カテゴリ:イベント、パーティー
私の人生で最高に生意気で、高飛車でパーティーガールだった時代のご紹介です。 つい先日から日記の上部に飾っている写真の彼、彼の追っかけをしてはや約17年。 それはそれは、17年もたつとお互い年をとったなと思います。 去年、私は彼のテルアビブでのパーティーを逃してしまいました。 お財布には30シェケル。。。悲しいですね。。2008年04月25日参照 ちょっと先日気になって彼のサイトを見てみた。イスラエルに来ることが滅多にない彼、 『あ、あ、あ、あ、あ、あぁ~~~、来るのね、しかもゲイパレードの日』 このゲイパレードパーティーのために彼がゲストDJとして呼ばれたのですけどもね。 本人はいたってストレートで、吉野家の牛丼が好きな人なんですけどね。 ※ちなみに彼が創立した会社DEF MIXの社長はユダヤ人です fufu (^^) ※ 田舎者の私が札幌に出て来た当時、 当時はマハラジャ:: MAHARAJA:: が一世を風靡していました。 私が若かったころは『ディスコ』と言われているた時代です、バブル世代の私はもちろん お立ち台 (ジュリアナ東京と言ったら、折口ですよ!!) も登っていましたが、 札幌はそれと同時にこの NY アンダーグラウンド・クラブがありました。 実は札幌って音楽とファッションの最先端だって知っていましたか?? 宇多田ひかるだって、FM 北海道が初めに仕掛けたことでした。 1988年;MAHARAJA Sapporo ディスコに行った帰りに、クラブに行くのが定番で、たった3歳くらいしか離れていない お兄さん、お姉さんがとてつもなく格好良く見えて、すごい年上に見え、 ディスコ遊びをしているのが子供に思え、 彼らから聞く、ニューヨーク情報はとてもキラキラ、ワクワク、ドキドキだった。 坂本龍一ニューヨーク裏話とか・・fufu (^^) 今から20年ちょっと前は海外旅行だって、海外留学だって本当に珍しいことだった。 今はそんなワクワク、ドキドキのニューヨークはないんだろうなぁ~。 1992年;Al's Bar 彼、デイヴィッド・モラレス (プエルトリカン)、実は若いころ超不良でした。 ニューヨークの地下鉄にいたずら書きをしていた人です、 学歴がないから海兵隊に行こうとも思っていた。 そんな彼、今じゃ世界の有名人歌手からリミックスを頼まれる 超大御所のリミキサー & プロデューサー & DJ 元の曲の RIMIX (編集) が一つの作品として認知されるようになったのも、 グラミー賞にリミキサー賞ができたのってそんな古くない過去の話です。 1993年;Al's Bar 彼が仕掛けた REMIX はマドンナ、マライヤ・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、 ジャネット・ジャクソン、ビヨーク、ジャミロクワイ、U2、、などなどたくさんいます。 彼に初めて会ったとき、私はピアスの穴を耳に開けてもらった。 そのくらい大好きな人でしたから、英語を話すきっかけを作ってくれたのも彼でした。 60年代に生まれた私は、 ブラック、ソウル、ファンキー、テクノ、ハイエナジー、ユーロービートなどなど。 イスラエルはトランス・ミュージックの国なのですけど、 145回転数以上で脳に刺激を与えるだけの音楽は私にはつまらないです。 イスラエルで私が最も恋しい日本のものは、温泉とハウス・ミュージック!! 1996年;KING XMHU sapporo ゲイ達が大好きなアンダーグランド・ハウス・ミュージックは マドンナの♪ヴォーグ('90)が世界の火付け役となった、といってもおかしくないかもしれない。 実際ボーグが流行っていたころ中性的な格好をした男性がよく ディスコからクラブと名前に変更になった時代によくあらわれていた。 その後、日本にもアンダーグランド・ハウス・ミュージックのDJ達がわんさか来ていた。 1997年;TOYAMA で、私の大好きな David Morales も、もちろん仕事も兼ねていますので その年代年代に合わせた音楽スタイルとなってきています。 日本 (札幌、富山、東京、大阪) ⇒ ニューヨーク ⇒ イビザ ⇒ イスラエル。 私にとっては初イスラエルパーティーです。 どんなパーティーが待っているのか・・・とても楽しみで興奮しています。 その前に、ちょっとパーティー服を探してみようかと・・・fufufu まだまだパーティーガールは卒業できない私へクリックありがとうございました! ☆::David Morales:デイヴィッド・モラレス::☆ 日常の生活と音楽が密着した NY という素晴らしい環境で生まれ育ったデビッドは、当時デイヴィッド・マンクーソ (David Mancuso) が主宰する [The Loft] やラリー・レヴァン (Larry Levan) がレジデント DJ を務める [Paradise Garage] を中心にものすごい勢いで興隆を極めつつあった NY アンダーグラウンド・クラブ・シーンに深く感銘を受け、DJ としてのキャリアをスターとさせる。彼の若さ溢れる独創的な DJ プレイはすぐにNY中のクラブ・ピープルの話題になり、20才頃までには、マンハッタンのほとんどのクラブにゲスト DJ として招かれるほどの存在になっていた。そして若干21才という若さで [Paradise Garage] の DJ ブースに立つという名誉を手にする。 彼が手がけたシングル 「Do It Properly」 (87) のヒットがきっかけで、デイヴィッドの元にはリミックスの依頼が舞い込み始め、彼は自身のプロダクションを管理するマネージメント・カンパニーを設立する。若い頃から 「天才DJ」 の名を欲しいままにし、ダンス・フロアで踊るクラウドのツボを知り尽くしたデビッドの才能は、音楽制作で見事花を開き、独自のサウンド・プロダクション・スタイルを確立、に所属するフランキー・ナックルズ (Frankie Knuckles) 、サトシ・トミイエ等といった才能溢れるアーティスト達と共に、80年代後半から今現在に至るまで数多くのリミックス作品やオリジナル作品を世界中のダンス・フロアに送り込んできた。ハイ・クォリティーなブランドは音楽業界で絶大な支持を受け、デビッドの元にはメジャー・マイナー、そして音楽ジャンルを問わず、世界中のアーティストやレコード・レーベルからリミックスの依頼が殺到、文字通り“キング・オブ・リミックス”としてシーンに君臨してきた。1998年にはグラミー賞において 「Remixer Of The Year」 を受賞している。その後 THE FACE 名義でリリースしたシングル 「Needin’ U」 は、ビルボード誌のダンス・チャートにおいて見事首位の座を獲得したのみならず、UK のポップ・チャートでも8位を記録。 「NY DANCE MUSIC-HOUSE MUSIC」の歴史を作り、世界中のオーバーグラウンド/アンダーグランド・ダンス・ミュージック・シーンに多大な影響を与えてきたスーパースター・プロデューサー、そして世界一の売れっ子リミキサーである彼は、殺人的とも言える超多忙なスケジュールの合間を縫ってラジオ・ショウを手掛け、またDJとしても世界中からオファーを受け、イビザの [Pacha]、カナダの [Stereo] といった世界のトップ・クラスのマンモス・クラブで、新旧の NY サウンドをバランスよく織り交ぜた、アッパーで、カッティング・エッジな DJ プレイを披露している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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