子供の虐待は、今に始まったものではないのだ。
それは昔からありました。 現在のように子供の人権を守ろうと努力してくれる機関が無かったことなどで目に付き難かっただけではないかな?と思います。 昔は親が自分の子供を虐待していても、それを止めさせるために子供を隔離し保護してくれるくれる機関などありませんでしたからね。 『親子の問題だから』で片付けられていましたから。 私の場合もそうでした。 誰から見ても躾等ではなく虐待としか見えなかったそうですよ。 私の周りの大人達のほとんどが、 私のことを、『親父の浮気の犠牲者』と言っておりましたからね。 早い話が、母が継子虐めをしている。と思っていたのですよ。 それほどハッキリと虐待していると分かっていた状況であっても誰も介入することができなかったのですよ。 昔は、そういう時代だったのです。 母は私への行いもキレイサッパリ忘れていましたけれどね。 だから、これでよかったと思います。 私の心の中には母は始めからいなかったのだから。 私にとって母という人は、他所の小母さん、という感覚でしかなかったのですから。 人から、 『でも、お母さんが、あなたを産んでくれたんだから。』と言われたときに、 私はキッパリと、 『私は生まれてこないほうが幸せでした』言ってしまいました。 これが私の母への本心だったのでしょうね。 それ以来、私の心はスカッと晴れ渡っております。 私にとって、私を産んでくれた人というのは・・・・ やはり、親父ですね 私にとって親父は、父親でると同時に母親でもあったと思いますね。 よくまともに育ったものだと自分でも思いますが、 それには、親父が母親の役割も果たしてくれていたからなんです。 私にとって親父は、父であり、母でもありました。 だから、私は子供の頃から母のことを、『母という名の他所の小母さん』と思っておりました。 でもね。 私の場合は見た目でもハッキリと虐待である。と分かるから、まだ救いがあるのですけれどね。 見た目では分かりにくい兄のようなケースは全てと言っていい程に見落とされてしまいますよね。 母は兄を、四六時中、可愛がっていたのですから。 周りの大人達も母が愛情を注ぎ込んで兄を育てていると思っておりましたからね。 母も自分が兄をも虐待している事に全く気付いてはいませんでしたがね。 一生気付かないままでしたね。 母は兄を大切に育てているように見えていたのだけれど、兄の精神面や心の発育を阻害していたよな。 猫可愛がりにして育てて躾というものを全くと言っていい程にやっていない。 兄が悪さをしたときなど、それを叱らず、悪さをした責任を他者に擦り付ける。 『うちの子に限って、そんなことはない!』と言って自分の子供の責任を認めようとしない親でした。兄に限ってだけね。 そのように育てられてしまった結果、 人の話や、人の気持ちを理解することができない。 1つのことを理解するまでに1年半もかかる。 自分の思い通りになって当たり前。 自分の思い通りに事が運ばないのは社会が悪いからだ!と言う。 人を気遣うということを知らない。 人の嫌がることだけは進んでやる。 という人間に成長してしまった。 だから社会に適合することができないのだよね。 このように育てることも虐待ではないかね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.09.24 19:37:32
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