統一協会の元信者のメモ

2020/09/27(日)17:46

それは『空』というものなのだ。

[宗教文学]私が現実世界に戻るための減圧室(58)

​『聖書』は予言の書である。とか、新約聖書の『黙示録』が予言の書である。とか、怪しい教団の信者さん(統一協会だけでなく)から、よく聞かされたよね。 その外、神秘主義に傾倒している人からも、たまに耳にしたこともありましたわ。 聖書が予言の書である。というのだったら疑問が浮ぶよね? 聖書が予言の書であるなら、何故、人間は悲惨な戦争を繰り返すのか? 飢餓で苦しむ人々が出ないように、何故、それを未然に防げなかったのか? ・・・・・・・・ 数え上げたら限がない。 事が起こり、時が過ぎ去った後で『全ては大昔に聖書に書かれてあった!聖書に予言されていた!』と言っても、それは、こじ付け、でしかないのだよ。 事が未然に防げてこそに予言の価値があるのだから。 予言というのは、防犯・防災対策である。と私は思っているけどね。 予言というから、おかしくなっちゃうんだけどね。 予言。ではなく、助言というべきじゃないかな? 結局は錯覚なんだよね。 聖書の中に現代社会の縮図を見て、そう思いこんでしまう錯覚なんだよね。 何故、現代を生きる人が聖書は予言の書である。という錯覚に陥ってしまうのか? それは、大昔に生きていた人々から、現代を生きる人々に至まで、似たような行いを繰り返してきたからなんだよね。 様々な、文化・文明が発達しても人間の本質は変わらないからだろう。 後ろ向きに考えれば、人間とは何と愚かな生き物なのだろうか?と思うだろうし。 前向きに考えれば、現代人が営んでいる豊かな暮らし向きや、豊富な知識は、先人達が失敗を繰り返しながら積み上げてきた成果ではないのか?と思うのではないのかな。 そして時が止まらないのと同じく、 人間があり続ける限り、それは続くのではないのかな? その時々の事情や形を変化させながら、それは、これから先も延々と続くのではないのかな? ​

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