![爆発するスターズ!](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a35598bde72129091ce7ab1c58c3c34ffe34ecc5.31.2.9.2.jpeg)
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こころ元気?
パクヨンハ!の「遺作音楽公演・スターズ」は奇妙な事がいっぱいあります。
もう一度思い出して見ましょう。
全部事実なので、自信持って書いてます、
ヨンハさまが音楽を聴きにくそうにイヤホンを何度も確かめてみたり?
公演に行っていたおーえんさんから音がおかしいぞ!っとコメントもらったり
まあ~この頃もオカシイけど、それもどってことないほどオカシイ事ばっかり。
思い出すって、結構苦しい?だけど、覚えているには「おもひで」にしないのが一番いい!
日本人の性格には、こんな「想い」と言ったらいい「愛と同じように温かい感情」があります。
良いことね~長い時間を同じ気持ちで生きて来た人間だから出来るのかもしれません。
あの日があったから、急に愛する人が居なくなる!言葉にしたら信じられない経験をじーまもしました。
新聞になんで?ヨンハの写真が載ってるの?首つり自殺?誰が?
冬ソナの準主役がって、書いてありました。パクヨンハは有名だったはずなのに。
おかしい!
誰だって知っている時代だったんです。大スターだった「パクヨンハ!」のことを冬ソナの準主役って何故?書いてあったんだろう。じっと見つめて、準主役ね、サンヒョクとも書いてない!
こんなにハンリュウ時代なのに・・・・そうなの・・・・とこの意図的表現を噛みしめてました。
そう、このコンサートは もやもやした「孤高」とか「孤独」とか信じられないほどの
「四面アリラン」の中で行われていました。迫害に近いアフリカ行きや横領に次ぐ横領、
パクヨンハ本「YONAスタイル」消失でのマネジャーの不信行為発覚、
日本での発行元「パワーゲイトフィルム社の倒産」まで、波乱の二年が過ぎてのコンサートだったのです。
ぶったまげ~~~っ!とあの「営々えいり帰化しました」さんでも言いません。
どこにも、理由がないと、言いたいけれど、そーでもない心配はありました。
ヨンハダイアリーのスターズ録音後のヒジョンマネジャーの言葉。
「これでおしまいです、もう、ありません」を多くのファンは聞いていました。
もっと、知っている在日さん!も思い出して下さい、
ヨンハ場所を消して安心しないで! 世の中、そんなに甘くない。
王様の耳はロバの耳・・・・あちこちで泣き叫ぶヨンハファンを見つめながら考えていたことは
この事ばかりです。
確か あの日には 不思議な 嫌がらせコンサートが進行中でした。
同じ 「星」型のライトを使い、色もパクヨンハの決まりの「ヨンハブル-」を使う
どこから見ても、自称「友人」とは思えないコンサートが!終盤を迎えていました。
いかにも仲が良いと「言い」ふらしながらも、ミュージックフェアでは別録りをする
ほど、「仲がいい」自称「友人」のコンサートが 同じ劇場を使い、彼のファンの
じーま親友が 「いつもとチガウ劇場ばかり使う」と疑問に思うほどのそっくりコース
をたどって、進んでいました。
思い出すことは良いことばかり、何かが鮮明にもう一度胸に蘇って「忘れる理由が消えてゆく」
偶然って そんなに「ある」ことではありません。「大嫌韓時代」が売れるはずです・・・
愛を壊すのが 楽しい国民だと、この頃は 認定されました。
本当に楽しかったらしく紅白の服で 笑顔で 悲しそうに 胸に小さな黒リボンをつけて
泣いてみせた自称「友人」の姿を、多くの日本人も、見ていました。
真実などは「どこにもないと」誰かが言えばいいことだけ!勇気を持って!