テーマ:たわごと(26727)
カテゴリ: 藻緯羅の放談
「格差社会」が跋扈して久しい。
「」を付けたのは、言葉がという意味である。 さて、 この言葉、いつから、誰が使うようになったのだろう。 広辞苑第5版の見出し語にはない。 何らかの軸で評価した時に、 分割されるような状況は大昔からあったし、 そして、経済的状況・社会的状況に関わっていた。 しかし、 「格差社会」は、なかった。 言葉がなかったということは、概念がなかった。 概念がなかったなら、なぜだろう? 「格差社会」なる概念は、間違いか? 少なくとも、 その言葉をもって閉塞感が表象されている。 それが、現状である。 「格差社会」なる概念がなければ、閉塞感も消滅する。 出発点は、過度の平等化であろうか? 具体的には、 横並びで、ゴールインする徒競走に象徴される教育。 「競争」の否定を植え付けたに違いない。 「やりたいことを見つけよう」教育。 「継続」と「忍耐」の否定を植え付けたに違いない。 あるいは、 成果が得られない原因を、環境に求める態度の熟成。 結果、「差」は強調され、 強調されたが故に、遷移を困難視するようになった。 実際には、そうでないにも関わらずである。 かくして、 「格差社会」の登場となった。 古より、 「継続は力なり」、 「才能とは続ける事と見つけたり」、 「好きこそ、ものの上手なれ」。 藻緯羅曰く、 「格差なき社会は、目鼻なき顔である」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.02.24 17:11:28
コメント(0) | コメントを書く
[ 藻緯羅の放談] カテゴリの最新記事
|
|