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MoMo太郎日記

2021.12.09
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テーマ:ぶらり見て歩き
カテゴリ:旅の重さ
旧東海道を歩いて行くと街角に掲げられた六郷の渡しと旅籠町の説明板がありました。

多摩川を渡る国道15号線の六郷大橋です。

落書きが目立つ川崎市の設置した説明板によると、

慶長5年(1600)徳川家康は、六郷川に六郷大橋を架け、以来修復やかけ直しが行われていました。しか し元禄元年(1688)7月の大洪水で六郷大橋は流され、幕府は架橋をやめ、明治に至るまで船渡しとなったそうです。

欄干にある渡し船のモニュメントです。

こちらは下流側にある同じ渡し船のモニュメントです。

六郷橋の上から多摩川の上流側を見ました。トラス橋は京浜急行と東海道本線の六郷川橋梁になります。また、途中まで低水敷の護岸工事がされていました。

橋の下流側を見てみると、これも六郷橋の手前で低水敷の護岸工事が終わっています。
つまり、六郷橋を挟んだ区間は低水敷の護岸は後回しなんでしょうかね。

多摩川の堤防のすぐ脇を京急の大師線が通っています。多摩川の堤防はしっかり補強しておかないと、このあたりに住んでいる人は不安ですね。

そして、長十郎梨のふるさとの説明柱が橋のたもとに建っていました。

川崎ではナシは江戸時代初期に川崎大師河原(川崎大師の東側のあたりで現在の川崎区出来野、)で栽培されていたそうですが、江戸時代中期の寛政時代から本格的なナシの栽培が始まり、最初は川崎区の方から栽培がはじまり、中原、高津、生田と多摩川を上るように栽培地が広がっていき、大正時代には川崎は関東におけるナシの一大産地だったそうです。

さて、長十郎梨は、明治26年(1893)に大師河原町の当麻辰次郎氏のナシ園から他のナシとは違う品種が発見され、当麻辰次郎氏の屋号「長十郎」をとって、長十郎梨と名づけられたそうです。

ところで、川崎市のナシ栽培ですが、昭和38年(1963)には栽培面積は125haまで伸びましたが高度経済成長により減少して、現在は中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区の約30haで栽培されています。

明治天皇も明治元年(1868)には、江戸に移るためにこの六郷の渡しを渡ったので、「明治天皇六郷渡御碑」が建立されています。

側面には当時の渡御の風景が描かれた浮世絵から起こしたレリーフが埋め込まれていました。写真が上手く撮影できなかったので、載せていませんが、船を並べて橋のようにして前後を官軍の兵士で固めて陛下は輿に乗って川をわたったようでした。おそらく元図は武州六郷船渡図(→→→こちら)だと思われます。

こちらは「大師の灯籠」呼ばれています。

ちょっと川崎大師からは離れた場所にあるこの川崎大師を示す灯籠。六郷橋を渡ってきた参詣者の方への道案内だったのでしょうかね。

(川崎を歩いて知ったコースです)

【つづく】


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川崎を歩いて知ろう(その3) 六郷の渡しと長十郎梨






Last updated  2021.12.09 00:10:07
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いわどん0193@ Re:川崎を歩いて知ろう(その3) 六郷の渡しと長十郎梨(12/09) New! >現在は中原区、高津区、宮前区、多摩区…
Saltyfish@ Re:川崎を歩いて知ろう(その3) 六郷の渡しと長十郎梨(12/09) New! 長十郎梨・・・ここが故郷だったのですね…
dekotan1@ Re:川崎を歩いて知ろう(その3) 六郷の渡しと長十郎梨(12/09) New! 渡し船のモニュメントは興味がありますね…

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