北関東の旅 東海村(その8) 村松海岸
大神宮の鎮守の森の中を抜けていきます。そうすると、松林の中を抜けていく白い砂の道がありました。「村松海岸砂防林造成の碑」(→→→こちら)というのがありました。景勝の地として知られているこのあたりは、集落が一夜にして砂に埋まったという千々乱風伝説が残っている場所でもあったそうです。大正時代になると,一帯には幅400~600メートルの広大な砂丘地帯が形成されていました。このままでは集落が砂に埋もれてしまうと危機感を覚えた村松村長は県知事に砂防工事の嘆願書を提出し,これによって,大正7年,村松海岸が国の「海岸砂防林造成に関する試験地」に選定されたそうです。その後,担当者に選任された河田杰農学博士の指導の下,大正時代終わりから3回に分けて植樹が行われ,のべ35年間,約2万3千人の村民の力により約184haの砂防林が完成したことを示す石碑になります。松林の間を抜ける白砂の道、海までは1キロメートルはあるそうですが、車の轍の後もあり、このあたりまで四輪駆動車かバイクで入ってくる人もいるんでしょうね。ようやく海が見えるところまで来ると、フェンスがありましたが、人は自由に行き来はできるよです。海岸に出ると太平洋の荒波が洗う砂浜でした。この北側に見える施設は、日本原子力発電の東海発電所と東海第二発電所の施設になります。望遠で原子力発電所の施設を撮影してみました。この煙突も原子力発電所の施設です。ここが中国なら、こんな原子力発電所の施設を撮影していたら、当局に逮捕されているかもしれませんね。南側に見えるのは、JERA(→→→こちら)の常陸那珂火力発電所の施設です。JERA(ジェラ)とは、。東京電力と中部電力との合弁で経営されている火力発電所の運営などしているエネルギー企業だそうです、ここも望遠で撮影してみました。石炭火力の発電所になるそうです。高い煙突がありますね。原子力発電所がなかなか運転できない今、こういう火力発電所に頑張ってもらって我々も生活しているんですね。太平洋の荒波、なかなかの迫力でした。この日は特別、波が高いのか、それともいつもこんな感じなのか。夢中で写真を撮影していて、膝から下を波で塗られしてしまいました。まあ、天気もいいので、歩いいるうちに乾くことでしょう。(東海村を歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅 東海村(その8) 村松海岸