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カテゴリ:台湾棒球
パンチ佐藤こと佐藤和弘選手が都市対抗の本大会でサイクル安打を達成したことは、社会人野球をある程度知っているかたならきっとご存知だと思います。大会プログラムを買うと毎年必ず巻末のほうに書いてありますから。
では、そのサイクル安打のときの相手投手は誰? 4本とも同じ投手から打ったんだそうですよ。 答えは郭進興投手なんだそうです。 当時、ヨークベニマルに在籍していた台湾人選手。 後に台湾にプロ野球ができると帰国し、20勝を二度挙げて2年連続のシーズンMVP。 潘威倫投手に抜かれるまで、シーズン開幕14連勝、年度またいで15連勝、海外プロ経験のない投手での最高額給料(38.5萬元)といった記録を持っていたそうです。 ![]() 届いたばかりの今月の「職業棒球」を開いてみたら、郭進興投手のことが載ってました。曹錦輝投手と張誌家投手(←下のほうにちょっと見える)と一緒に取り上げられているので、まぁそういうことなんですが。 社会人時代の郭進興投手のことは興味があって前に少し調べたことがあるので、今日はそれで。 郭進興投手がヨークベニマルと契約したのは1986年9月のことだったそうです。 [記事]中華成棒赴美訓練比賽 出戰蘇利文隊贏了三場(聯合新聞網)(big5)(1986/7/10) 当時23歳。すでにこの時点で7度も台湾代表に選ばれており、1984年の第28回世界選手権で台湾がキューバに勝った(7-4)ときの勝利投手でもあるのだとか。 記事中、ヨークベニマルは「伊藤榮堂」と書いてあります。 本来、「伊藤榮堂」というのはイトーヨーカドーのことだそうです。ヨークベニマルとイトーヨーカドーは鳩が飛んでるマークの色違いで、グループ企業なんでしたっけ。 で、ご本人曰く「伊藤榮堂」の待遇は契約金300万円、年俸380万円で2年契約。 少なくとも今の規約では社会人野球では契約金を出してはいけないはずなんですが、台湾人選手はだいたいみんなもらっていたのだとか。その後、4年間プレーすることになります。 当時は台湾にまだプロがなかったこともあって代表級の選手がたくさん日本の社会人でプレーしていて、ヨークベニマルにもすでに台湾人選手では葉福榮投手と、のちに職棒の本塁打記録を作る林仲秋選手がいると書かれてます。葉福榮投手と入れ替わる形での入部となったようです。 (葉福榮投手もその後、統一獅に入団して3年間プレー) で、郭投手が実際に日本でプレーを始めたのは翌年の1987年から。 そしてその年の都市対抗の一回戦。 NTT関東を相手に2安打完封勝利。 ![]() 当時は金属バット、完封試合そのものがなかなか出なかった時代のはずなのに、たったの2安打。しかも二塁も踏ませなかったんだって。 とはいえ、来日して最初から結果を出していたのではなかったそうで、初登板だった5月のベーブルース杯は3回KO。都市対抗予選でも5回も持たなかったとか。 それでも都市対抗初戦の先発を任されたんだから、調子が上がっていたということなのでしょうか。この年は屋根のない後楽園球場で最後に都市対抗が行われた年で、「暑さ大好き」「南の国から来た23歳の新人が、暑い後楽園の本番で快投」と、紙面には書かれています(この試合は打つほうでも4打数3安打)。 この後は二回戦、準々決勝でも先発しましたが白星はつかず、この年はベスト8で敗退。でもこれはヨークベニマルにとって初のベスト8。林仲秋選手は3試合連続本塁打。 なお、郭投手は郡山市内のヨークベニマル富久山店に、林仲秋選手と一緒に勤務していたそうです。ゴージャスな店だこと。 もう少し続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年01月16日 22時30分13秒
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