2009/08/02(日)19:54
モサッドの真実は・・・えっ!!
【モサドの嫁真実を語る】
せっかくタイトルまで考えていたのに。
12日、火曜日の昼ちょっとまたその人と会っていたのですけども、
や~、どうしよう、モサッドさんと思って書いてきた日記。
・09年07月16日: 元諜報員:モサドの真実とは
・09年07月24日:モサッドさんと密会??
訂正しようかと思いながらも、いや、いいや!!!
元イスラエル諜報員、引退後はダイエットコークを飲んでいる。
ま~、そのままにしておこう
初めて電話で話した時から面白い人と思ったけど、
そんなジョークをオフェルさんと組んでいただなんて。。。
ちょっと今回は久しぶりに大笑いするくらいやられたって思いました。
しかし、実際ちょっと力のある方ですのでやっぱり何しているのか言えない。
そんな仕事なのでともかく何か言い案はないかと言うことでモサッドだったと。。
ってもさ、モサッドってのもないだろうって思うけどね。
あ~、せっかっく私は本を出版して余生を過ごそうと思っていたのに。。。。
先日姉が送ってくれた物資の中に本が数冊はいっていて、その中の本に
北海道新聞の切り抜きが入っていた、北海道新聞、もちろん母が切り抜いたものだ。
私の母は私をアリとキリギリスのキリギリス型人生だと。
まぁ~、当たっているのかもしれない、つまらない妄想、空想をして
勝手に楽しんでニタニタしているからね。将来ねお婆さんになったらどうしようか??
母は自分で事業をしている人なので特に私のような生活をしている人が嫌いなのです。
『ハビビ』な人々:ロバ中山のビンボー愉快紀行 61
「外こもり」の人々
タイの首都バンコクの「カオサン通り」は、今では日本でもすっかり有名になった「バックパッカーのたまり場」である。世界中の貧乏旅行者が集まって、日がなく一日をウダウダと過ごしている。日本人専用の宿屋日本食レストランも何件かあり、若者が集まってワイワイ騒いでいる。彼らのような人たちを「外こもり」というそうだ。 自宅の部屋から出てこないのは「引きこもり」で、外国に行ったきり帰ってこないから「外こもり」である。。
各国に「沈没宿」
かつては「沈没」と言った。旅行が目的なのに、居心地の良い町にズルズルと滞在を続けることである。カンボジアのプノンペンや、ネパールのポアラ、パキスタンのフンザ、エジプトのカイロ、トルコのイスタンブールなどにも、そういう旅行者が集まる「沈没宿」がある。たいがい物価が安く、気候温暖で、オネエチャンにも事欠かなかったりする。 こういうところに「沈没」している人たちは、たいがい日本でアルバイトをして、まとまったお金をためて海外旅行にやって来た人たちだ。例えば100万円あれば、ネパールなら少なくとも1年は余裕で遊んで暮らせるだろう。
彼ら「外きこもり」は、日本の経済力に裏付けられているのである。
こういう怠慢な連中を見て、おそらく多くの、真面目に働いている読者のみなさんは、腹が立るに違いない。働きもしないで毎日、遊びほうけているんだから、彼らに弁解の余地はない。
みんなの願望を実行
しかしみんな心のどこかで、羨ましいと思ってはいないだろうか。たとえ贅沢はできなくても一生遊んで暮らせるなら、それに越したことはないじゃないかと。彼らはそれを実行しているだけ、とも言えるのではないだろうか。
かつて、バンコクの名物宿「楽宮旅社」にあったといわれる、作者不明の有名な落書きがある。
金の北米、女の南米、歴史のアジア、耐えてアフリアカ、なんにもないのがヨーロッパ。豊かな青春、みじめな老後。
キリギリスのように遊びほうけている間も、「みじめな老後」は着実に忍び寄っている。彼らがそのことに気づくのは、いったいいつだろうか。
中山茂大・旅日記はhttp://www.jinriki.net/でも詳しく紹介しています。
※ハビビとはアラビア語で中の良い間柄を指す言葉※
(ハビビノ本来の意味はMy Love、イスラエル人も使ったりしますよ)
母にとってはこの連中と私は同一で、100万、パキスタンは2年以上暮らせるのでは??、
母にとってはパキスタンもエジプトもイスラエルも同じなんだろうな。
中山氏は自分も過去バックパッカーだったのに、で、北海道新聞の記事に載せている
イスタンブールとネパールの安宿写真、彼らから宣伝費貰っているの??
この安宿経営も日本人でしょ、それで経営者も元はバックパッカーでしょ。
バックパッカーがバックパッカーを食べ物にしているんじゃない??
最近出た本で、姉のコメントは
もう少し内容のある本と思って読んだが途中で読むのをやめました。
『イスラエル バックパッカー達のフィールド キブツの生活』
夢を抱き世界中から集まったさまざまな人生を背負った若者達がユートピアで目にしたものは?!河野元美、1980年前後、英語もできず30歳くらいでイスラエルのキブツ・ベイト・ゼーラに行き、イスラエルで8年間ヘブライ語の習得「農業共同体で」学び、脱日本をめざした著者の遺稿
うん、私も途中でやめました。
過去にキブツに住んでいた人にはそれなりに面白いのかもしれないけど??
1944年生まれ、2009年1月に亡くなった著書の奥様の自己満足本だと思います。
で、ユートピアで目にしたものは?? 当時の西洋人と日本人の羞恥心の違い。
しかし、それは過去の話で・・・・今はその羞恥心は???
やっぱ『モサドの嫁真実を語る』は・・・美味しいネタだったなぁ~。
バックパック背負ってナブルスなどのパレスチナ西岸地区に行きジャーナリスト気分で
『ナブルスの真実をみた』というよりは、モサッドの私生活のほうが
ワイドショーネタが好きな日本にはピッタリのお題だって思うんだけどね。
しかし、こんなに軽くBlogで口にしてしまう私は
やっぱりイスラエル諜報員と出会うことはないかもしれない・・・・。
ところで、たぶん母も姉も私はバックパッカーだって思っているのかもしれない。
一度もしたことないんだけどね、、体力ないし汚いホテル泊れないもん。
そんなバックパッカー??の私にクリックありがとうございました。