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現世 ”心 ”を失った人は多い。
あなたの身近にも、ほらそこにも、すぐに見つけることは簡単だ。 そういう人は自分が心を失っているとは思っていない。ただ単に意見が違うだけだとも思っていない。相手を否定し、自分があくまでも正しいと信じている。それが心を失っている証拠である。 人には仕事上など非情さも必要な時がある。彼ら、彼女らには目的があり、それを達成するために周りが見えないでいる。周りを見ないようにしている。目的を達成するために。 しかしそんなやり方で本人も幸せになれるのだろうか?誰かに操られているだけだとは当の本人はまったく気が付いていない。その点では自分の世界しか見えていないので幸せである。 もちろん人は自分が大事である。人のことなんか考えてられない。しかし「利己主義と個人主義は違う」のである。 歴史は繰り返す。 人間は何百年、何千年経ってもたいして進化はしていない。考えることはそんなには進歩していない。進歩しているように思えるのは過去のデータの集積、過去に作られた便利な機械等によって検証、検討するからであって、その本人自体は脳が過去の人間よりも数倍に発達し、考えることの能力が数段ハイレベルになっているわけではない。 人は結局くだらないことを考えることの方が多いし、発想のひらめきは訪れても、そのひらめきは同じ条件なら、何百年も何千年も前の人が持ったとしてもおかしくないものなのだ。 だから文明が発達してこんな世の中に住んでいるからといって、自分が特別賢くなっているわけではない。それに、思っているほど利口な世界に生きているわけではない。 人間には驕り(おごり)は禁物なのである。おごりは、ローマ帝国のように自滅をもたらす。それはお寺の坊主でも一国の首相でも同じである。おごれば破滅する。人間皆平等なのだから。 自分だけが頑張っている。自分だけが賢いのだと思っても、結局は過去の人間、他者の”おかげ”があってこそなのだということに気づいていない。昔からよく言う「お釈迦様の手のひらで踊らされている」という謙虚さがないのだ。 人間、根本的にはそう変わっていないと同時に、昔からの戒めの言葉はいまだ効果があるのだ。人間が根本的に変わってない以上、心の教えも通用する。 そして、自分の考え、目的が自分自身の物のように思っているが、実際は過去に作られた環境や現在の条件によってそれらは判断、発想されている限り、自分自身の物であるとは言い切れないのである。あなたがやっていることは誰かの仕組んだ考え通りなのかもしれない。 資本主義は人を惑わすのが仕事だ。 資本主義は民主主義と切っても切れない関係なのだろう。だから資本主義のトップ、アメリカの大ボスが声高に何度も世界に向かって「自由、自由」とふれまわるのだ。 かつてのローマ帝国と同じように、民主主義は人民の声を大切にする。「人民の、人民による、人民のための政治」だという建前である。だとすると、富を独占しようとする一握りの特権層の者たちは、うまい具合に民衆を操る必要があった。自分たちの都合の良いようにウンウン賛成してくれる人たちを増やし、育てる必要があった。そういった世の中には情報操作が不可欠になる。民衆の扇動が手っ取り早い。 今バブルを迎えたと言われている中国は、反日感情が高まっているように見える。それもアメリカがそう仕向けているらしい。中国が日本とうまくやって日本に儲けてもらいたくないからだという。日本に回すくらいの無駄があるならアメリカが全部吸い尽くしてやるということだ。 自分の考えたことだと思っても、大きく見れば(場合によっては大きく見なくても)誰か得をする人間に操られているのだ。日記「ロックの魂」で書いた ”the man ”だ。 競争や駆け引きが好きな人もいる。もちろん私も資本主義全部が悪いとは思わない。良い方向に持っていけば、資本主義で更に良い世の中にすることが出来るかもしれない。もう既にそういう活動を知らず知らずに、あるいは分かっていて率先してされている方もいると思う。成功までとは行かないまでも、こじんまりと誠意を持ってビジネスをされている方も当然いる。過去の富豪や成功者の中にもそういう方はいたと思う。今までは、そういう考えを持っていたからこそ成功した人の方が多いかもしれない。しかし、これからはそう上手くはいかない難しい世の中に入ってきていると思う。 いけないのは初めから富(金儲けのチャンス)を独占している者である。金持ちがますます金を生む。 虐げられた人たちにはその”チャンス ”すらない人たちが世界中には大勢いるのだ。そして環境の悪さから、貧しさから餓え、死んだり、病気になったり…。知っているだろうか、インドには階級があって、下層階級の人々の住む地域に行った事があるが、見たこともない奇形の病気にかかった人たちでいっぱいだった。ただれた、まるっきり象のような人たち。彼らがなぜ貧しくなければいけないのか?そんなことを他人事と冷たく「関係ないね」とか「ならそういう環境から抜け出そうと努力しないのが悪い」などとうそぶく日本人には耳を覆いたくなる気持ちだ。そればかりか欲に執着して自分を見失った言葉を平気で言う。誰かに吹き込まれているとしても恐ろしいことがよくも言えると思う。 なんという自分勝手な思いやりのかけらもない人々。だからこそ世界中で日本人はカモにされ続けているのだ。仲間だと思っている先進諸国にさえ、いいカモにされている。そうやって自分たちは偉いと思っているのだ。 なぜ日本人はそうも冷血になれた? (やはりオタクは嫌いです。皆が皆じゃないけど、ある種のナチズムの傾向を持っている) 富を、つまるところ地球の資源を独占している人たちが、少しでも分かち合う精神があるならば、限りある地球の資源でも、十分に全人類が潤うほど資源や富は行き渡るはずだ。インドで出会ったような、世界中のそういった人たちがもっとましな生活が出来るはずなのだ。そうは一瞬でも思わないのだろうか。この欲望のはきだめ列島である日本の利己的な遺伝子じゃなく、利己的な単細胞たちは。。。 自分に出来ることしか出来ないのは当然である。しかし隣で死にかけてる人がいて、彼らは無視できるのだろうか?冷たい言葉を吐けるのだろうか? 彼らは無視できる勢いだから怖いのである。そんなのは大戦中のナチス・ドイツくらいのもんだ。そういう人々は、お互いに需要を作り出していて生活は出来るかもしれないが、幸せにはなれない。 ヨーロッパが富を得たのは中世に植民地政策を展開できたからである。植民地を幅広く手に入れ「働かずに」!富を手にした。その植民地を手に入れるのに、原住の人々を何百万人、何千万人と殺しているのだ。これこそホロコーストだ。次の日記に書くが、映画「みなさん、さようなら。」の中で言っている通り、911など問題ではない人数だ。アメリカもネイティブを虐殺し、追いやって、奪った土地で自分たちが嫌って出てきたヨーロッパを猿真似し、アフリカの黒人を奴隷としてこき使って自分たちは仕事もせず舞踏会に明け暮れる。資本主義の歴史は殺戮の歴史だ。 そんな恐ろしいことの上に資本主義は成り立っている。 先に挙げた日本の人たちは、資本主義の仕組みが、誰よりも先に出来るだけ大きい資本を手に入れている者の方が有利だ(生き残る)ということを十分知っているにもかかわらず、そんな世の中を弱肉強食は当然なのだ。強い者が生き残るのだといって”楽しんでいる”!分かったようなことを!人生の半分も生きていない奴らが。若さゆえの冷酷は当然ある、しかし、彼らのは問題外の冷酷さだ。 彼らは仕組みをわかっていて、ではその巨大な資本を西側諸国はどうやって手に入れたかを考えないのだ。彼らが「苦労したからだ、尊敬する」という成功者?奴らの脳みそでは想像もつかないような?その更に上のにいる一握りの特権的な人々は、大勢の民の血に濡れた金を握っているのだ。極端に言えば、政治とはそういった人々の私腹を肥やすためにあるともいえよう。先に言った資本主義とは民主主義と切っても切り離せない関係にあるとすればだ。 実際、現代でもアメリカは自分の私腹を肥やすために戦争まで仕掛けているのだ。数々の国際社会に貢献する調印を蹴って、なんの平和(より良い世界環境)への協調性も示すことなく。 しかし現在、アメリカの世論は二分されている。アメリカでも民衆はそう愚かではないのだ。日本人よ!目覚めよ! 利己主義と個人主義は違う。 利己主義は自己の利益のためなら他者をも否定してしまう。 個人主義はまず自分で、自分を大切にしながらそれでも他者への思いやりや協調性は捨てないでいる。 このことは個人だけでなく、国にも当てはまる。 人は大概の人が、生まれて来た決まった環境の中でしか生きられない。環境を甘んじて受け入れなければならない。その中で、ゲームというならばゲームをしなければならないのは仕方ない。新しい、自分に合った環境を目指して旅立てる人はそうはいない。いや、ほとんどはそのことさえにも気づかない。 皆マネーゲームに夢中にさせられて、心を忘れている。 この点だけは、細木数子に賛成したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.24 23:26:56
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