大湫宿~御嶽宿(18km) 江戸の風が吹く?琵琶峠
連休中に二回目(5月2日)の中山道歩きです。前回区切った大湫宿までは釜戸駅からタクシーを利用しました。4kmの道は歩いて1時間、大湫からの下り坂は足がパンパンだったので、とてもあの坂を登る気にはなれません(∩´∀`)∩恵那駅~御嶽(みたけ)駅間の中山道はJR鉄道から離れ、地域バスもあてになりません。宿は細久手の一軒のみなので、行程を考えた方がいいですね。区切り歩きならば<深萱~JR武並駅>が徒歩30分なのでこちらの駅がお勧めです。釜戸駅前のタクシーは1台なので、確実に乗車したい方は予約がお勧めです。呼び出しには30分程かかることがあります。TEL 0572-68-6111 釜戸駅~大湫 約1500円~琵琶峠東口~大湫宿の高札場跡からスタート、車道を1キロ程歩くと琵琶峠に入る道があります。標高540m全長730m、江戸時代のままの石畳では日本一長いと言われています。明治以降埋もれていたものが昭和45年に発見され、峠を開いた時のノミの跡が残る岩や土留め、側溝も残されています。平成9~12年に整備されました。昨日降った雨で滑り易くなっていますが、しっとりした苔と石が素敵です。光がとどかない静かな雑木林の中、時折鳴きだすカジカガエルの声がオジサンが話しているようでドキッとします。東へ向かう男性とすれ違った場所がてっぺんでした。何も見えませんね~もぅ下り坂・・・この倍は歩きたい石畳です。~琵琶峠のてっぺん~くだりには<八瀬沢一里塚>がありました。10時、わずかな木の間から日が差し込んで神聖な空気が流れます。石畳の左と右に盛土した塚がふたつ、完全な形で残っています。一里塚には旅人が木陰で休むように榎などの木が植えてあることが多いのですが、この塚は林の中にあるためか木はありません。これが本物の一里塚なのですね~私が目にする一里塚は旧道の隅に石碑で残る<一里塚跡>、本物を初めてみたて感動しました。一里塚は街道の側に約4km毎におかれ、起源は平安時代に中国から伝わり、江戸時代には広く国中に整備されました。交通事情が発展して、塚は払い下げになったり、壊されたり崩れたり・・・消えていきました。この日は現存する塚をいくつも見ることが出来たのですよ。~琵琶峠西口~ 琵琶峠の下り道はモミジが青々として秋の峠を想像すると又歩きたくなる道です。静かな雑木林の道。タラの芽・コシアブラ・わらびを見つけながら歩きます。~弁天池~ひっそりとある浅い池には弁財天が祀ってあります。カキツバタが咲くと綺麗でしょうね。すぐ横に売りに出ている民家が1件、ここの休憩小屋でお昼にしました。誰が池を守っているのでしょう・・・~細久手宿~大湫宿から6km、細久手宿が見えてきました。自家米でしょう、盛んに田植えの準備をしています。H420mの山の中の宿場は1843年には戸数は65軒そのうち24軒が旅籠だったそうです。一本道の両側に民家が並ぶ細長い集落で、ひなびた感じがするが古い建物はほとんどありません。1858年に再建された<大黒屋>がこの辺りで唯一の宿ですが、写真で見るよりは小さく収容人数に限りがあるので、なかなか予約がとれないようです。~右手・細久手方面 左手に進みます~ゆるい下り坂を更に歩き、五差路になる平岩辻まで来ました。角に唯一の酒屋さんがあるので、ここで飲料を確保します。~秋葉坂の三尊石窟~もぅひと踏ん張りの上り坂ですが、足元ばかり見ていたので石段の上にある石窟を見落とすところでした。馬頭観音や観音坐像が祀ってあります。~鴨之巣一里塚~こちらの一里塚も左右ふたつ揃って現存しています。塚に木が植えてありますね。~豪商屋敷跡から見下ろす~長い山道を抜けて、津橋集落が見えてきました。坂を登り峠を越えて集落、また坂を登り峠を越えて・・・を繰り返して歩いてくると屋根が見えるとほっとしますね。あの小高い山には皇女和宮の御一行が休憩した御殿場跡があり、そこを越えたら次の宿です。~ラ・プロバンズ~御殿場跡の前には地元で有名な喫茶店があるので、順番待ちの人がいっぱいで賑やかです。ゆっくり腰をおろしたくなって長いティータイムとしましたが、やっぱり評判どうり2時なのにケーキは売り切れです。「次回は是非ケーキの予約をしてくださいね。取り置きしておきます♪」・・・なるほど。~謡坂の石畳~旅人が自分を元気付けるために歌いながら登ったという石畳の坂は綺麗に整備されていています。さて、この坂を下りたら住宅街です。~御嶽宿~急な車道を下ると国道21号線。さっきまでの林道から一気に現実に飛び出したようで、(あ~、これが現代の中山道かぁ)と思いながら重い足をだましだまし歩いて名鉄・御嶽駅を目指しました。