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momi051の野球日記

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2005年04月18日
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カテゴリ:台湾棒球
山本英一郎[目分]彭誠浩接任亞洲及國際棒總(繁体中文)(4/6)

アジア野球連盟会長・国際野球連盟第一副会長の山本英一郎氏が旧正月期間に台北を訪れ、これらの役職の「後継者」に中華棒球協会理事長の彭誠浩氏が就くことを希望した。


「アマのドン」として知られ、野球殿堂入りもしている山本英一郎氏。3月のスポニチ大会の最終日にも来てましたけど85歳とは思えないほど元気な様子でした。
とはいえ高齢のため長らく務めた日本野球連盟会長職は2月ですでに退任していて、アジア野球連盟会長と国際野球連盟第一副会長のポストからも任期が切れ次第、退任すると報じられていました。ちょっと前の記事ですが、今回は後継について語ったということのようです。

山本氏は大学に入る前までは台湾にいたそうで、台北の高校から今のセンバツ高校野球にあたる大会に出場しているように台湾とは縁が深く、ちょくちょく来てますね。日本人が続けてアジアの会長ってわけにも行かないから親交の深い台湾の人を後釜に、って感じでしょうか。
ただ、確か韓国のかたも立候補するとかいう記事を見た気がします(うろ覚え)。


で、後継として名前の出て来た彭誠浩氏というかた、今までほとんど知らなかったのですけど、同日にこういう記事もありました。とても興味深いものでした。

台灣棒球熱彭誠浩點燃一把火(繁体中文)(4/6)
かいつまんでテキトーに訳します。

2001年のワールドカップ大会で台湾が銅メダルを獲得したことが、台湾野球熱を再燃させたことは多くの人が認めるところだ。この大会の台湾での開催に大きく貢献したのが彭誠浩氏だ。

1998年、野球人気の低迷期に就任した彭誠浩理事長はまず、「選手に目標を持たせることが大事だ」として当時整備されていなかった国内の大会を整備、少年・高校・成人にそれぞれ謝國城杯・王貞治杯・協会杯を設立した。

国内を整備する一方、国際大会を開催することが台湾野球の発展につながるとの信念のもと、積極的に国際大会を誘致。2001年ワールドカップ大会、2004年世界ワールドユース選手権の台湾開催を成功させた。2006年のインターコンチネンタル杯と北京五輪予選も台湾で開催される。

国際大会の開催権争奪で思い出深いのは、2001年ワールドカップ大会のときのことだという。このとき開催権を争っていたのは米国。
彭誠浩氏らの台湾代表団が国際野球連盟の総会が行われるオーストラリアに向かったとき、形勢は台湾にとってたいへん不利な状況だった。しかし彼らはあきらめずに61ヶ国の代表と一人一人面会、熱意を伝えて支持を求め、ある時は夜中までホテルに戻らず活動を続けた。
結果、モンゴルや東欧7ヶ国の代表の支持を取り付け、31対29(中国大陸は棄権)の僅差で開催権を獲得したのだった。

高校野球の祭典・王貞治杯や協会杯は最近できた大会なのですねぇ。それから2001年のワールドカップ大会の開催地争いはこんな僅差の勝負だったということも初めて知りました。

私が台湾野球をチェックするようになったのもこの大会がきっかけです。もしこの大会が台湾で行なわれていなかったら、台湾の職棒人気が回復することも、両連盟の合併が実現することも、そしてこの大会で大活躍した張誌家投手が西武入りすることもなかったかも知れない。31対29、この2票の差が台湾野球の歴史を大きく変えたのですねぇ。




昨日の職棒比賽結果:
鯨6-5獅 今年はなかなかセーブのつかない獅の凱撤さん、久しぶりのチャンスもサヨナラ暴投でまたも失敗。
象5-4熊 熊の呉偲佑投手は今度は肘に痛みが出たとか。象に王勁力投手が帰って来ました。象さんあれだけあった借金を完済して5割復帰です。





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Last updated  2005年04月18日 19時37分02秒
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