000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2008.01.19
XML
テーマ:十牛図(49)
カテゴリ:十牛図
.第十図

ここで取り上げているテキストは
『たましいのこと 十牛図で考える人生』
松村潔・著 ユビキタ・スタジオ です。

『あらためて十牛図の絵を描く講座』にむけて
自分自身の認識を深めるために
テキストの読み直しをしています。

ここにアップしているのは
そのための覚書です。

<この表記>は
本からの
写し書き部分です。



第十図 入てん垂手 にってんすいしゅ

山から里に下りる

<町中の名士は、町中でのみ作られる。なので、真に悟りを得た人が尊敬されることはそう多くはない。> P.125

・マレ人 時を定めて訪れて来る客神。
・トコヨ人 永遠の世界からやってきた神的な存在。

<また日本ではこの山の力を持ち込んでくる、エニアグラムの9の数字にふさわしい存在を「翁」と呼ぶ。> P.126

・芸道はそもそも、儀式的な意義を持ったもの。

<聖徳太子は、物部守屋の反乱の時、六十六番の猿楽の面を彫り、側近の秦河勝に舞わせた。それで政情は安定したという話がある。> P.127


老人の意識や霊性は新しすぎるくらい新しい

<そもそもここで若者が老人を発見することはない。牧人が牛を見つけることはなく、牛が牧人を引き寄せたように、老人もまた若者を捕まえる。> P.127

<奇妙に聞こえるかもしれないが、意識や霊性という点では若い人は保守的で、老人は先進的なのだ。> P.128

<山から下りてきた容貌魁偉な老人は新しすぎるくらい新しいのだ。そして若者はすぐに影響をうけてしまう。>
P.128


老人の帰還は山の神の動きと同じ

<日本のカミサマは、旅する神であることが基本だという。マレビトとしての神は固定した建物ではなく、十牛図の第九図で粗末な庵に住むということとも似て、用事が終わると撤去するカリヤに住む。> P.129

・嵐で折れた花を水にさして季節を感じるという日本人の感覚


人の一生と四季の変遷は同一視される

<春分点と秋分点で陰陽帳消しになるというのは、活動力に一瞬の空白ができることで、つまり能動と受動という区別がなくなると、フッサールのいうように意識活動はできなくなる。その瞬間に、より大きな上位のコスモスの影響を受け入れる隙間ができる。> P.131

・ゼロポイントとなる春分と秋分は、開かれた扉





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.01.27 14:07:04


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

今季 洋

今季 洋

Calendar

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

© Rakuten Group, Inc.
X