身体・感覚とアート

2005/08/03(水)13:02

「学問は驚きだ。」:川勝平太

時代を眺める(12)

『日本は「力の文明」を目指した時代を卒業して、あえていえば将来の「美の文明」にむけた移行期に今ある』 そう語るのは、4人目の学者、国際日本文化研究センターに勤務する川勝平太氏です。 『「学問は驚きだ。」糸井重里著 ぴあ出版』 日本の新しいビジョンを提供してくれています。 戦前、中国からさまざまな文化を吸収していた東洋の端っこの国、日本。 その日本は西洋と出会い、さらに第二次世界大戦で敗戦後、アメリカと深い関係を持ちます。 『敗戦の直前まで、竹やりと大和魂でアメリカ軍に対して最後まで抵抗すると思っているひともたくさんいたようです。その実効性がないということを知っている人も当然たくさんいたと思いますけれども。  ところが、アメリカが上陸してきた途端に、今のイラクで起こっているのと違って、日本人はだれもがなぜアメリカに負けたかがわかった。物量がもうぜんぜん違う。アメリカは豊かである。日本人のように質素倹約をして、大和魂で竹やりで戦うなどということはほんとうに論外であったということが、誰にもわかった。  負けた理由がわかったから、その原因を取り除くという目標ができました。』 勤勉が国民性といわれる日本は、せっせと西洋的な視点を取り入れていき、その物質的な側面の頂点が80年代のバブルであったと川勝氏は述べています。 『歴史的にいえば、あのバブルは、日本経済の発展の一里塚として、あってしかるべきものだった。お祭りであった。祝祭であった、宴であったと考えています。』 そして、今の日本は 『東洋文明と西洋文明を全部入れ込んで、それを日常化しているのが二十一世紀を迎えた日本です。日本は人類最高の文明を取り込むという歴史を歩んできた、とまとめ返すことができるでしょう。』 と述べられています。 なんだかこれを読むと元気がでますね。 そして、実は、日本は独自の文明モデルをひとつすでに持っているのだと書かれています。 それは、「江戸時代」です。「美」の文明です。 『自立した江戸時代に日本にあった固有の、一種、なんといいますか。非合理な、世界観、自然観が形になって現れているのです。それは何かというと、経済力とか軍事力とは違う。わたしはこれを日本人固有の「美意識」とでもいえるものかなと思うんです。』 『江戸時代に、鉄砲を使っていますか。使っていません。江戸時代に鉄砲はあったのです。しかし、獣を近づけないためのおどし鉄砲です。鉄砲を使って内乱が起こらない。武士は鉄砲のようなものは、飛び道具であり、飛び道具を使うのは卑怯だということで使わない。二本差しでしょう。  しかし、日本は火器をつくる技術を持っていました。その技術をどうしたかというと、花火に変えました。つまり。軍事用の火器を平和利用に変えたと言えます。ともかく、後代の歴史家が「パスク・トクガワーナ(徳川の平和)」と言う時代をつくりあげ、国土の全体としてのたたずまいが、内戦もなく平和で、見た目にきれいになったのです。』 パワーさえも美に転化する日本独自の「美」の感覚を、現代に生かすには、どのような戦略をたてたらいいか? 川勝氏は地方分権により、それぞれの独自の「美」を追求することを提案しています。 南北に細く長く広がった日本は、多様な環境に合わせてたくさんの「美」のモデルを提供できるに違いない、と述べています。 今までの日本の歴史の見方をちょっと違う切り口で眺めると、未来もまた違う切り口が見えてくる・・、そして、なんだか元気になります。

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