を付ける/ふるえる私の言葉で〉というフレーズがもっと効果的に読み手のカタルシスを喚起しうるのでは。また、氏の詩は難解な表現を避けようとしているように見え、その点では現代詩の陥穽に対して距離を取ろうとするスタンスが見て取れて、学ぶべきところが多いように思う。「告白」のダイアローグなどは、深刻な問題に直面している自己に埋没せずに突き放していて、どこか茶目っ気があって良かった。
山之口貘賞応募詩集は八冊。窪田洋子氏や与那嶺千枝子氏など全国的な詩誌で目にしたことのある名前や、結城万成氏や親川早苗氏など過去の山之口貘賞応募者として目にしたことのある名前が並ぶ反面、平川良栄氏など聞き覚えのない名前も。新人は大いに歓迎すべきであろう。沖国大文芸部から応募の伊波泰志や松永朋哉がどこまで食い下がれるか楽しみである。
八重洋一郎氏の「詩時評〈県内〉六月」は二十八日。『現代詩図鑑』所収の高橋渉二氏の詩「波頭ダイヤル」を〈沖縄と他者とのスリリングな出会いの言葉〉と評価していたが、冒頭に語られる、正月前に庭一面に砂をまくという沖縄古来の風習も興味深い。那覇生れでテレビ・漫画育ちの私にはエキゾチックな情景に映る。また、高橋氏の「波頭~」は『現代詩手帖』七月号の「詩誌月評」でも取り上げられていた。
「山之口貘は今」は、五日の第四回は花田英三氏と市原千佳子氏、以降高良勉氏と仲川文子氏、船越義彰氏と佐々木薫氏と続く。二十六日は休載。花田英三氏は「思弁のプロセスを書くことこそが詩」と題し、貘は〈自分の詩に好んで思弁的な題を付けている〉として「論旨」「数学」などをあげ、〈思弁のおかしさに敏感だった〉が、〈この種の魅力は日本では孤立しがち〉としている。花田氏が好きなのは〈思弁が行き場を失ってうろうろしているような詩〉として、妻が立ちふさがる「結婚」、〈戦後の沖縄風景〉が立ちふさがる「島での話」をあげている。独自の基準をもって評価していて面白い。貘賞受賞者が連載することの意義は、詩に深く携わってきたという利点を活かし、専門的な観点から独自の評価ができることにあると思うからだ。
「わたしのバクさん」、六日の第九回は編集者の西江慶子氏、以降俳人の野ざらし延男氏、十三日と二十七日は休載のようだ。こちらの連載は「山之口貘は今」との編集スタンスの違いが執筆者の人選に表れている。いわば詩壇の外側から光を当てていこうという方向性が見て取れる。これは、俳句の世界や教育界などの貘受容のあり方といった、恐らくこれまで埋もれがちだったろう貘周辺の事実を掘り起こすという意味で価値のある方針だと思う。
沖国大文芸部の「偽パンダつうしん」第二十四号は伊波泰志編集。特別な企画などはないが、ジャンルのバランスに気が配られており、ケアレスミスのない編集に意識の高さがみてとれる。題字が縦書きなのは新鮮でいい。表紙を飾った伊波の俳句「五月の日記」では、〈ぱらぱらぱら気まぐれ梅雨のスタートダッシュ〉が梅雨でもスコールと見まがうような降り方をする沖縄の気候を端的に表している。
また、勉誠出版から『沖縄文学選』が五月一日に発行されている。大学の講義で使用するテキストを目指して作成されたということだが、詩では清田政信、上原紀善など、戦後の詩人が登場している。これまで教科書系の書物には山之口貘以外の詩人が登場しているのを見たことがないので、沖縄の戦後詩の多様性を示す意味で良いことと思う。

「あいすまん」4号(2003年10月10日発行)掲載


詩んぺん②
宮城隆尋周辺の詩の情報と
沖縄県内詩壇の出来事
《第二回》
宮城隆尋
【七月】
第二十六回山之口貘賞は松永朋哉詩集『月夜の子守唄』に決定した。二十一歳。平均年齢六〇歳(『沖縄文芸年鑑』「沖縄・奄美文芸関係者人名録」で「活動項目」の欄に「詩」とある者の平均)の県内詩壇に、新たな風を吹き込む可能性に満ちた意義深い受賞であると思う。
選考委員の評価としては、知念榮喜氏が「優雅でやさしい」と、花田英三氏が「一瞬のひらめきの凝縮力がある」と受賞決定時のコメントとして述べていた。選評を見ると、花田氏のもので天沢氏が松永を、知念氏は伊波泰志『柱のない家』を、花田氏は平川良栄『独白』を推したことが明記されていた。受賞作を推した天沢氏の選評では、「主題としては、事あるごとに『私』にたちもどるところが、一種自己回帰的と見えるが、これも逆に、一冊の詩集を引き締める自己対象化の手綱と考えられよう」と述べられている。
私としては、同詩集所収の二十篇を概観するに、玉石混淆の感が強い。詳しくは稿を改めるが、「夢の記憶」は普遍性を得た稀有な作品であると思うし、「ジャメ・ヴュ」も時の流れに埋没しがちな感慨を掬い上げる眼力を感じる。「並木道」の真摯な問いかけには詩の書き手としての可能性を見た。しかし、表題作「月夜の子守唄」には、自然と文明の共存といういばらの道、そこにあるべき人間の苦悩を素通りしてしまってはいないかと首を傾げてしまうところがあり、作品によっては自己対象化の甘さが垣間見えると考える。上記三篇に見られる眼力の鋭さはあなどれないが、荒削りであるというのが私の印象だ。しかし選考委員はその荒削りさに、現代詩の許容範囲を広げる可能性を見たのかもしれない。私としては、作品ごとの水準のばらつきというのは、書き続けることで自然と解決される問題であると思う。受賞後の新聞記事には「小説の方が好き」とあるが、詩作も末永く持続してほしいものだ。
一方で松永と同じ沖縄国際大学文芸部の伊波泰志詩集『柱のない家』に対する選評は以下のようになっていた。知念氏が「その諧謔に打たれる」と評価しており、天沢氏が「好感の持てる、新鮮で若々しい詩集」で「いいところのたくさんある一冊」としながらも「けれど、何だかこれではあまりに、言いっぱなしではないだろうか?」として、花田氏は「不安定で私は次作を期待した」としていた。
また、二人以外の詩集への評価としては、(選評において全ての詩集が明瞭に序列化されていたわけではないのでわたしの解釈になるが)平川良栄『独白』以外に、花田、天沢両氏が与那嶺千枝子『神々が消えた日』を、窪田洋子『日曜日』を天沢氏が比較的高く評価していたように見受けられた。
沖国大文芸部「偽パンダつうしん」第二十五号、編集担当は紅木氏だが、連載以外は作品集に終始し、特徴のない編集に終わっている。さらに表紙絵のクレジットがない、ロールプレイ小説の説明がないなど、細かな配慮に欠け、こういった点をおろそかにしてしまうと、弛緩した空気が次第に組織全体に蔓延していく危険が生じてくるのであり、心配な号になってしまった。個々の作品を見ると、すやもと沐希氏の表紙イラストが秀逸だ。アイスを食べている点は勿論、女の子の髪が束ねられているところや、背中の大きく開いた服を着ているところにも暑さが表れており、季節感を出すことに自覚的な創作姿勢が見て取れる。文章作品にも言えることだが、作品世界の空気を作りこむには、季節感を出すことがまず着実な道であると思う。詩では、葵氏の「レポート日」は日常のひとコマをコミカルに描いている。伊波泰志「時間」は、繰り返される〈日照りの中/バスを待つ〉のフレーズが印象的に倦怠感をかもし出している。沖縄のうだるような暑さと毎度のように遅れるバス、その中で氏は〈心が死んでいる〉と結論付ける。誰もが身に覚えのあるであろう体験を冷徹に見つめる視線が鋭い。
「潮流詩派」第一九五号には神谷毅氏「アダンの陰で」、山入端利子氏「びん型」、宮城松隆氏「極限悪」と、県内からは三篇が寄せられている。山入端氏の「びん型」は、〈緑の風が水面を蹴って走る/楽しげに泳ぐ魚たち〉〈地上を取り巻く/太陽のしぶきのなかで/びん型は坐っている〉と、賛美するでもない抑制された表現で〈びん型〉の〈賑やか〉さを描き、「びんがた」とは一般的な呼称の「紅型」ではなく〈坐型(びんがた)〉であると結んでいる。
詩誌『縄』第十七号(沖縄詩人会議)が七月五日に発行されている。冒頭、上山青二氏の詩三篇に始まる。「犬に咬まれたおばさん」は〈やんばる行きのバスの中/運転手も加わって/しばらくつづく犬談義〉という、日常のひとコマを方言を交えて描く。米原幸雄氏の「南の国から」では〈煮付け定食〉の〈コンブ〉から〈沖縄戦に於ける県外の戦没者/北海道が抜きんでて多いのだ〉という社会的視野へイメージが飛翔し、終行には〈うちのラベンダー娘は/今頃なにしていると〉と父親の視点に着地している。芝憲子氏の「ニュージーランドの色」では、床や棚が〈濃い緑〉でベッドは〈真っ黄色〉というニュージーランドの色が〈落ち着かない〉とし、〈日本の家で/いかに白っぽい淡い色に囲まれていたか〉と、異国の地で日本の色をあらためて発見する様が描かれる。日本の家は〈淡い〉、しかし日本の人はというと、〈髪を黄色く染めてピアスをしているのが日本人/頭のてっぺんだけでも西欧色に〉と描き、風刺している。氏のもう一作、「フローラのとなりで」には、〈フローラとレイの国が/またもや標的になり/湾岸への矢が/当然のように沖縄を使って〉と、きな臭い世界情勢に翻弄される人間関係を描いている。戦場に生活する人間の様、そしてその人間との具体的なつながりを描くことで、この戦争に異議を唱えることのリアリティーが表せている。
「山之口貘は今」は、三日の第七回は伊良波盛雄氏と飽浦敏氏。以降、進一男氏と芝憲子氏、矢口哲男氏と松原敏夫氏、勝連繁雄氏と高橋渉二氏と続いた。
また、その他の詩に関する情報としては、七月三〇日の「琉球新報」「新報文芸」(浦田義和氏)では『EKE』第二十三号が取り上げられていた。七月二八日付の「琉球新報」夕刊から、毎日山之口貘の人生を描いた連載小説「貘さんおいで」が連載を開始した。

【八月】
八月二日、沖縄タイムス社主催の山之口貘生誕百年記念イベント「貘のおくりもの」が開催。二部構成。会場である那覇市の県女性センター「てぃるる」は五〇〇人満席で、郷土の詩人への関心の高さをうかがわせた。仲程昌徳氏の講演「山之口貘の詩と人生」は、氏の研究している沖縄近代詩史を土台に、山之口貘の生きた近代の詩壇での貘の位置付けといった感じのもの。山之口泉氏の講演「父・山之口貘」は、娘の目から山之口貘の生活に滲み出る思想、育児観などを、朗読を交えて語った。高良勉氏と山之口泉氏によるトークショーは高良氏の質問に応える形式で、山之口貘は宮沢賢治や高村光太郎などをどう思っていたのかといった興味深い話が聞けた。第二部は歌と朗読。まず大工哲弘氏による歌。山之口貘の「座蒲団」や「生活の柄」に曲をつけ、三線を弾いて歌っていた。真久田正氏、中里友豪氏、西蔵盛史子氏、宮城隆尋といった県内の詩人や山之口貘の母校である県立首里高校の放送部員らによる貘の詩の朗読。
琉球新報社主催の「山之口貘生誕百年祭」を翌月に控えた「琉球新報」紙上で、小・中・高校生を対象とした「神のバトン賞」の受賞者が発表された。普天間高校一年の伊波さんはじめ各部門正賞計四人、佳作計八人が選ばれた。一四三篇の応募があったということだが、やはり中学の部が九篇と少ないのが気がかり。生徒が体制に拒絶反応を示し始め、学校現場が生徒指導一色になってしまう難しい時期ではあるが、この賞の応募をきっかけに小学校や高校で実作指導を行ったという学級があったということなので県内の各中学校でも活発化してほしいものだ。詩の実作指導は、おそらく大人や社会に対して言いたいことをどうはきだせばいいのかわからずに抱えているだろう中学生の情操教育にも、おおいに生かせると思う。具志川市のあげな中学校での、平地克己という先生が行った実践指導が出版されたものを読んだが、とても興味深かった。沖縄には現在新聞紙上での投稿欄がなく、新人を発掘していくシステムがないので、こういった詩壇の外側を意識した試みは意義深いものだと思うのであり、ぜひとも今年限りで終わらずに、来年以降も継続して小中高校生から未来の山之口貘を発掘してもらいたいものだ。
「琉球新報」での「山之口貘は今」は今月は山川文太氏、上原紀善氏、松永朋哉氏、与那覇幹夫氏、宮城英定氏と続いた。この連載は八月二十一日を最後に終了。貘賞受賞者二十七人による共作といった趣の連載だった。八月では山川文太氏の文にユーモアを感じた。平易だといわれる貘の詩が実は難攻不落であるというのも、それと対峙し格闘した実感のこもった言葉であると思う。
 『星雅彦詩集』が土曜美術社出版販売から発行されている。年譜が非常に充実していて興味深い。
 八月十九日の「沖縄タイムス」に鈴木次郎氏による「沖縄・奄美・日本 文芸時評」が掲載されており、その文中で松永朋哉の山之口貘賞受賞に関して異議を唱える主旨の文言があった。この文章は現在の県内詩壇が抱える問題をいくつか表面化しようという意図が見て取れる点では貴重だが、この文章自体にも問題があり、これについては稿を改める。

【九月】
九月十一日の山之口貘の誕生日に、琉球新報社主催の「山之口貘生誕百年祭」が行われた。午前中は神原小学校で貘の詩を用いた特設授業。講師は宮城隆尋。群読指導を中心とした授業。貘の娘である山之口泉氏も参加し、子どもたちの質問に答えた。同日、那覇市立中央図書館でも朗読会が開催された。朗読サークルの方々を中心に催され、ここでも泉氏の講演。さらに十五時半からは琉球新報ホールでセレモニーと朗読会。くす玉割りのあと、児童生徒の詩作コンクール「神のバトン賞」の表彰、天沢退二郎氏の講演、「神のバトン賞」受賞者と山之口貘賞受賞詩人による朗読会、記念撮影と続いた。さらに那覇市内のホテルのホールに場所を移して知念榮喜氏と天沢氏を囲む懇親会も催された。この日に先がけて「山之口貘は今」を連載してきた新報社は、当日の朗読会でも山之口貘賞受賞者の殆どを一堂に集め、朗読の競演を演出し、さまざまな観点から今なお多くの人の心に生き続ける山之口貘の姿を浮き彫りにした。特設授業や「神のバトン賞」などもあり、次代を担う世代を意識している点でも有意義な催しだったと思う。
九月十五日には、キュウリユキコ詩集『アカイツノ』が発行された。沖国大文芸部創立期のメンバーであり、『沖国大文学』創刊に携わった人物でもある。同誌四号に掲載した「芋畑」は、当時石川為丸氏が連載を担当していた「沖縄タイムス」「詩時評〈県内〉」において「傑作」と評されたもの。
 「けーし風」第四〇号が発行されている。特集は『琉大文学』に関する考察などを含んだ「いま、一九五〇年代後半を読み直す」。その特集内に気になる言及があった。「『琉大文学』五〇年」という新川明氏、豊川善一氏、中里友豪氏による座談会を聴講した琉球大学の学生が寄せた「座談会に対する応答」という文章の中に『沖国大文学』の文字。本橋順一郎氏の「『琉大文学の会』について」と題する文。同様に與古田都氏の「『琉大文学』の座談会に参加して」に「現在評価を受けている『若者の表現』」という言葉で出てきているのも、文脈から判断して『沖国大文学』のことを言っているものと考えられる。そこで示される『沖国大文学』に対する彼らの見解は一致して否定的だ。名指しで批判(いまいち不明瞭だが)している本橋氏のものからまず引用してみる。
 「議論の中で『沖国大文学』の話が出たが、このような「大人」世代に進んでアピールする表現/活動(すなわち安定的な上位世代の文学観、「表現」観の内側に位置を占めようとするもの。むしろこのように膠着化した文学観/言語観を破壊するエネルギーをこそ私は五〇年前の『琉大文学』にみるのであって、そこには五〇年前の「今」を呼吸しようとする言葉の運動がある)しか認識されていないのかと思うと徒労感に目眩がする。一体あの中でどれだけの人間が実際に『沖国大文学』を手にしたことがあるのだろうか。幻を相手に褒めそやしてしまってはいないか? このような伝統的な形骸化した「表現」のヒエラルキーの裏側で、今を呼吸する現代の「表現」が生起し続けているとしたらどうだろう?」
 というものだ。氏はエディプス・コンプレックスの話を持ち出して小難しく書いているが、要は『琉大文学』の方々が若者を自分達の同一線上で見て期待しているから、他のジャンルにたくさんいる能動的な若者が見えずに『沖国大文学』なんか褒めているんだ、と言いたいんだと思う。「どれだけの人間が~」という氏の疑問に応えるなら、少なくとも中里氏は読んで発言している。座談会参加者以外でも、『琉大文学』創刊のメンバーである川満信一氏は「沖縄タイムス」連載の「詩時評」で「くそも味噌も盛り沢山」というふうに表現しながらも毎回取り上げて評していた。沖縄の詩壇特有の世代間隔絶を意識しての批評だろうと思う。本橋氏は上の世代に若者の文学以外の表現が認識されていないことで「徒労感に目眩」を覚える前に、現在の県内の文学以外のジャンルで若者が世代を超えてアピールする姿を見たことがあるのか。特に音楽なんか顕著だ。ほとんどの若者が若者に対して表現していて、子供が子供だましをしているだけ、というのが現状ではないだろうか。本橋氏は『沖国大文学』に対して何かしら文句があるのは伝わってくるが、わたしとしては反論ができない。なぜなら氏は具体的な分析を論拠として示していないからだ。どこがどうわるいのか、氏が示していない以上、『沖国大文学』が文芸誌としての質的な落ち度をどこに持っていると氏が言いたいのかわからない。その座談会に同席していた新城郁夫琉球大学教授は彼らと似たような主張をするが、新城氏の場合はその時批評する対象を分析して具体的な指摘を論拠とする。主張は似ているが、彼らと新城氏との間にある違いは、「論拠を示す」という批評の基本がなっているかどうかという決定的な違いだ。教授と学生を比べるのはナンセンスかもしれないが、公の場で発言する以上、評する対象に真摯に向き合うのは最低限のルールではないか。具体的に、ダイレクトに、もっと激烈に批判すればいいと思う。実際『沖国大文学』は音楽と逆で、若者に対してほとんどアピールしていないのが現状なのだから、論拠を示すことができれば批判するのは容易いはずだ。論拠が示されていればわたしも反論できる。ただ、創刊したわたしとしては、刊行すること自体に意義があると考えていた。途切れていた歴史の同一線上に組み入れたかったからこの形態で創刊したということは言いたい。同世代が求めていないだろうという思いは当然あった。しかし文学というジャンル自体が若者が選べる表現形態の中でマイノリティーとなっていくにはあまりにも惜しい。だから無理矢理時間を押し戻すようなことをやった。『琉大文学』をすぐに想起するような『沖国大文学』というネーミングを選んだのだ。それでどうなったのかと問われるとまだ答えは出せないが。氏には『沖国大文学』のどこが「伝統的」で「形骸化」しているのか、今後何らかの場所で書いてほしいものだ。
 與古田氏は「沖縄イメージ、優等生的なわざとらしい感性がもてはやされる風潮、評価を与える側と受ける側の閉鎖的な関係世界の下には、それに冷ややかな眼差しをむけ、イラつきに沈黙する若者が多くいる。」とし、「文字を媒体とした表現活動」が「同世代に対してインパクトを持たない」のは、「現在評価を受けている『若者の表現』が『反若者的』という回答なのではないか」としている。これは『沖国大文学』、ひいては山之口貘賞のことを言っているのかと想像することはできるが、いかんせん不明瞭だ。しかしそこで「沈黙」なんかしているから評価を受けないんだ、とわたしは思う。氏が引き合いに出している、現在の若者が実際に「同一化し、自己を保って」いるという、「攻撃的な知性」という「思想的背景を持ったカルチャー」というのが何であるのかも明示されない。
 彼らが公式な場で若者の心境を代弁して発言できているだろうこと自体はまず評価したい。しかしこのような不明瞭な物言いでは、何も言っていないのと同じだ。『沖国大文学』に対する具体的な指摘がない。彼らが支持する現代の若者の表現形態とは一体何なのかも語られない。『沖国大文学』はゼロを1にしたが、彼らもしくは彼らが支持する若者の表現は何をなしたか。『沖国大文学』が若者に求められていないのはわたしもわかっている。しかし不明瞭な物言いでは何も聞こえてこない。このような、自分からケンカを吹っかけておいて煙にまくような非建設的な文章ではなく、彼らの本音、具体的な指摘をぜひ詳しく聞きたいものだ。

「あいすまん」5号(2003年11月11日発行)掲載


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