テーマ:九州発見♪(524)
カテゴリ:川の流れに
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。
三連水車のある堀川用水の管理者がこの「山田堰土地改良区」だそうです。 その名前の通り、堀川用水へ送られる水は、朝倉市山田にある、山田堰により筑後川から取水しているのです。 堰といっても、久留米にある筑後大堰や夜明ダムように川を横切って作るなものではなく、下の写真のような、筑後川の真ん中に石で造られた堰です。 こちらは水を取り入れる取水口から撮影した写真です。 大小の石を水流に対して斜めに敷き詰めることで、筑後川の勢いを抑えつつ用水路に水を導くという構造での堰で、1790年に完成し、その後何度も補強工事が行われたが、全体の形や石はほぼ当時のままだとか。 しかもこの山田堰、かんがい施設として世界が注目している技術だとか、特にアフガニスタンでは日本のNGOがこの山田堰をお手本にかんがい施設を建設しているそうです(→→→こちらです)。 農業にとって水は大切、そんな感じで水神社も山田堰の敷地に建立されていました。 そしてこれが水神社の社殿です。 また、ここ山田堰の近くには、「木の丸公園」という公園があり、下の写真の小倉百人一首・第一番の歌が刻まれた万葉歌碑がありました。 百人一首の第一番といえば、天智天皇のこの和歌。 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 ですね。 これは、山田堰の近くに、恵蘇八幡宮 木の丸殿跡と御陵山という遺跡があるそうです。 661年、女性天皇、斉明天皇(→→→こちらです)が百済救済のために朝倉橘広庭宮に移られて、75日間の政務の後、崩御された場所とされる朝倉橘広庭宮と思われるのが、「恵蘇八幡宮」。また天皇の御遺骸を仮埋葬したところが「御陵山」、皇太子中大兄皇子(後の天智天皇)が母斉明天皇の冥福を祈り喪に服したといわれている場所が、御陵山中腹の「木の丸殿跡」といわれているそうです。 そして、筑後川の流域を紹介する看板もありました。 今度は源流を探しに行ってみようかなと思うMoMo太郎でした。 【つづく】 筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。 筆者註:山田堰を撮影したのは2017年7月5日の九州北部豪雨以前です。 人気ブログランキングへ 筑後川を行く(その15) 山田堰 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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