中山道 浦和〜板橋宿 荒川越えてお江戸入りダァ
令和6年3月29日 金 風雨後晴れ浦和宿〜5.5k〜蕨宿〜9k〜板橋宿 計14.5k出発 12:00 到着 17:00宿 みかど旅館寒い日が続いて今年の桜は予報よりかなり遅れました3月の末に中山道を歩いたときの話です歩き始めた日に桜がやっと咲きだして、都会の桜も次々に開花していきました今日は夏日になる予報で、桜は葉桜になりつつありますさぁ〜今回で中山道上り編はゴール、と意気込んだけど夜中からの嵐にテンションだだ下り、予定より出発を2時間遅らせて、前回の続き浦和駅からスタートですが、名古屋の雨雲は一緒に関東へ流れて、折りたたみの傘は逆に折れ曲がりビショビショ、まるでマンガです(泣)駅西口にあるうなぎ屋で、風雨が収まるまでひと休み、早めのランチにしました 浦和はうなぎが有名で、駅周りにはいくつもの店がありますここは柔らかくて甘さ控えめな味で満足です余談ですが…うな重、おすすめの食べ順があるとかで、どの切り身からがいいかわかりますか?雨雲が切れそうなので、スタートします雲がどんどん流れ時折強い雨が降ってきます 浦和宿は江戸に近い為に規模は小さく、江戸時代は旅籠15軒の小さな宿場だったそうです〜調神社〜都心に向かうに従い古い石仏やゆかりの物は少なくなり、あらかじめ本でチェックしておかないと見落としてしまいますほどなく調(つき)神社平安時代からの租庸調の調(みつぎ)物を意味し、武蔵国の調はここに集められました調(つき)は月信仰に結びついて、狛犬もうさぎですね〜焼米を売る茶店があった、焼米坂〜旧道なので路肩が狭いですね〜〜辻一里塚跡〜古い建物がわずかに残っていますが、ガイド本がなければ気が付かずに通りすぎてしまいます一里塚跡はうどん屋になっていました〜蕨宿〜蕨(わらび)宿は1612年にでき、江戸に近いので素通りする旅人が多かったが、荒川を渡る戸田の渡しがあったため、雨が降ると足止めをされた人でとても賑わったそうです蕨(わらび)は、藁(わら)が燃える様の「藁火」が由来だとか〜荒川〜長い階段を上がり高い土手に上がると視界が一気に広がり、荒川です向こうは東京、日本橋はあとわずかです穏やかに流れてますが、水位が上がって土手が決壊したら付近一帯は3〜4mも浸水すると言いますマラソンする人、犬の散歩をする人、カヌーをする人、お散歩をする母子、みんな楽しそうです〜縁切榎〜戸田橋を渡ると太い道路を沢山の車が走る、とても規則的に、東京だ、お江戸なんだ〜荒川を超えた辺りから空は一気に晴れ渡り、気温はどんどん上がっていますちょうどこの時くらいに、やっと関東にも桜の開花が発表されたのでした〜板橋宿 仲宿商店街〜並行して走る旧道・中山道は地元の人たちの生活の道、板橋商店街、仲宿商店街と続いてとても賑やかです昔、中山道を旅する人は日本橋ではなく、普通は板橋宿からスタートしたそうです宿は上宿、仲宿、平尾宿でなりとても栄えていました〜お米屋さん〜今までいくつもの宿場を見てきましたが、面影が無いところ、観光化されているところ、行政がなんとか保存しているところと様々ですでもここは、かつての賑わいが今に続く生活感のある、生きてる宿場!と感じましたもう17時、夕方の買い物かな?帰宅時間? 活気があって、あの店この店とのぞいてみたくなりますよ