2010/07/27(火)08:28
「日本人として言い残しておきたいこと」
藻緯羅の蔵書から、久しぶりに引き出して読んでみた。
『日本人の意識構造』で知られる、会田雄次の晩年の著作である。
著作ではあるが、あとがきによれば、口述筆記となっている。
この本を世に送り出した2年後の1997年に、亡くなっている。
まさに、言い残して逝ったと言うべきか。
「品格なきこの国のかたち」を副題とする、本書の指摘は、
15年を経た現在でも、そのまま通用する新鮮さを感じる。
それは、
この15年間、日本社会が停滞していたことを示している。
否、会田氏は数年前から意識していたと考えるべきだから、
日本が、問題を育みつつ停滞してきた期間は、さらに長い。
その結果が、今の、日本であり、日本人ということになる。
帯には、「志なき民族は死滅する!!」
まさに警告の書である。そして、今、その道程にある。
では、会田氏は、何を言い残したのか?
当時の世相に面しつつ、感想を語ったという流れになっていて、
強い分析性や論理性のもとに、何かを主張する気迫は感じない。
様々な提言や指摘から、藻緯羅が選び出したのは...
・崩壊した家族の再構築が緊急の課題
・大切なのは、なすべきことをなす心構え
・細やかな感性を育てた日本流の子育て
・日本の農業を救う二宮金次郎の思想
・日本の団塊世代は帰国子女そのものだ
そして、改めて
明治維新は、対米敗戦と同種の影響を及ぼしていると感じた。
一部政治家の「平成維新」の行き先も、同じ所かもしれない。
結局は、「日本人の品格」が弱められ、「日本」は滅亡する。
例えば、外国人の参政権。もし、認めると何が起こるか?
それは、阿久根市を見ていれば、よくわかる。
竹原市長は、身を以て、地方自治の力を教示している?
「正しい市長」さえ選択すれば、地方は変われる。
本人の意識はわからないが、藻緯羅には、そう思える。
日本の政治構造は、中央と地方で、異なっているのである。
地方分権は元より備わっているのであり、それは江戸由来。
現在の「地方分権化」は、よく注意して見ていないと、
その中身は、「中央権限強化」になっているかもしれない。