御嶽宿~鵜沼宿(21km) 木曽川土手をだんだん、だん。
梅雨に入り歩ける日が限られてきました。晴れても暑すぎるので、10月まではウォーキングは控えるつもりです。中山道も平地歩きになって、交通や飲食には困らないけれど古を感じる風景は減って、すっかり街歩きになってしまいました。名鉄広見線の終点<御嶽駅>から始めます。里山を走る赤い電車、地元のみなさんが存続を願う大事な足です。5月半ば、いよいよ日差しは強くなりこの日は28℃の予報でした。四国を歩いた時は25℃を快適に歩けるか否かの目安にしていました。吹いてくるかすかな風に期待しよっ。~道沿いの 鬼の首塚~御嵩(みたけ)は駅前の願興寺の門前町で栄え、江戸時代には旅籠が28軒600人ほどがすんでいたそぅです。江戸へ向かう旅人が険しい山道に入る手前の休憩所として沢山の人が利用しました。わたしは西へ向かうので町中の車道を進みます。21号線は車が多いですね~~左・21号線 右・中山道 ~わずかに残る旧道に入れば木陰がいくらかあるけれど、この日はずっと車道を歩きます。いままでの雑木林がなつかしいなぁ(*´ω`)まだ見えないけれど、北側には木曽川が流れています。8km歩いて伏見宿。樹齢200年の松を真ん中に整備された休憩所は2008年に建てられ、充実したトイレ、板張りの東屋もありぜひゆっくりしてほしい所です。四国歩きなら野宿に絶好の場所ですね。~一本松公園~広い道と交差すると食事処が並んでいるので早めに昼ごはんにしました。中華<黒龍>のランチ、電車なのでビールも少々、高カロリーを補充してこの後も歩きますよ~~太田橋~ 中山道の三大難所は<木曽のかけ橋><太田の渡し><碓氷峠>と言われました。木曽川の急流で川底も深い太田の渡し。江戸中期に船着き場が出来た<今渡の渡し>は、太田橋がかかった昭和2年まで使われていました。太田橋は歩道のない橋だったので<危険>で有名でしたが、現在は歩道専用の橋が並行してかかっているので安心です。~今渡の渡し跡~橋から振り返って見おろすと船着き場に降りる石段が見えます。~太田橋を渡ると化石林公園~太田宿は1843年(天保)の記録では宿の長さ680m旅籠20軒118戸505人が住んでいたという。今は21号線が北を走り、車道と木曽川に並行する旧道は静かな通りです。宿の中ほどにある広い中山道会館でゆっくりと休むことが出来ました。太田宿を抜けたら木曽川に沿って下っていきます。車の多い21号線は避けて、土手の日本ラインロマンチック街道を歩きます。~会館広場のシンボルの榎と宿り木~さんぽをする人やサイクリングをする人がちらほら、のんびりした道です。坂祝駅までのつもりでしたが次の駅まで行けそうです。駅を過ぎると21号線に合流したので路肩を歩きます。単調な車道なので途中の<いわや観音堂>の看板に誘われて、脇道に入ってみました。坂を登って振り返ると今来た木曽川がひろがり、面白い岩の河原が見下ろせていい気持ちですよ。~だんだん、だん~岩肌にへばりつく様に建つ小さなお堂は、観音様を守る様に手前に祠が建ちそれをまた守る様にお堂が建てられています。そろりそろりと祠の向こうへ、岩のくぼみに並ぶ仏像を拝見したくて足を進めたのですが、何とも言えない雰囲気に押されて足がすくんで・・・後退。<いわや観音堂>お堂の背後の岩山は名鉄のトンネルが通っています。階段も鉄コツで補強してあり降りるとまた車道です。どんどんと川の流れとともに歩いて行きます。昭和に流行ったドライブインやスナックの廃墟、淋しい車道ですね。崩れかけた店の駐車場から階段を降りて水沿いを進むとうつつ峠に入れます。<岐阜のイノシシ>と言えば豚コレラで話題になりました。水辺にはイノシシの異動を止めるための真新しいフェンスが設置されていました。これを開けて車道をくぐって、線路を越えて・・・中山道はこんな形で残っています。この薄暗い山道はうつつ坂と呼ばれ、<うっとうしい><疎い>という意味があるそぅです。細久手宿から御嶽宿に向かう途中に同じ名前の<うつつ坂>がありますが、そちらは旅人があまりの急坂を歌いながら超えたことから<謡坂>と書きます。峠(140m)の上には広場があって、遊歩道を下ると公園や団地に続き、峠の手前と向こうでは随分雰囲気が違ってます。~うつつの登り坂~うつつ峠を越えたら住宅街を下り、鵜沼駅まで進んでこの日はおしまい。この続きは秋風の吹く頃、鵜沼宿からスタートです。