母が自分の家で事故死したとき、家の中に兄もいたのだけれどね。
自分が、この世で最も愛していた・・・自分の分身のように愛していた兄が一緒にいたのにね。 その兄に気づいてもらえずに逝きました。 ハッキリした死因も分かりません。 兄から話を聞く度に証言が、二転、三転して、いったい何が本当なのか分からなくなりましたから。 そのとき兄は何をしていたかというと、大きな声を張り上げて『お題目』を唱えておりましたのだと。 大きな声を張り上げていたから母の異変にも気づかなかったのだよね。 でのね、兄は母が亡くなったのは私の責任みたいに言っておりましたわ。 私に負債を背負わせるようにね。 私を自虐させるようにね。 それでも私の心は自分でも驚くほどに静かでした。 心に何の動揺も起こりませんでした。 これが私と母の親子関係だったのだね。 私が思ったことといえば、 そんなに愛おしいと思うなら、何故、あの時(私が赤ん坊のとき)、私を殺そうとしたのだ? あの時、親父が警告してくれていただろう? 『(私が母に殺されかけたことを)憶えていたらどないすんねん!』と。 その後も、あんた(母)は私を虐待し続けただろう? 親父が、『止めろ!後で後悔するのは、お前やねんぞ!』と何度も警告してくれていたのにね。 あんた(母)は止めなかっただろう? あんた(母)は『お前なんか要らんねん。』と言って、自分から私との母子の絆を断ち切ったじゃないか。 私が赤ん坊の頃にね。 私と、あんた(母)の絆は、私が赤ん坊のときに断ち切られているんだよ。 あんた(母)が自分から絆を断ち切ったんだよ。 あんた(母)は、とても淋しがっていたそうだが、その淋しさは私が赤ん坊の頃から味わいつつけてきた淋しさなんだよ。 年老いて淋しいからと言って、母子の絆も愛情も『¥』では買い戻すことは出来ないんだよ。 あんた(母)と私の絆を繋いでくれていたのは親父だったんだからね。 親父が亡くなったときに、あんた(母)と私の絆も切れただよ。 そして、あんた(母)が死んだとき、私の思い出の中から母の思いでも消えた。 記憶を辿ろうとしても空白があるだけだったよ。 でも、正直な気持ち、ホッとしたよ。 長い間、苦しめられてきたモノから、やっと解き放たれた。と思ったよ。 親父の思い出を辿っているときだけ、オマケみたいに、あんた(母)のことを思い出す程度だね。 人は『血は水よりも濃い』なんて言うけれど、あれは嘘だね。 親子も血で繋がっているのではなく、長い年月をかけて愛情を育みながら絆を深めてゆくんだよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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人はあまりにも悲しい出来事だとか、苦しみに出会うと、その記憶をなくしたいと願うものです。私にも悲しみのあまりなくした記憶があります・・・
モモンさんのことが少しわかってよかったです。 (2010.11.26 13:10:44)
ミセス・キムさん
----- 私の場合は、 母が亡くなったとき、母の嫌な思いでも時の彼方に消えましたね・・・・ それと同時に母という存在も時の彼方へと消えました。 父が亡くなった時とは正反対でしたね・・・・ 父が亡くなったときは、様々な思い出が、湧き水が泉から溢れ出るように思い出されてきたのですが。 (2010.11.26 14:41:44) |
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