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モモン・PART2

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2019.01.04
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帰ってきたぞ!

しばらく、お片付けに時間が掛かりますが、

また宜しくお願いします。<(_ _)>






Last updated  2019.01.04 21:42:25
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2014.07.25
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私は当ブログのフリーページに

※当ブログから無許可での転載を禁止します。

と注意書きをしております。

平気で決まり事を破る輩が居りますので。
だけどね。

注意書きをしても平気で破る奴が居りました。
友達の≪格闘ボディさん≫が付けてくれたコメントを何の断りもなく転載した奴が居ります。

統一教会信者のお手本。
統一協会の鑑らしい行いですこと!

ヤフーの君の記事です。
     下矢印    

http://megalodon.jp/2014-0725-0912-48/blogs.yahoo.co.jp/yukitti000/46562724.html


こちらは楽天の私のブログ記事です。
       下矢印

http://megalodon.jp/2014-0725-1753-03/plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/200811080000/

ヤフーの君の記事と当ブログに付いているコメントを、

よくよく見比べてみてくだないね。










Last updated  2014.07.25 22:45:27
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2012.04.17
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《創世記》
第4章
4:1人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。

4:2彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

4:4アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
4:5しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。


アベルとカインは、それぞれ収穫した中から神に供え物をしたのだけれど、神はアベルの供え物を顧みたけれど、カインの供え物は顧みなかった。

カインもアベルも一生懸命に働いて育てて収穫した物なのにね。
神にシカトされて、カインは可哀想だよね。

何で神はアベルの持ってきた、その群れのういごと肥えたものとを顧みて、
カインと、その供え物とは顧みられなかったのだろうね?

同じ親から生まれた兄弟なのに差別しちゃいけないよね?
同じ親から生まれた兄弟なのに差別されたらグレちゃうよね?

カインは、ぐれて、弟のアベルを殺害しちゃったんだけれどね。

何で、そんな事になっちゃったんだろうね?
何が原因だったんだろうね?

殺害されたアベルが可哀想だけれど、グレちゃったカインも可哀想だよね。


でもさ、聖書を、よくよく読んでみると、原因も書いてあるんだよね。
ちょっと遠回しだけれど。

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 4:3日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。 4:4アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。 4:5しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

この中上矢印に、神が、何故、アベルの供え物だけを顧みたのか?その理由も書いてあるんだよね。

弟のアベルは牧羊で生計を立て。
お兄ちゃんのカインは農耕で生計を立てていたんだよね。

で・・・収穫の時を迎えて、

お兄ちゃんのカインは、
地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

弟のアベルも、
その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。

でも神は、カインが供えた地の産物(農作物)は顧みなかったけれど、

弟のアベルの供えた、その群れのういごと肥えたものとを顧みたんだよね。


アベルは神を《お大切》にして、羊の群れの中から『マル秀印』の羊だけを選んで神に供えたんだよね。
だから、神も「ありがとう。^^」と喜んでくれた。


だけど、アベルよりも先に農作物を神に供えていたカインは面白くなかったんだろうね。
何で、僕が供えた農作物には見向きもしないで、弟の供えた羊を喜ぶんだよー!って。

でもさ、もしカインも神を《お大切》に収穫物の中から『マル秀印』だけを選りだして供えていたら、神も「ありがとう。^^」と喜んでくれたんじゃない?

だってさ~、麦の実の山からを1粒ずつ『マル秀印』の麦の実を選り分けるのって豪い作業だよ~。


カインも分かっていたんじゃないのかな?
何で神が、カインと、その供え物とを顧みなかったのかを。
だからカインは大いに憤って顔を伏せたんじゃないのかな?

4:6そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
4:7正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

カインも神を《お大切》に麦の実の山からを1粒ずつ『マル秀印』の麦の実を選り分けて供えていたなら顔を上げられていたんじゃないのかな?








Last updated  2012.04.17 16:26:38
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2012.04.15
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『聖書』は予言の書である。とか、新約聖書の『黙示録』が予言の書である。とか、怪しい教団の信者さん(統一協会だけでなく)から、よく聞かされたよね。
その外、神秘主義に傾倒している人からも、たまに耳にしたこともありましたわ。

聖書が予言の書である。というのだったら疑問が浮ぶよね?
聖書が予言の書であるなら、何故、人間は悲惨な戦争を繰り返すのか?
飢餓で苦しむ人々が出ないように、何故、それを未然に防げなかったのか?
・・・・・・・・

数え上げたら限がない。


事が起こり、時が過ぎ去った後で『全ては大昔に聖書に書かれてあった!聖書に予言されていた!』と言っても、それは、こじ付け、でしかないんだよね。

事が未然に防げてこそに予言の価値があるのだから。
予言というのは、防犯・防災対策である。と私は思っているけどね。

予言というから、おかしくなっちゃうんだけどね。
予言。ではなく、助言というべきじゃないかな?


結局は錯覚なんだよね。
聖書の中に現代社会の縮図を見て、そう思いこんでしまう錯覚なんだよね。

何故、現代を生きる人が聖書は予言の書である。という錯覚に陥ってしまうのか?
それは、大昔に生きていた人々から、現代を生きる人々に至まで、似たような行いを繰り返してきたからなんだよね。

様々な、文化・文明が発達しても人間の本質は変わらないからだろう。

後ろ向きに考えれば、人間とは何と愚かな生き物なのだろうか?と思うだろうし。

前向きに考えれば、現代人が営んでいる豊かな暮らし向きや、豊富な知識は、先人達が失敗を繰り返しながら積み上げてきた成果ではないのか?と思うのではないのかな。

そして時が止まらないのと同じく、
人間があり続ける限り、それは続くのではないのかな?
その時々の事情や形を変化させながら、それは、これから先も延々と続くのではないのかな?








Last updated  2012.04.15 11:49:19
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2012.04.14
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パフォーマンスですから。
『会則』は形だけですから。

守らなかったからと言って、

『断食しろ』
『毎日、氷のように冷たい水で水業しろ』
『毎日、敬拝を何十回しろ』

なんて言いませんから。

私も、

何処かの怪しい教団の霊能者が言っているような、
『私が信者達に代わって、毎日、××××の為の、××××の条件を立てています。』

なんて、言わないし~。
そもそも、条件なんて立てる気もありませ~ん。

イエス様が好きなら誰でも『OK』で~す。スマイル
『イエス様ファンクラブ』ですから、一応、宗教的なパフォーマンスを書いてみたただけで~す。







Last updated  2012.04.14 18:27:42
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2012.04.12
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イエス様ファンクラブ『イエスチャン』の会則は、

・『聖書』を好きなだけ読む。

・お祈りをする。

※様々な事情で、お祈りが出来ない時は『主の祈り』を捧げてください。

『主の祈り』

天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天になるごとく地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず
悪より救いだしたまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり
                アーメン。


と、イエス様の祈りを捧げてください。







Last updated  2012.04.12 17:23:13
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1、父なる神。

2、御子イエス・キリスト。

3、聖霊(みたま)。

この、3つが合わさって、1つの『神』です。
『三位一体の神』と言っています。

イエス・キリストも聖霊(みたま)も神から出た(神が使わされた)モノであるから、イエス・キリストも聖霊も神である。ということです。


『三位一体の神』で、一番分かり難いものが【聖霊(みたま)】です。

《聖霊の働き》《聖霊が語りかけてくれる》《聖霊の導き》などなど。
しかし、これら全部ひっくるめて【聖霊(みたま)の働き】といます。


【聖霊(みたま)の働き】というのは、

「その場の空気を読む。」とか、

「誰かを通して(誰かと話をしている時に)ハタと気付かされる。」とか、

「それまで分からなかったことが、『ああ、そういうことか・・・』と理解できたり。」

「ただ、神を信じることが出来る。または、できた。」

「日常の出来事の中で、いろいろ気付かされる。」

「落ち込んで、お先真っ暗という心境の中も、突然、それまでの出来事が感謝に変わり希望がうまれる。」といったものでしょうかね。


人間が生きていれば「必ず」と言っていい程に悔やまれる事が度々、起こります。
しかし、時が経つにつれて事情も変わってきます。

いかに悔やまれる出来事に見舞われたとしても、
それを反省し、その体験や経験を他者に活かす事ができたとき、他者だけでなく自分をも生かすことのできる糧となります。

どんなに悔やまれる出来事であっても、それを良いモノに変えてくれるのも【聖霊(みたま)の働き】というものでしょうかね。








Last updated  2012.04.12 14:40:41
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2012.04.11
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日本語というのは、一言でいうと、

『複雑怪奇!』です。

ある1つのモノに対しても細かく名称を付け区分し、
ある現象に対しても微妙なニュアンスで移り行く時を言葉で表現していました。
だから日本語というのは、とても複雑怪奇です。
だけど、繊細な表現が出来るのも日本語の特徴ではないのかなと思います。


だから西洋文化?のキリスト教の『聖書』を日本語で表現するには難しい部分もあるんだよね。

だけど『聖書』に登場する人々も、宇宙人ではなく、地球人なんだよね。
日本人と同じく地球人なんだよね。
生きていた年代と土地柄や生活環境などが違うだけで。

だから人間としてのあり方や、感じ方なども、それほど大きな違いもないのでは?と思います。

私が、そう思うに至ったのも親父の存在があったからなんだけど。
親父はキリスト教の『キ』の字も知りません。
だから『聖書』なんて読んだこともありません。

だけど親父はイエス様の言いつけを守るような生き方をしていました。
『聖書』の中の話を日本語で的確に表現するように話しておりましたから。
だから親父はクリスチャン達から、
『隠れクリスチャン』と思われておりました。

理由:母が極端な偏見と差別意識の持ち主でしたから。

親父の事を、いろいろ思い出していたら『聖書』を日本語で表現できるかも?と思いました。

全部は無理ですよ。
私は牧師さんではありませんから。

でも、今までに牧師さんに教えてもらった話を紹介する事くらいなら出来ますからね。

こちらのブログで、少しずつでも紹介して行けたらいいな。と思います。








Last updated  2012.04.11 22:55:49
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2012.02.20
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『自己啓発』という言葉には。

『自己啓発』という言葉はとても便利。

人の向上心を、くすぐる様な甘い響きがあるよね。

だから、怪しい教団も『自己啓発』という言葉を使うんだよ。

『自己啓発』という言葉を見つけたら注意をした方がいいよ。

自分の大切な人生を守るためにもね。








Last updated  2012.02.20 17:39:50
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2012.02.19
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韓定食さんから記事コメを使ってもいいよ。と許可を貰ったんだけど・・・・

エールを送ったら書く事が無くなっちゃんった。

私はエールを送りたかっただけなんだね。








Last updated  2012.02.19 18:12:00
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