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2015/02/22(日)20:58

たったひとりの聖戦 1 オサマ・ビンラディン アフガンの荒野から孤独の荒野へ

パレスチナ・中東問題(54)

イスラーム国はアルカイダの派生だとか、 過激派テロ組織アルカイダとか 何か事件がおこると、アルカイダという名を見聞きする。 アルカイダから、オサマ・ビンラディン  前ブッシュ大統領の アフガニスタン紛争、イラク戦争う理由となった人でもある。 では、一体、アルカイダとは? オサマ・ビンラディンとは? 一樹さんが昨年の9月にFBで公表してくれた。 たったひとりの聖戦(1) オサマ・ビンラディン アフガンの荒野から孤独の荒野へ ロバート・フィスク著       安濃一樹訳                 . ロバート・フィスクはオサマ・ビンラディンを三回もインタビューしている。そのうち二度は招待を受け、アフガニスタンの秘密キャンプで面会した。最後に招かれたとき、アルカイダの首領はイギリス人ジャーナリストにある申し出を用意していた・・・。                . 序                . きっとこうなると思っていた。                .   一九九七年三月一九日、ジャララバード。ホテルのよく手入れされた芝生に出て、ピンクの薔薇が咲くあたりで待っていると、カラシニコフ銃を下げたアフガン人が現れた。男は私を車に乗せ、街を走りぬけていった。                .   あの夜、カブールへつづく道は幹線道路といっても名ばかりで、逆巻く大河を下に、散らばる岩やクレパスの口を避けながら進むありさまだった。遥かにつづく山々の峰が私たちを見下ろしていた。アフガン人はときおり笑いかけてくるが、何も話さない。笑顔で伝えようとしていることはわかった。おれを信用しろ。だが私は信じなかった。こちらもにっこりと微笑んで、うわべだけ気をゆるしたように見せかけた。                .   車の中にいても、河の音が聞こえていた。奔流が谷を穿ち、灰色の岩が広がる浅瀬を洗い、切り立つ崖を流れ落ちる。信用が売り物の男は、大きな岩の間を縫って慎重に車を走らせていった。裸足でクラッチを踏んで、ギアを巧みに切り替えていく。うまいものだ。まるで愛馬を励ましながら岩山を乗りこえてゆくようで、みごとな手綱さばきを見る思いがした。                . フロントガラスに白い砂が降り積もり、景色を淡くかすませていった。ワイパーが砂を拭うたびに、どこまでも焦げ茶色に染まった荒野が立ちはだかる。一五〇年前、エルフィンストン将軍が破滅へと行軍したとき、今とまったく同じ光景を目にしていただろう。                .   アフガン人は大英帝国で最強と讃えられた軍勢を全滅させた。戦場となったのがこの一筋の道である。そびえ立つ山の村々に住む老人たちは今でも、何千というイギリス人が死んでゆくのを見たという曾祖父の話を覚えている。ガンダマクの岩が黒いのはイギリス人の血に染められたからだ、と語り継がれてきた。                .   こうして一八四二年はイギリス軍の大敗を歴史に記す年となった。私たちが第一次アフガン戦争を忘れてしまいたいと思うのもしかたないだろう。しかしアフガン人は忘れない。運転する男が山峡の道を指さして「ファランジアノ」と叫んだ。そして、同じ「外国人」の私に笑顔を向けた。                .   次第に暗くなるなかを登り続けた。トラックを追い越し、ラクダの列に迫った。闇に光る車のライトに向かって、砂漠の獣たちが首を回した。二時間後、岩だらけの坂に車を止めた。すると、岩山の上から小型トラックが車体を弾ませて降りてきた。                .   アフガン服をまとったアラブ人が私たちの車に近づいてくる。見覚えのある顔だった。最後に会ったのは、あの荒れ果てた村だったか。「ロバートさん、失礼ですが持ち物を調べさせてください」と断って、男はカメラバッグや新聞紙の中に手を入れた。                .   それから男のトラックに乗って山を登り始めた。私たちがゆく山道は、八〇年代にオサマ・ビンラディンがロシア軍との聖戦のために築いたものだ。それからの二時間は、深い谷底を見ながら雨とみぞれの中をずるずるとタイヤを滑らせて走る恐ろしい旅となった。凍てつく山を登るにつれて、フロントガラスが曇っていく。                . 「聖戦を信じるなら、何も恐れることはありません」と男が言った。タイヤに弾かれた石が次々と断崖を転げ落ち、下に見える雲の中へ消えていった。男はハンドルを取られないように、しっかりと握りしめた。遠い闇の彼方で光が点滅するのが何度か見えた。「私たちの兄弟が、このトラックを確認したと合図しています」と教えてくれた。                .   一時間ほど走ったところで、岩陰から二人のアラブ人が叫びながら飛び出してきた。「止まれ、止まれ!」。男たちは武装していた。ひとりはスカーフで顔をおおい、眼鏡だけをのぞかせている。右肩に対戦車ロケット弾発射砲をかついでいた。「すみません、すみません」と眼鏡の男が肩から武器を降ろしながらいった。戦闘服の胸ポケットから金属探知器を取り出すと、私に向けてスイッチを入れた。二度目の身体検査だ。ピカピカと光る赤いライトが体の上を動いた。                .   その先、道はさらに険しくなった。四輪駆動の軽トラックが滑って、崖に向かって後ずさりする。大きく揺れるヘッドライトが谷を渡って行き来した。 「トヨタは聖戦の役に立っています」と運転席の男がいった。これには同意するしかない。しかし、トヨタは自社のコマーシャルで、男が口にした宣伝文句をたぶん使わないだろうと思った。                .   月明かりに照らされて、峡谷に浮かぶ雲が下に、山頂を巻く雲が上に見える。ヘッドライトが氷結した滝と池を浮かび上がらせた。オサマ・ビンラディンは戦時下にこの道を築いた。ロシア軍との壮大な戦いのさなかに、どれだけの戦車や弾薬を運ぶトラックがこの道を通ったことだろう。モスクワに戦いを挑んだ最初のアラブ戦士として、オサマはここでゲリラ部隊を指揮した。その戦士がいま、自ら知り尽くしたアフガンの山に帰っていた。                .   アラブの兵士が守るいくつもの検問に突き当たり、何度も甲高い声で停車を命じられた。そしてついに、ビンラディンが姿を現した。戦闘服に身を包み、薄布で顔を覆っていた。肩や体や足を注意深く手で探ると、私の目を見つめてきた。私は「アッサラーム・アライクム」と挨拶した。あなたたちの上に平安がありますように。アラブ人ならだれでも「アライクム・サラーム」と応えるものだが、この男は違う。どこか冷たい。オサマ・ビンラディンには前にも招待されて、このアフガニスタンで会ったことがある[その前にはスーダンで会っている]。しかし、この戦士には何の礼節も残されていなかった。機械となった男が目の前に立つ機械を検査していた。                . *                . 岩波『世界』誌、〇五年一二月号掲載。                . Extracted from The Great War for Civilisation: the Conquest of the Middle East by Robert Fisk.                . ロバート・フィスク。英『インディペンデント』紙中東特派員。ベイルート在住。北アイルランド紛争、イスラエルのレバノン侵攻、イラン革命、イラン・イラク戦争、ソ連のアフガン侵攻、湾岸戦争、ボスニア戦争、アルジェリア内戦、NATO軍のユーゴ空爆、イラク戦争などを取材。著書にPity the Nation: Lebanon at War (1990.1992)など。最新刊にThe Great War for Civilization: The Conquest of the Middle East がある。                . *                . 写真はアフガニスタン、カブール市から眺めるヒンドゥークシュ山脈。                .

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