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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場している静御前。
源義経の内妻であった静御前の墓が埼玉県久喜市栗橋にあります。所在地はJR宇都宮線・東武日光線の栗橋駅東口を出て北に少し歩いたところにあります。 ![]() これが静御前のお墓です。 ![]() 伝承によれば、静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年(1189)9月15日に栗橋の地で亡くなったと言われています。かってここに高柳寺と呼ばれる寺があったので、静御前は寺の境内に埋葬され、墓上には杉の木が植えられました。その高柳寺はその後、中田(現在の茨城県古河市)に移転し、光了寺と名を改めています。 静御前の墓が残されましたが、墓に墓標がなかったため享和3年(1803)に勘定奉行・関東郡代であった中川飛騨守忠英により建立されました。 そのような話がこの看板に記されています。 ![]() また、この墓の周りにはそのほかにも石碑が建立されていました。 これは、「静女家碑」(せいじょちょうひ)という石碑で、明治時代の漢学者の岡 鹿門(おか ろくもん)(→→→こちら)の撰文による石碑です。静御前のことを漢文で記しているようです。 ![]() こちらの石碑は、江戸時代の歌人、坐泉がこの墓にきて静御前の亡きあとを思い 「舞ふ蝶の 果てや 夢見る 塚のかげ」 と元禄のころ歌ったもので、それを村人が文化3年3月(1806年)に石碑として建てたものだそうです。 ![]() これは、静桜とよばれる桜の木で、静御前が義経を追って奥州に向かう途中、義経の討死にを知り、涙にくれた静は、一本の桜を野沢の地に植え、義経の菩堤を弔ったのが静桜の名の起こりといわれています。 ![]() 静桜は、里桜の一種のようで、ソメイヨシノのような一般の桜に比べ、花期の訪れが遅く、4月中頃から開花します。花は、5枚の花弁の中に、旗弁(はたべん)といって、おしべが花びらのように変化したものが混じる特殊な咲き方をするそうで、そのため、開花した様子は、一見、八重と一重が混じったように見えるそうです。 註1)参考にしたのは、久喜市のホームページにある「静御前の伝承(歴史資料でよむ久喜市ゆかりの人物ブックレット2)」(→→→こちら)です。 註2)ここに載せた写真は2014年12月に栗橋を訪れた時に撮影したものです。 註3)静御前終焉の地というのが、久喜市の他にも、岩手県の宮古市、奈良県大和高田市、山口県山口市阿東、福岡県福津市、香川県東かがわ市など全国各地にあるそうです。 ![]() 人気ブログランキング 静御前のお墓
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