2015/01/18(日)06:38
イスラエル露天商
以前一度書いたけど再度 「イスラエル露天商」 の話題をします。
日本の路上でアクセサリーやコピー商品を売っているのはイスラエル人。
彼らと出会ってイスラエルに来た日本人女性や結婚した女性も多いはず。
**2000年:ロレックスをつける私:狸小路**
ここ数年は日本もうるさくなり東京以北のイスラエル露天商を見かけることがない。
東京はホステスも含め一斉に掃除されたと聞いている。
私が長年住んでいた札幌もここ数年はイスラエル露天商がない。
私はススキノで長年ホステスをしていたが一切見向きもしなかった。
私の元旦那様もその中の一人だった。
しかし、私たちの結婚は単に彼のビザの問題だけ、それがなかったら結婚していない。
私たちの実生活は1年くらいだったと思う、今でも時々連絡を取合っている。
今じゃ、そんな彼も2児の父親。
その元旦那様、ふたを開けたらすごいやくざな人だった。
彼の青年時代の話を聞いた時・・・ まじですか?
こんな人と私は結婚したのと思った。
札幌とほか数か所のイスラエル露天商を仕切っていた男だった。
**1999年旦那様と私:ススキノにて**
しかし、この露天商って仕事は人を狂わせる。
旦那様が20代だった時、日本はバブル景気、1か月普通に実家に100万を送金してた。
実際彼が毎月どのくらい稼いでいたのかはわからないが、彼もイスラエルに
バスタ御殿を立てた一人だ。
バスタとはヘブライ語で露天商を意味している。
ジャパニーズ・ドリームじゃないが、10年以上まえはそうとう儲けていたと思われる。
このイスラエル露天商は日本に限ったことではない、全世界的な組織となっている。
いったいいつからそんな仕事をイスラエル人はするようになったのか?
私が知っている限りでは20年はさかのぼることができる。
アメリカ:イスラエル死海製品の露天商
ヨーロッパ:おもちゃ製品の露天商
オーストラリア:ホットドックの販売露天商
日本:アクセサリーとコピー商品
アーミーの学校を卒業したイスラエルの若者はこぞって長期の旅にでる。
メインはインドやタイなどの物価が安い地区に行く。
その旅の途中で旅費を稼ぐために日本へ来たりして露天商をしたりする。
**左の彼女:2002年露天商(6か月)に来ていた**
今はわからないが、私が旦那様とタイに行った時、
日本での仕事斡旋の紙が張っていた。
そうしてイスラエルのフリー新聞にも
「求セールスマン」、勤務地日本。。。。大笑い
短期で旅のついでにその国をみたい、ちょっと旅費も稼いで・・・
そんな感覚の人もいれば、お金に狂ってしまう人もいる。
私が知り合った四国で露天商をやっている彼は
「日本で金稼ぐ」そう思って彼女ときたらしい。
彼らは4年間で合計2,000万以上稼ぎ、やはりバスタ御殿購入資金にした。
彼らの選択に私は悪いとも良いとも判断はしたくない。
露天商から実際日本で店舗を構えた人もいる。
私が札幌で出会った8割がたのイスラエル人は日本(札幌)が好きだという。
この露天商がきっかけとなり日本に来たテルアビブ大学の学生。
彼はイスラエルへ戻ってから大学生となり日本語を大学で専攻している。
**1999年に露天商(3か月)できたいた女性**
露天商に来るイスラエル人みんなが仕事がないとか貧乏とかじゃない、
中にはお金持ちのおぼちゃまもいる。
けっこう普通の人が多かったりすることも確かだ。
(私の旦那様は生まれ育った地域自体が・・・マフィアの地域)
10年前に比べると日本の入管もそうとう厳しくなっている、
イスラエルの若者が日本で何をしているか入管もわかっている。
だから再入国を拒否することがある。
**2002年に露天商(2か月)で来ていた男性**
イスラエルでは露天商は普通にある、日本では道路交通法違反。
イスラエルではコピー商品を店で普通に売っている、日本では著作権違法。
日本の露天商はかならず 「893」 と繋がる。
しかしながら日本の 「893」 も甘い。
彼らがどれだけ稼いでいるか分かっていない、みな貧乏と思っている。
**2001年:元旦那様と私:ススキノにて**
この露天商の仕事を続けようとして再入国拒否されたイスラエル人もたくさん見てきている。
既に一つの風景となってしまったイスラエル露天商、
それがないのもちょっとさみしい感じがする。
日本の路上で露天商にあったら「シャローム(こんにちわ)」と声を掛けてあげてね