カテゴリ:旅の重さ
さらに高砂緑地の園内を歩いてみると、松林が広がり、かっての茅ケ崎はこのような雰囲気で防潮林として松がたくさん生えていたんでしょうかね。
![]() こんな石碑がありました。 ![]() 石碑に刻まれていたのは、 元始、女性は太陽であつた。真正の人であった。 でした。 ![]() 平塚らいてふ(→→→こちら)と書いて「ひらつか らいちょう」と読むそうです。でこれはペンネームらしく、本名は平塚 明(ひらつか はる)というそうです。 隣りの撰文には、その平塚らいてふの時期が記されていました。 平塚らいてう(1886-1971) とありました。 ![]() さらに広い園内を歩いて行くと、 ![]() こちらにも石碑とその説明板が、 ![]() 石碑には「赤とんぼ作曲の街 晴朗な湘南茅ヶ崎の大気 南湖の居にて 山田耕筰記」と記されていました。 ![]() 山田耕筰(→→→こちら)といえば、日本人初の交響曲を作曲したり、日本初の交響楽団「東京フィルハーモニー会」を結成。日本での本格的な西洋音楽の導入に努めた人ですね。 そういう方が茅ケ崎に長く住まわれて、童謡「赤とんぼ」を作曲したんですね。 ![]() 下の説明板には、石碑の説明と赤とんぼの歌詞が載せてありました。 ![]() 松林の中あったこの四角い石は、 ![]() これは、明治30年代に、「オッペケペー節」で知られる明治の俳優、川上音二郎が愛妻の貞奴と暮らした住まいがこの地にあり、住居跡といわれる井戸枠だそうです。 ![]() 赤とんぼの唄、名曲ですね。 (茅ケ崎を歩いたコース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 湘南 茅ケ崎を歩く(その3) 高砂緑地の石碑めぐり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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