中山道 (河渡宿~赤坂宿)
コロナウイルスの流行で外出を控えています。日頃あまり気にしないたちですが、雨も降るし、去年歩いた中山道のことを書くことにしました。最近は他の方の所に訪問するのですが、すっかり更新はサボっています( ;∀;)日が長くなって暖かくなると歩きたくなります。でも・・・この後どうなるのでしょう?11月10日、すっきり晴れ!(^^)! 前回の続き<河渡宿>から歩きます。JR穂積駅から長良川沿いを北に歩き、渡し跡あたりで土手を下ると宿場に入ります。規模の小さい宿場ですが、増水で長良川が渡れない時は旅人が泊って賑わったそうだ。戦火による焼失や河川改修によってかつての面影はなく、静かな通りです。一里塚跡は先回見落としたのでこの日は気を付けて歩きました。宿の入口すぐの所にありました。~本田代官所跡~本田集落は短い距離でしたが代官所跡があり、いにしえ気分が味わえます。この日の道は子供の頃を思い出すような田舎の景色が続き、色づいた柿があちらこちらに見えました。樽見鉄道の単線をかわいい電車が走ります。河渡宿から4.5km、線路を渡れば美江宿です。この日はコンビニが無く、食堂もほとんどなく、駅も無人でトイレがありません。美江神社には古地図を用いた説明があり興味深いですね。(トイレ有)神社の前で道は枡形に南に折れ、辺りには旧庄屋宅、ひっそりとした静かな宿です。11時、お昼には早いのですが、この後ありつけないかも・・・と、匂いに釣られて今回もうなぎ屋さんでお昼ご飯にしました。奥さんの好みでしょうか、綺麗な店内、可愛いお膳で甘めのうな丼をいただきました。二つ目の角を西へ曲がると小川が流れています。絵の小川と同じ場所です。似ています!以前は湿地だったのか。今は田んぼが広がり左手には工場、竹やぶも笹だけですね。長良川を渡って関ケ原に向かう道、気持ちよく歩けます。稜線の右端が伊吹山、左端が養老山脈、その真ん中の低い所が関ケ原、その向こうに琵琶湖があり京へつながっています。濃尾平野の三大河川、3つ目の揖斐川を渡ると小簾(おず)公園があります。皇女和宮が将軍家茂公に御降家した際に揖斐川(いび川)を渡るときにこの辺りの紅葉の美しさを詠みました。昭和4年に造られた公園にはモミジが色づき、地元の方に大切にされているのがわかります。(トイレ有)<落ちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ>小簾公園から平井川沿いに西へ歩き、車道230の一本南側の旧道を歩きます。田んぼの中の住宅の割合が増えてきました。細い旧道の路肩を歩いて赤坂宿へ向かいます。美江宿から赤坂宿は8.7km。赤坂は江戸時代には杭瀬川のほとりに港が造られ水運で栄えました。名産の石炭や大理石、米や木材を伊勢湾に運び、300もの舟があったという。また赤坂は西国三十三観音寺巡礼の萬願寺・華厳寺に向かう巡礼客でも賑わいました。今はのっぽの火の見櫓の横に、オシャレな小さな公園として整備されています。かつての面影はないけれど、横にある駐在所を移築した<大垣市赤坂港会館>では赤坂の歴史を知る事が出来ます。(トイレ有)赤い丸い電球に誘われて中に入ると、係のおばさんが丁寧に説明してくれました。以前から気になって仕方なかった<金生山>のピラミッド?や、地名の赤坂の由来、海運の後の石炭産業の移行について聞くことが出来ました。スッキリ~この日は電車の都合でここまで、美濃赤坂駅から戻ります。東海道本線ですが支線なので本数がありません、どうぞお気をつけて。