テーマ:九州発見♪(524)
カテゴリ:九州ぐらし
(この記事は平成29年7月5日から6日に九州北部地方で発生した九州北部豪雨災害の前に訪れた時のものです。被害に遭われたみなさまには心からお見舞いを申し上げます。)
柳川市大和町皿垣にある慶長本土居跡と江越八幡海岸灯台に行ってきました。 慶長本土居とは、 筑後藩主田中吉政(たなかよしまさ)は、大川新田(大川市)から柳川~渡瀬(わたぜ/三池郡高田町)までの有明海沿岸32キロメートルに及ぶ慶長本土居を築きました。このうち大川新田から鷹尾までの25キロメートルは、山門(やまと)・三潴(みづま)・下妻(しもづま)3郡の領民を総動員して、慶長7年(1602)8月6日から8日までのわずか3日間で完成させました。吉政は佃町(つくだまち)新田の潮止め口の完成後、慶長12年(1607)に本土居上に新田龍神の石の祠(ほこら)をつくり、田33アールを寄進しました。( 柳川市ホームページより引用) つまり、有明海沿岸に堤防を構築して海潮の侵入を防ぎ、湿地・干潟地を農地に開発したという歴史的な土木施設です。 こちらは隣にある江越八幡海岸灯台の説明板です。 これは、この土地の漁師たちが、船着場の目標にしていたと云われる常夜灯(灯台)であったそうです。 右が江越八幡海岸灯台です。左は龍神宮社と書いてありました。 上の写真の後ろにある高架道路は有明沿岸道路です。この道路があるあたりに慶長本土居跡があったそうで、江越灯台付も本土居上に立っていたが、沿岸道路建設のため現在地に引っ越してここに灯台公園として整備されたそうです。 しかし、この龍神さまが奉られている理由は不明です。 こちらが、江越八幡海岸灯台です。明治12年8月の紀年銘があるそうです。 人気ブログランキング 慶長本土居跡と江越八幡海岸灯台 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おはようございます
当時としても驚異的な期間で作りあげたのですね。 (2017年08月17日 07時11分20秒)
おはようございます。
柳川市ってどじょうで有名じゃなかったですか。 慶長本土居跡と江越八幡海岸灯台の歴史的な土木施設の名残が残されているんですね。 (2017年08月17日 08時52分40秒)
先人の苦労によって、今があるのですね。
(2017年08月17日 09時24分46秒)
( ゚▽゚)/コンニチハ
いつもありがとうございます♪♪ 有明沿岸道路はよく利用します(*^▽^*) 今日も暑いですが水分補給を忘れすに〜P☆応援 (2017年08月17日 13時20分36秒)
MoMo太郎さん
こんばんは。 夏休みも後半、関東地方は天気の悪い日が続いています。 南の方は、大雨で中々大変のようですね。 柳川市は、やはりドジョウで有名な地区ですよね。 埋め立てで、こんなな書に灯台があるのも不思議な感じですね。 (^о^) (2017年08月17日 18時36分57秒)
何かぁ、いろいろ歴史感じる場所たくさんですねぇ。
(2017年08月17日 20時29分53秒)
こんばんは
返事です 都バスの場合、車椅子と同じで椅子を上げて固定する場所があります。 車椅子は固定されたのを見かけた事ありますが、ベビーカーが固定されたのを自分は見かけた事ありません。 運転手がその作業をするので、状況を見て運転手の中にはベビーカーを固定する方もいるのかもしれませんね。 (2017年08月17日 21時45分39秒)
九州って美しいですね。
道路の傍らにこういうものがあるなんて歴史の宝庫だし、いいなー。最近歴史に目覚めた初心者です。 (2017年08月17日 22時46分53秒)
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