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カテゴリ:旅の重さ
丸墓山古墳を下りて、「さきたま古墳公園」(→→→こちら)の中を歩いて行きます。
さきたま古墳公園は「特別史跡 埼玉古墳群」を含む公園です。 昭和42年に文化庁の「風土記の丘設置構想」に基づいて史跡公園の整備に着手し、全国で2番目の風土記の丘「さきたま風土記の丘」として開園しました。そして、昭和51年以降は、史跡周辺を含めた都市公園「さきたま古墳公園」として整備が進められています。 公園の施設ではありませんが、公園に隣接してこちらの海東山天祥寺(→→→こちら)がありました。 ![]() このお寺、なかなか歴史のあるお寺で、お寺にあった天祥寺由来を見てみると、 奥平松平下総守家の藩祖松平忠明公(天祥院殿)が開基となり、寛永年間大和郡山に創建されたそうです。その後、松平家の移封毎に播州姫路、奥州白河、羽州山形、備州福山、勢州桑名等へ寺も移転したそうです。 奥平松平家は、9代目忠堯の代に、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩(行田市)へ移封、天祥寺も当地へ移転してきたということです。 ![]() 天祥寺の横にあるこちらも古墳です。 ![]() 墳頂には、かつて愛宕神社が座していたことがあるので愛宕山古墳というそうです。 ![]() 前玉(さきたま)神社へ向かう古墳通り(埼玉県道77号行田蓮田線)を歩いて行く途中から見えた、二つの山があるように見えた大きな古墳は、埼玉県最大の前方後円墳の二子山古墳(→→→こちら)です。 ![]() (行田を歩いたコース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキングへ 行田を歩く(その11) さきたま古墳公園 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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