2018/08/13(月)16:56
遠藤洋子となかまたち展。
絵を描くという行為は
自分自身の内側に
深く入ってゆく行為です。
無意識の海の探検と
言えるのだと思います。
また逆に、ロケットにのった
遠い宇宙の旅のこともあります。
一生の間、描いた絵を
誰の目にも触れさせない
そんな生き方をした絵描きも
何人かいます。
それは、それで
どれが良いとか悪いとか
そういうことでは
ないわけです。
わたしは
タロットのお絵かきには
最後の頃に展覧会をすることを
設定しています。
参加は強制ではなく
自由参加です。
展覧会というものが持つ意味は
参加者ひとりひとりによって
おそらく千差万別の内容となることでしょう。
ただ、方向性の違いだけは
参加する人たち全員に
共通のものであるように
私は思います。
内向きの方向性と
外向きの方向性。
いつもは自分自身の内側と向かい合って
絵を描いているわけですが
最後に、それを外に向けて
発表する。
人目にさらす。
時として、それは
勇気が必要な
どきどきするような
行為だったりするかも知れません。
また、わくわくするような
とても楽しい時間だったり
するかも知れません。
私自身は
プログレスの月の前回のサイクルにおいて
ICや4ハウスを越えたあたりで
つまり28年くらい前に
「井の中の蛙」にはなりたくない欲求が強まり
社会とのかかわりを持って
制作したものを外に出してゆくことを
始めました。
全体性ということで考えた時に
外に向けて発表するという行為を伴なうことで
完結してそのサイクルが終わることも
やはりあるのだと
今の私は思っています。
自身のセラピーのために描く絵と
発表のために描く絵とのあいだに
私は境界線を引いていません。
自身のセラピーのために描いた絵は
それを見たほかの人達を癒す力を
十分に持った作品だと
私は受け止めています。