テーマ:ぶらり見て歩き(684)
カテゴリ:旅の重さ
取手は水戸街道の宿場町だったそうですね。この道がかっての水戸街道になります。
ということで、旧取手宿本陣染野住宅(→→→こちら)が残っています。茨城県指定文化財です。 本陣とは、江戸時代の宿場町で、身分が大名や旗本、幕府役人、勅使、宮門跡らが利用した宿屋さんですね。 こちらが染野住宅の表門になります。 取手市教育委員会による旧取手宿本陣染野住宅の説明がありました。 千住と水戸を結ぶ水戸街道の取手宿は、千住から数えて6番目の宿場になります。 貞享4年(1687)、代々取手宿の名主である染野家は水戸徳川家から本陣に指定され、歴代の水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たちが、宿泊や休憩に利用していたそうです。 ちなみに、水戸徳川家は参勤交代がない定府大名でしたので、水戸藩主はそう利用することはなかったと思いますが、家臣の利用は多かったかもしれません。また、奥州にある各藩の大名たちも利用することも多かったのでしょう。 こちらが本陣として利用した玄関。なかなか堂々としたものですね。 大名などの身分の高い宿泊者は、ここに駕籠を横付けしてここから建物の中に入ったんですね。 染野家は明治11年3月に、現在の特定郵便局長にあたる五等郵便取扱役に任命されたので、この建物を郵便局として利用したため、このような郵便窓口かあります。 こちらが染野家の住人が出入りしていた玄関だそうです。 建物の内部です。太い梁が3段になっていました。 竈(かまど)ですね。 こちらは染野家の茶の間ですね。奥のテレビではこの建物の修復過程が紹介されているビデオが流されていました。 街道沿いだけに歴史のある建物が並んでいました。 明暦元年(1655)以来日本酒を醸造している田中酒造店(→→→こちら)です。 創業が明治元年(1868)創業の新六本店(→→→こちら)です。 茨城なのに奈良漬が名産とは意外ですね。まあ、「奈良漬」というものが地域団体商標(→→→こちら)でなくウリやキュウリ等の野菜の粕漬けことを普通名詞として奈良漬ということなんでしょうね。 この蔵で、茨城県取手産の奈良漬けが作られているのですね。 (アートのまち取手のコースです) 【つづく】 人気ブログランキング 常磐線沿線物語 取手編(その7) 宿場町です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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