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2023/11/26(日)19:40

今はもう誰も 唄  ウッディ・ウー / 佐竹俊郎 - 今はもう誰も(ウッディーウー)

歌(194)

当時のあの世代、大阪の人ならこの歌がアリスのデビュー曲なんて誰も信じない、?しかないはず・・・ 私などアリスのデビューの10年近く前、高校入学時軽音部の人たちが得意気に歌っているのをイヤというほど聞かされてましたから・・・ これではっきりしましたね!!   この曲は立命館大学生の佐竹さんという方の作詞・作曲・ボーカルで、同志社大学生2名が加わった「ウッディウー」というグループの原曲。 アリスの矢沢さん(ドラム)がフォークロック調に編曲し、大ヒットになったそう・・・ 原曲の方がストレートな歌い方で寂しさや哀しさが伝わってきますね・・・ 後からのグループに歌われヒットしたのは悔しかったでしょうね。 50代の若さでお亡くなりになられたのもお気の毒です・・・ フォーククルセダーズ(京都府立医科大や同志社の学生)の後ですね。 京都は学生が多く、進取の気性の街、京都の人も誰もアリスの曲とは思っていなかったでしょう。 アリスはアリスで谷村新司さんを中心にピーターや桑名正博の実家で練習に練習を重ね世に出ることに必死だったんでしょうね。 (ピーターのお家にお姉さんが踊りを習いに行っておられた関係でみんなお友達だそう) <中学・高校とギターの練習に明け暮れ勉強なんてどうでもよかったのでは? 当時の学区内の府立の普通科では新設の最下位校出身> 堀内孝雄とやしきたかじんは同じ高校(桃山学院)の同級生で、それぞれ軽音部の部長、新聞部の部長で堀内さんがアリスで活躍され、触発され頑張られたそうです・・・ 当時の大阪の私学(男子)では府立高校のすべり止めとしてトップ校、専願で入っているんだろうからそれなりにお坊ちゃんだったと思いますよ。 <コメントより抜粋> 作詞作曲の佐竹俊郎氏が立命館大学4年22才の時の作品のようです。1才年下の谷村新司氏の方がレコードデビューが1年早かったのは興味深い。音楽活動は断念したが実業家では大成功した佐竹氏も50なかばで亡くなってもう20年過ぎた。同時代を激しくクロスして生きた生粋の関西人同士、天国でどんな会話をしているのかな。 ​​佐竹俊郎​​ ニッシン​​ 楽曲の良さが認められたことと オリジナルバージョンでヒットさせられなかったことへの複雑な気持ちがありそう この曲の存在なくしてアリスがメジャーなバンドになれなかったと思います。アリスのカバー版と比較しても甲乙着けがたい素晴らしい出来映えですね。 まさか、アリスの大ヒット曲がカバーとは驚き、アリスもいいがウッディ・ウーも同じくらい良い。 ※【ネット上にこんな投稿がありました 20年程前】 今日は、フォークソングとギターをこよなく愛する皆様方に悲報をお伝えします。 アリスの出世作"今はもう誰も"をご存じでしょうか? この歌は、アリスの作曲した歌ではなく、今は京都の中堅企業の社長である佐竹俊郎 さんの作曲された歌です。 その佐竹さんが、先月5月28日56才の若さでご逝去されました。 関西で、フォークをされていた団塊世代の方ならば、この方をご存じだろうと思いますが、 まさに我々、世代の憧れの人でありました。 PP&Mが日本で紹介された1965年頃、東京では小室さんのPPMフォロワーズ、関西では 佐竹さん率いるモダンルーツシンガーズ(男の相棒は杉田二郎さん)でした。 京都のダイムコンサートに所属(会長)され、フォークル、ジローズ等の京都のバンドを 育てた方でもあります。 その後、PPMバンドは、解散され、そのあとカラーズと言うフォークロックのバンドを結成 されました。 このバンドに私が出会ったのは1969年の春、我々が主催していた大阪のシティージュビリー の御堂会館でのコンサートでありました。 少し猫背で髭を生やして、サングラスをかけ、12弦ギター一本。あとはエレキベースと ドラムの3人トリオ。当時のフォークコンサートとしては、何もかも斬新の一言。 12弦ギターの3フレット目にかっこいいゴムバンドのカポをしてAコードからスタート。 強烈なドラムとエレキベースの音と共に、佐竹さんの高い声、それに初めて見る複雑な コードストローク。正直、我々のバンドもそこにいた各バンド(谷村さんのロッキャンも いた様に思います。)は全員・・・・・・やられた・・・・・ 二曲目は、一転変わって佐竹さんと一本のギターでの引き語りと朗読。 内容は、一年前に交通事故でなくしたお兄さんを追悼する歌でありました。 最後は佐竹さんバリの熱唱でした。 皆、涙が出ました。 その後は、シティーの他のバンドの一人とウッディー・ウーと言うバンドを再結成 され少しの間、セミプロで活躍された様です。 どういう経緯で谷村さんが佐竹さんの"今はもう誰も"を取り上げられたのかは知りませんが この時のコンサートの出会いが原因ではないかと今思っています。 その後、偶然にも2000年に(32年ぶり)仕事でお会いしました。 お互いに、かすかな思い出をたどり、感激の再会でありました。 昨年の6月にお会いした時、『ボーカルを探している、2人でやりませんか?』 という名誉なお誘い受けてから、返事もできないまま5月の末に悲報を受けました。 最近まで、年一回は京都でミニコンサーを開かれておられたようです。 お仕事でのお付き合いでしたが、お会いすると仕事は少しだけで、あとはギターの話やら、 今作曲中の歌の話やら まさに30年前のまだ青春真っ盛りの方でした。 最後お会いした時、佐竹さんより、"今はもう誰も"は自分でも良い唄だと思う、それで その熟年版を作ったので聞かせてあげようと言う事で、ギターなしで朗々と歌ってくれました。 彼らしい良い曲でしたよ。 D-28ー12ギターは今でも現役の様でしたが、彼は、これを6弦で弾くと(誰も知らないが) これまた良い音がするのだと得意そうに言っておられました。 色々なギターをお持ちで、ギターをこよなく愛する方でもありました。 このコラムの愛読者のなかには、アリスで青春時代をおくられた方もおられるとおもいます。 その方々に、その原点である"今はもう・・"の佐竹さんを偲んでいただければ幸いです。 [2003/06/12 14:04:37] >どういう経緯で谷村さんが佐竹さんの"今はもう誰も"を取り上げられたのかは知りませんが >この時のコンサートの出会いが原因ではないかと今思っています。 佐竹さんから直接きいた話では、ウッディウーのとき同じ事務所にいたのが アリスだったとかでしたよ。 カラオケで歌ってくれて、自分じゃいまいちの歌いあがりだと 「これのアレンジは俺が作ったのとちゃうー!」って よっぱらっていうてはりました。 あいたかったなあ。 [2004/03/04 21:58:33]

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