テーマ:歩いて愉しむ東京(898)
カテゴリ:駅間歩き
まだまだ遠い茗荷谷駅ですね。
国際仏教学大学院大学の脇の坂道を登って、春日通りの方に向かうことにします。 国際仏教学大学院大学の校舎を見ながら、坂道を登って行くと、 右手は金富小学校の校舎になります。 この坂道の名前は今井坂(新坂)というそうです。 『改撰江戸志』には、「新坂は金剛寺の西なり、案(あんずる)に此坂は新に開けし坂なればとてかかるなあるならん、別に仔細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711~16)開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。 『現在「国際仏教大学院大学」になっている。』のところは後から修正したようになっていますね。つまり国際仏教大学院大学は平成13年以降に出来たもので、それ以前は「財務省の宿舎」だったそうです。 さて、坂の途中で、また丸ノ内線を跨ぐのですが、その跨線橋の手前にまた看板が。 ここが、「徳川慶喜終焉の地」だそうです。 徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜は、水戸徳川藩主斉昭(なりあき)の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現在の小石川後楽園一帯)で生まれた。 【つづく】 人気ブログランキング 駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その21) 今井坂と徳川慶喜終焉の地 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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