統一協会の元信者のメモ

2020/09/24(木)19:35

母の末路 1

母と兄の、一切、努力しない人生と、その末路。(56)

母は人を愛することの出来ない人でした。 人を愛せないということは自分を愛せないということなのだよ。 自分を愛せたなら、自分を愛するように人も愛せたはずなのだよ。 言い換えれば本物の愛情を知らなかった。ということかな。 まあ。私にとっては、どうでもいいことだ。 私には親父がいたからね。 その親父も逝ってしまったが、しかし、親父の愛情は死なない。今も生きている。 親父は私の心の中に生きている。 親父が逝った後も、お舅さんがいてくれたし。 お舅さんも家族のために一生懸命に生きてくれましたからね。 今は、お姑さんがいてくれるし。 お姑さんの方が『本当のお母さん』みたいになっておりますよ。 時々、頓珍漢な会話になります。 お姑さんは私の母のことを考えて『お母さんは、・・・・・』と、母のことを話していたのですが、 私の頭の中には、もう母という人は時の彼方に忘れ去られた人なので、 『お母さん = お姑さん』ということになっておりますから、 お姑さんとの会話が、ず~~~~っとかみ合わないまま話をしておりました。 『やっぱり、嫁姑って難しいのかな・・・』と思っていました。 でも・・・・家に帰ってから家の旦那さん(お姑さんの息子)が、 『“おふくろ”が言うちょったんは、神戸のお母さん(私の母)のことじゃったんじゃが、モモンは、誰のことじゃ思いよったんね?“おふくろ”が心配して変な顔しちょったんで。』と言っておりました。 私:『え゙!?私は、お母さん(お姑さん)のことやと思うて話しててんけど。どうりで話が噛み合わへんはずや~。やっと納得がいきました。あっはっは。』で終わりでした。 で、家の旦那さんに、私の母は時の彼方に忘れ去った人であるから『お母さん』というのは、お姑さんだけです。と伝えました。 家の旦那さんも、お姑さんが心配しているということで電話で、そのことを伝えておりました。 話が噛み合わなかった理由を聞いて安心していたそうです。

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