2017/05/16(火)00:10
全国総本社「水天宮」(その3)
水天宮についての案内板がありました。
水天宮の境内には、もうひとつ真木神社というのがありました。
この神社に奉られているのは、真木 保臣(まき やすおみ 1813年4月7日~1813年4月7日)という人物です。江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家だった人です。
もともと、水天宮を開いた按察使局伊勢(改名後は千代)は、中納言 平知盛の孫、平右忠を跡継ぎとして養い、現在に至るまで子孫が代々宮司職をつとめている。その子孫で水天宮の第22代宮司がこの真木保臣です。そして、その銅像が境内に建立されています。
神官でありながら武将のいでたちをしているのは、激しい動乱期に勤王派の旗頭として、最期は禁門の変(蛤御門の変)に長州藩とともに主戦派として参加し、敗北したのち会津藩と新撰組の追撃を受け爆死自害したことに因むのでしょうか。
また境内には、その尊王攘夷の思想を久留米藩主有馬慶頼の怒りを買い、久留米より離れた下妻郡水田村(今の筑後市)におよそ10年に渡って蟄居させられたそうです。その時に住んでいた山梔窩(くちなしのや)の建物が復元されてて境内にありました。この山梔窩には筑前福岡藩士の平野国臣、庄内藩士の清河八郎などの尊王攘夷派テロリストが訪ねてきているそうです。
造反有理とはいのでしょうが、こういう幕末の志士という人も、今風にいえば、テロリストですね。こういう人も神社に奉られるというのが、日本人の懐の深さですかね。
【つづく】
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全国総本社「水天宮」(その3)