2006/10/03(火)02:23
張誌家、戦力外(その2)
昨日(30日)の記事で、西武の張誌家投手が戦力外になったことを書きました。今日はその続きです。
今年は張投手のことって、ほとんど日記に書かなかったんです。なぜなら、ネタがないから。
張投手は去年も一軍で1試合も投げず、故障だから二軍でもほとんど投げなかった。それでも私がいつも見ている台湾のニュースサイトには「現在の回復具合はこんな感じでこんな練習メニューをこなしている」みたいな記事がそれなりの頻度で出ていて、それをネタに日記を書いたことも結構ありました。
ところが、今年はそれすらほとんどなし。6月頃には、googleのニュース検索で「張誌家」ってキーワードを含む記事が1件も引っかからないことも。この頃、張投手は二軍の試合でもなぜか3ヵ月半くらい投げなかったし、全く様子がわからず。ケガならケガで記事になりそうなものなのに。
8月になって二軍でポツポツと投げ始めても、ニュース記事では何イニング投げて何失点でした、みたいな内容ばかりで本人の声とかを取材した記事は全然見かけず。結局、ニュースにもならないくらい落ちぶれちゃったんですよね…。
皮肉にも、戦力外になったのでいま検索するとたくさん記事が引っかかります。ちょっとずつ書いて行きます。
●本人も寝耳に水
[記事]張誌家 遭西武解約(big5)
アテネ五輪中に遊び呆けていたことが書かれてるけどそれはひとまず置いといて、ちょっとだけ。
張誌家は戦力外通告を受けてたいへん驚いてしばらくそれを受け入れることができず、家族に知らせたくないと思い、ただ、「このことは話したくない」とだけ語った。
[記事]旅外球星/張誌家戰力外 紀俊麟:先與松坂餐敘暫不返台(big5)
松坂大輔投手らとゴハン食べる予定のことがちらっと書いてありますが、その部分はまた後日。
高校時代のチームメイトであり友人の鯨の紀俊麟はこのような事態を全く予想しておらず、30日の試合後にこの知らせを聞いてすぐに張誌家に電話して連絡を取った。紀俊麟曰く、張誌家は戦力外になることを事前には全く知らなかった。
本人も周りも全く予期してなかったみたいですね。長期契約だったからここで解約になるとは思っていなかったのでしょう。私もそうでした。
家族っていうのはきっと奥様のことですよね。この先、どうなるんだろ…。
本人は予期しなかったと言ってるみたいけど、でも。
●ジョージは9月上旬にはうすうす知っていた
[記事]旅日球星》張誌家戰力差 遭西武除名(big5)
誠泰Cobras運営会社総経理の「ジョージ」趙士強は、9月初めには張誌家が解雇になるのではないかと思っていた。
趙士強が8月に日本を訪れたとき、西武二軍監督である渡辺久信、そして張誌家、許銘傑とで食事をした。そのときの会話で、張誌家は自分の現在の調子がとても悪いことをジョージに話した。
「張誌家の具合はそんなに悪いのか?」趙士強が尋ねると、渡辺久信は彼の現在の球速は130キロをやっと超えるかも知れない程度で、以前とは比べ物にならないということを話して趙士強を驚かせた。
趙士強曰く、張誌家はケガはしておらず、ただフォーム改造が原因で今のところまだ投球感覚をつかめていないだけなのだ、そして「9月初め、日本方面から情報が漏れてきた。西武は許・張のどちらか片方を解約するかも知れないという情報ね」。
「その当時、許銘傑は二軍で試合に出ていて、渡辺久信は許銘傑は張誌家に比べて状況が良いと言っていた。だからあのとき、私は西武が解約にするのはおそらく張誌家のほうだと思った」。
ずいぶんゴージャスな食事会です。隣のテーブルにでも潜り込みたい。二軍コーチの石井丈裕さんは来なかったんだろうか? ま、それは置いといて…。
「130キロをやっと超えるかも知れない程度」って、ヒドいなぁ…。春のオープン戦の頃も、思ったように球速が出なくて苦しんでいるって記事が出てたけど、ここまでヒドくはなかったはず。どうしちゃったんでしょうか。
文中にはフォーム改造の話が出て来ます。張投手が夏にイースタンリーグの試合に3ヵ月半も出て来なかった理由は、フォーム改造していたから、っていうことでいいのかな。球速が春に比べてもかなり落ちたのも、それが裏目に出たってことなんでしょうか。
後半のくだりは、9月初めの時点でもう張投手の解雇は決まっていたとも読めるし、9月の調子を見た上で許張どちらかを解雇にする予定だった、とも読めます。
許投手も久々に一軍で勝ち星を挙げたのが9月16日。もしこれで結果が出てなかったら許投手のほうが解雇になっていたのかも。むむむ…。
(どちらか片方を解約、ってことは許投手は今年はもうセーフ決定?)
他にも記事はいっぱいありますが、とりあえず今日はここまで。
(趙士強サンが何しに日本に来たのかもちょっと気になる。ニワトリ君の売り込みか?)