テーマ:関西ぶらぶら歩き(21)
カテゴリ:旅の重さ
心斎橋はもともと長堀川に架かっていた橋の名前だそうです。1622年(元和8年)に長堀川の開削と同時に架けられたといわれています。長堀川を開削した4名のうちの1人、岡田心斎が長堀川の両岸の往来のため、南北に橋を架けたことが名前の由来だそうです。つまり、補償工事のようなものですね。
その後、1873年(明治6年)に鉄橋になったそうです。しかし、その鉄橋も1908年(明治41年)に心斎橋としての役割を終え撤去された後、境川運河の境川橋、1928年(昭和3年)に大和田川の新千船橋(大阪市西淀川区)と移設を重ね、1973年(昭和48年)に鶴見緑地にすずかけ橋として保存され、1989年(昭和64年/平成元年)に鶴見緑地公園の緑地西橋としてまた移設されたそうです。 心斎橋の方は1909年(明治42年)には石造橋に架け替えられ、1962年(昭和37年)に長堀川が埋め立てられて撤去されたのですが、モッタイナイ精神の溢れる大阪の町らしく、1964年(昭和39年)には長堀通を横断する歩道橋として移築されています。 MoMo太郎も、この長堀通に立派な石造りの歩道橋があったことを覚えています。 さらに、この石造りの歩道橋は、地下鉄長堀鶴見緑地線の工事のため撤去されたようですが(この頃は大阪にいなかったので、よく覚えていません)、1997年(平成9年)に長堀通りの下に地下街のクリスタ長堀が完成した際、もとの心斎橋の位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元されたそうです。 下の写真が、復元されたガス灯と石造橋の一部です。 こちらがガス灯ですね。 橋の親柱もそのまま使われています。 こちらは古い仮名遣いで表記されています。 明治42年の年号も刻まれています。 車道側に、心斎橋の由来が記された銘板も残されていました。 こちらは長堀通の南側、島之内がわの心斎橋筋商店街の入り口です。 島之内側には、大丸やそごう(今は撤退して大丸がその建物を使っています)といった百貨店や専門店、そして高級ブランドのエルメス御堂筋店やルイ・ヴィトン大阪心斎橋店などが並んでいます。このまま更に南へ下ると、阪神タイガースが優勝すると人が飛び込む名所の道頓堀川架かる戎橋を経て南海難波駅に至ります。 さて、帰りの新幹線の時間もあるので、このあたりで心斎橋筋から離れます。 【つづく】 人気ブログランキング 神戸・大阪へ行ってきました2020(その6) 心斎橋という橋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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