テーマ:心のままに独り言(8817)
カテゴリ:日々のつぶやき。
「家事は主婦の祈り」
というテーマで描かれた テレビドラマを 少し前に見ました。 この「祈り」が 実は「呪い」と 紙一重であることを そのテレビドラマは 描きだそうとしていました。 主人公の主婦には 多感な思春期の 一人息子が居て 彼が帰宅して 後ろで聞いているとは 知らずに 旧友と携帯で 話しています。 「そうよ。 私だって 結婚して 子どもなんか 居なかったら バリバリ働いて キャリアを 積んでたわ。」 これを 耳にしてしまった息子が 荒れるという ストーリーでした。 が、 この主婦の心理は 良くあることなのでは ないでしょうか。 一方の価値観や生き方に フォーカスして生きる時 必ず そこに 影の生き方や価値観は 発生します。 その影となった 生き方や価値観と どのように向かい合いか。 それを自分のなかに どのように取り組むのか。 によって 家事は 家族への 「祈り」にもなれば 「呪い」にもなるのだと 思います。 「呪い」という言葉を使うと とても恐ろしい感じがしますが この底に働いているのは 「私はこれだけ我慢して 家族の犠牲になって 生きてきたのだから」という 知らず知らずの 気持ちであることが 多いのではないかと 思いました。 これは 目には見えない 大きなエネルギーとして 家族たちを 実はさまざまに 突き動かしてしまうことも あるわけです。 この 家事が持つ 「祈り」も「呪いも」 裏と表のように 分離できないものとして その両方を 意識化してみることも 大切なのではないかと 最近は 痛切に 感じたりも しています。 どちらか 一方だけでは無くて 両方存在しているのだ ということを 受け入れてみるだけでも 良いのではないかと 思ったりもします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.02.17 12:28:57
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