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テーマ:歩いて愉しむ東京(1158)
カテゴリ:芸能スポーツ
吉原神社を出て、仲之町通りを北東方向、土手通りに向かって歩いて行くと、遊郭の町吉原の中心部に至ります。
ちなみに江戸の町の通な人は遊郭の街、吉原のことを「ちょう(丁)」、「さと(里)」、「なか(中)」と呼んでいたそうです。だから仲之町通りなんですかね。 そして、「江戸新吉原耕書堂」(→→→こちら)の前に出ました。 もちろん、これは江戸時代に蔦屋重三郎が営んでいた「耕書堂」が現在まで続いていたわけではなく、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の放送に合わせて期間限定で開設された「耕書堂」を模した観光拠点施設です。 ここではTシャツや文具、浮世絵などのグッズ類が売られていますし、観光案内もしてくれますが、 ![]() しかし、吉原にある、下の写真で見れるような、ちょっと趣向の変わったお風呂屋さんの案内までは、してくれないと思います。 ![]() こういういかがわしい雰囲気を感じるお店があるといのも、遊郭だった時代からの伝統なんでしょうかね。 ![]() そして、町全体ではこんな旗を掲げて、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」にあやかって盛り上がろうとしているんですね。 ![]() 「吉原大門(おおもん)と耕書堂」について説明した案内板がありました。 ![]() 吉原遊廓への入り口だった「吉原大門」があったところです。この門の前に耕書堂があったんですね。 ![]() 「よし原大門」と記された柱だけですが、かってはここに大きな木戸があって、遊郭と外界を仕切っていたんでしょうね。 ![]() 土手通りと仲之町通りの交差点にでると、柳の木があります。 ![]() これが、遊郭から遊び帰りの客が名残惜しく遊郭を振り返ったという「見返り柳」です。 ![]() 「新吉原衣紋坂見返り柳」と刻まれた石碑も建てられています。 ![]() また柳の下には案内板もありました。 それによると、かつては山谷堀脇の土手にあった柳が、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。そうです。 ![]() 土手通りという道路の愛称は、今は暗渠になったこの山谷堀の土手があったことからついているのでしょうね。 ![]() (吉原を歩いたコース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 大河ドラマ「べらぼう」の町(その4) 仲之町通り お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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