母は、兄を絶対に叱らなかった。
どのような悪いことをしても、 母は、兄を叱らなかった。 兄が悪さをしたのではなく、 私が悪さをしたと言っては、私をシバキ上げて楽しんでいたのだ。 兄も、よく心得たもので、 私が母にシバキ上げられるように、わざと母の目の前で悪さをしていたのだ。 親父に咎められると、 私がいるから、兄が悪さをするのだ。と言い訳をしていた。 母は、親父に叱られた。 『そないに嫌いな子やったら、人に、やれや! いらん子やったら、人に、やれや! これ(私)を欲しがっている人は、ようけ(多人数)おるのやから!』 と叱られていた。 事実、私は人から、よくクレ。クレ。と言われておりました。 親父が、それを拒否していただけなのだ。 が・・・・母も学習したのだろう。 親父に隠れて私をシバキ上げて楽しんでいた。 兄がわざと悪さをする。 ↓ 母は、 『またやってるんか!毎日、あれだけ叩かれているのに、お前は、まだ分からんのか!?』 と怒っては私をシバキ上げて楽しんでいた。 それが毎日、1~2時間、続くのだ。嫌になるよ。 継母だと思っていたから耐えられたことなのだよね。 親父に母が『実母』だと聞かされたときには、正直、死にたくなりました。 私は生まれてから、 ず~~~~~~~~~っと、母に疎まれ続けていましたからね。 兄も、わざと悪さをして、 母に私をシバキ上げる口実を与えてあげることが母を喜ばせること、 そして、自分も、それを見て楽しむことが出来る。 私の母と兄はそういう人でした。 他所の人から見たら異様な光景だよね。 周りの人は、 私のことを親父の浮気の犠牲者と思っていた。 親父と愛人の間に出来た子供という事で。 私が26~7歳のときに実際に言われたのですよね。 以前、お風呂屋さんを経営していた人の奥さんに、 『お宅の奥さんも、何のかんの言いながらでも、よく他人が生んだ子供を育てたね~ぇ。』 と言われたことがありました。 親父は唖然としていました。 『あれ(私)も、自分の子供ですがな。』 と親父が言うと、 驚いたのは、以前、お風呂屋さんを経営していた人の奥さんの方で、 『え゙!そうですか~ぁ。^^;(いらんこと言うてしもうた!)』 と、いう顔をしながら言っていました。 それからというもの、 以前、お風呂屋さんの経営していた人の奥さんは、 出来るだけ母とは関わらないようにしておりました。 母も、何故、自分に、そのような余所余所しい態度を取るのか?と、ぼやいておりましたが・・・・・ その理由に全く気づかないほどに母は鈍いというか。頭が悪いというか。 母は、以前、お風呂屋さんを経営していた夫婦に大変な迷惑を掛けていることをキレイサッパリ忘れているのだ。 お風呂屋さんの存亡に関わる一大事を引き起こした張本人なのにね。 それさえもキレイサッパリ忘れているのだ。 経緯は、これに↓ http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/200907280000/ だから昔の母を知っている人は、母には近づきたがりません。 だから、私も時期が来たら母を忘却する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.09.24 19:33:49
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