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モモン・PART2

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歴史について

2011.08.15
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カテゴリ:歴史について
私は中学1年のときに歴史の先生に授業が済んだ後に質問した事がありました。

私:『先生。日本は何で、あんなに長い間、戦争をしていたんですか?』

歴史の先生:『ゔゞゞゞゞん。あんたは難しい質問をするな~ぁ゙。』

私:『・・・この先生も返事をしてくれないんだ。と思ってました・・・』

歴史の先生:『大きな声では言われへんから、こっちへおいで。』と小さく手招きをしました。

で、私も歴史の先生について廊下の隅っこへ行くと、


歴史の先生:『あんたが言うてるのは大東亜戦争のことやろ。』

私:『はい。』

歴史の先生:『あのな。他の先生に、この話を言わへんいうて約束してくれるのやったら、先生の意見を言うてあげる。どないや? 他の先生には言わへんか? 友達にも言うたらあかんねんで。どないする?』


私:『先生と私だけの秘密ですね。』

歴史の先生:『そうや。先生と、あんた、だけの秘密や。』

私:『誰にも言いません。』

と言って、指きり拳万の約束をしました。


歴史の先生:『あんた、インパール作戦いうて知ってるか?聞いたことあるか?』

私:『はい。聞いたことはあります。アジアで兵隊さんが沢山の死んでしまったんでしょう?』


歴史の先生:『沢山の兵隊さんが死んでしもうてんけど、それだけと違うねん。』

私:『え? 何かあるんですか?』

歴史の先生:『それや!それや!』

私:『え?先生、何??(?_?)?????』

歴史の先生:『あのな。インパール作戦の意義が分かったら、大東亜戦争の意義も分かる。意味と違うで。意義やで。忘れなや。意義やで。
そんでな、インパール作戦の意義を探すのも、あんたが自分でやるのやで。先生が言えるのは、此処まで何や。ごめんな~ぁ。堪忍やで。』

と言って私の頭を撫でて次の授業のため別の教室へ行きました。


これ以後ですね。
私がインパール作戦について調べ始めたのは。


このときの歴史の先生は定年間近の男の先生でした。
職員室では大東亜戦争の話ができないと言っていましたね・・・

若い歴史の先生に、こっ酷く怒られていたのだそうです。
若い先生はバリバリ日教組だって溢してました。

私は子供のころ用事があるとき以外は喋らない子でしたから、
年取った歴史の先生も安心して話してくれたのかも。


今とは正反対ですね。
今は旦那に、うるさい。と言われてるよ。






Last updated  2019.09.17 00:56:27
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2011.04.25
カテゴリ:歴史について
私は中学2年の頃、あの日の朝は、いつもより30分ほど間早く登校しました。
教室に入り、自分の席に着き、
少し経った頃、突然、辺りは夕暮れのように薄暗くなりました。

私は教室の窓を開け空を見上げました。
上空には異様な雲がありました。
低く垂れ込めた真っ黒い異様な雲でした。

私は教室の窓際に座っていたので、窓から顔を覗かせて、その真っ黒い雲を見ていました。

真っ黒い雲の中や表面では、赤・紫・青・緑・黄色の光が走り、不気味に覆いかぶさってくるようでした。


そのときでした。
男の先生の怒声が聞こえてきたのです。
『そこ!頭を引っ込めて窓をしめろ!』と。

その男の先生は走って校舎に駆け込みました。

私も男の先生の姿が見えなくなったので、また窓から雲を見ようとしたとき・・・・目の前をなにやら黒いものが上から下へと通り過ぎたように見えました。

次の瞬間、辺りは夜のように暗くなり、空からは黒い雨粒が降ってきました。

そして、男性が廊下を走る足音が聞こえてきて・・・・
『そこの女子!早よ窓を閉めんかい!』と男の先生の怒声が教室内に響きました。

それでも閉めなかった私・・・・

男の先生は私の代わりに窓を閉めて、
『窓ガラスが透明の分やったら外の様子が見られるのになぁ。しょうがないなぁ。』
と言っただけで、先生は私を叱りませんでした。

私は叱られると思っていたのだけれど。

後から担任の先生が話してくれたことなのですが、
私が窓から顔を覗かせていたから、その男の先生は黒い雨に濡れずに済んだそうなのです。

生徒に危険を知らせるために校舎へと駆け込んだ直後、放射線を含んだ黒い雨が降ってきたのだそうなのでした。

へそ曲がりもたまには役に立つのですね。






Last updated  2019.09.17 00:37:25
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2011.04.22
カテゴリ:歴史について
私が小学校高学年の頃、核兵器についての論争が起きていた記憶かあります。
当時、核兵器を持っていたのは『アメリカ合衆国』と『旧・ソビエト連邦』でした。

世界は『核』に脅威を感じていたのでしょうね。
それだけに、アメリカも旧ソ連も『核』を手放す事ができなかったのでしょうね。

広島・長崎の現実を知れば誰でも『核』に脅威を感じ、『核廃絶』を求めるでしょう。

そこで、アメリカが打ち出してきたのが『核の平和的利用』を目的とした【原子力発電所】を建設する。というものでしたね。

『核』のもつ膨大なエネルギーを電気に変えることができたなら、これまでと違い安定した、そしてクリーンなエネルギー供給源になる。
という触れ込みで原子力発電所建設が盛んになってゆきましたね。


しかし、本当にクリーンなエネルギー供給源と言えますかね?
膨大なエネルギーを放出する分、廃棄物も桁違いに有害だよね?


核兵器は人類の脅威。であるが、
核を使用している原子力発電所はクリーンで安全である。

矛盾してはいないかい?


核兵器と原子力発電所の問答は、

私には、怪しい教団が唱える矛盾した問答と似たものに見えます。


核兵器を手放したくないがための【原発建設計画】という視点逸らし。+ 核開発に絡む利権で莫大な利益を上げられること。

私には怪しい教団と似て見えます。






Last updated  2019.09.17 00:36:40
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2010.11.30
カテゴリ:歴史について
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201011290000/

格闘ボディさん
>全くの同感ですね。ただ自分を責めるだけで、その経験を生かさないのは反省ではありません。
>今の日本はただ自虐しているだけ。大東亜戦争を日本が悪うございました、と言うだけで、土下座すること以外何もしない。


これも思い込みなのですけれどね。
本人は『反省しているつもり』なにですけれど、そう思っているのは本人だけで、周りの人々は違うことを思っているのですよね。

>東南アジアから、過去はもう良いからもっと協力してくれと言われても、いや日本が悪かったからと期待に応えようともしない。
>これは反省ではないし、責任放棄です。


そうですね。
責任 + 共に未来へと前進してゆくことを放棄したということかな。と思います。

>もし戦争で迷惑をかけたと思うなら、今度は助ける軍隊を作ればいい、と言うのが普通の考えかた。日本はそれをしない。学校で左翼=日教組が自由と権利を教えても責任や義務を教えてこないのは、彼ら自身、それを理解していないからでしょう。


同感です。

>日本は戦後、世界に十分すぎるほどの貢献をしてきており、それなりの評価を得ています。もう過去の汚名挽回もしているのだし、むしろ積極的になるべきですね。


何時までも、昭和20年08月15日の地点で足ふみをしていてはいけませんよね。
もう65年以上も足ふみし続けているのですから、いい加減、気づかないといけませんよね。

>スマトラ島沖地震で世界中が軍隊を出した時、インドネシアは1ヶ月ほど経って「世界の軍隊はもう出ていってくれ」と言いつつ「自衛隊は残ってくれ」と言ったのがその典型、日本は世界に評価される自衛隊を持っているのですから、これを正式に軍隊とし、世界から評価されうるものにすれば、それこそが反省ですね。
-----

同感です。
戦争をするだけが軍隊ではありませんものね。
災害現場では実戦さながらの装備も必要になりますからね。
でも、そうされると機嫌が悪くなる、お国もありますから行く手を阻もうとするでしょうね。
世界の警察のお株を奪われまいとしてね。







Last updated  2010.11.30 22:03:18
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2010.07.21
カテゴリ:歴史について
昔から、反日章旗。反君が代。を唱えている人々がおりました。

私は『日の丸』が好きでしたからね。
何で『日の丸』が、あかんねん!
ほな、《軍艦旗》にしたら、どないやねん!
【朝日】みたいで、きれいがな。

『君が代』がだめだ!と言うのなら、
【軍艦マーチ】にしたら、ええがな。
景気ええでー。
と思っておりました。


ということで、国歌紹介。

『フランスの国歌』
http://www.youtube.com/watch?v=ELUfqABU2Ew&feature=related

昔、『ラ・マルセイエーズ』の歌詞を辞書を引きながら読んだときドン引きしたのです。
で・・・・私の訳し方が悪いのだろうか・・・・?
と思っておりました。
フランス革命といえば「ベルサイユのバラ」のイメージが強かったですからね。
その後、フランス革命について、いろいろ調べて・・・・
血みどろの内戦状態にあったんだね。と、自分では納得しているつもりではあったが・・・・
『ラ・マルセイエーズ』の衝撃は、今でも凄まじいものを持っています・・・・


こちらは『ドイツの国家』です。
http://www.youtube.com/watch?v=Q3mXYLj-FGc&feature=related
微妙ー。ですね。

『アメリカの国歌』は、
http://www.youtube.com/watch?v=UXFeczcV8sg&feature=related
やはり、戦の歌ですね。








Last updated  2010.10.10 18:05:02
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2010.04.07
カテゴリ:歴史について
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201004060000/#comment

真の伯父/じじい50さん
>>他者を生かすために自分が犠牲になる。という、日本人独特の美学。

>その美学は伊藤候とその暗殺犯のものでもあり、終戦詔書および平和憲法にも引き継がれました。


どこが~?
政治的暗殺者(=テロリスト)を平和の使者であるかのように祭り上げてどうするの?

>> どこぞの、おバカが伊藤博文さんを暗殺して日本に朝鮮を併合させてしまいました。

>朝鮮は清国の属国であり、李家の当主は「士太夫」格に置かれました。それをわざわざ「獨立」させたのは志士であり、「支援」したのは日本でした。おバカを生んだバカ親が隣に居たわけです。


確かに!
それは、いえてる。
朝鮮は、日本に。ではなく、清国に頼るべきだったのです!

>>『清王朝を復興させること』それが、目的であったと思います。

>満州国成立後、一時、均衡が回復しました。しかし、それは破られました。

>以前から國際聯盟があり、不戦条約もありましたが、既に脱退し、反故にされました。

>満州人の満州、ではなく、シナ大陸に清朝を復元することが真の目的だったとすれば、汪精衛氏との協力や五族協和は欺瞞でした。


当初の思惑とは違う方向へと軌道がそれて行きましたね。

>田中角栄内閣以降、惜しみなくコストを負担し、中国に強大な独裁国家が復元しましたが、それが目的だったともいえます。

>むしろ、そのときどきの国益(私利)に合わせて都合良く目的(大義)が変わっているようにも見えます。
-----

反省することが大好きで、直ぐに自虐する。という日本人独特の性質を、
中国に最大限に利用されましたね。

特定アジア地域に置いて、
日本人を自分達(特定アジア地域)の思い通りに従わせて利用し、
そして、自分達(特定アジア地域)だけが、日本から一方的に利益を上げるには、
日本人を歴史問題で自虐させることが、大変、有効である。

ということから、特定アジア地域では、
反日歴史政策が大々的に行われるようになりましたね。






Last updated  2019.09.16 22:52:21
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カテゴリ:歴史について
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201004060000/#201004062231462439
wrcさん

いらっしゃいませ。^^

>左翼の奴らはその時代の感覚?!がすべて抜け落ちているのでしょう。


その当時の時代背景・アジアが置かれていた状況・それらに関わる各国の思惑。などなど。
いろいろな方面から、あの当時の出来事を見て行くと、学校で反日思想活動家の歴史の先生に教え込まれたこととは全く別のものが見えてきますね。

>武力での解決はダメとか、国の為に命を落とすのはおかしいとか?今のこの時代の感覚や法律に合わせる自体がおかしいのです。


『戦争は極力回避しなければいけない』ということは、
今のこの時代の日本人よりも、当時の日本人の方が強かったと思います。
そのために外交官を通して粘り強い話し合いも行っていましたよね。

>もちろん私もその時代をいきていた訳ではないのですが…。色々な資料や映像を見て多少の想像力を働かせれば、なんとなくわかりそうなものですが!


想像力 + 考える力を働かせれば、
学校で反日思想活動家の歴史の先生に教え込まれていたことには矛盾点が多い。
ということに気づくと思うのですけれどね。

左巻きの人達は理解出来ないみたいです(苦笑)
-----


ですね。
力の暴力は『絶対反対!』
しかし、
言葉の暴力は、力の暴力ではないから『OK!』と、言い続けて、陰湿ないじめの問題を、
今まで放置し続けてきたのも、左巻きの人達ですよね。

そして、その左巻きの人達に確りと教育された結果が、現在の日本の現状という形となって現れましたね。






Last updated  2019.09.16 22:51:19
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2010.04.06
カテゴリ:歴史について
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/201004040000/#201004060111363612

じじい50さん
>「大東亜」の範囲には自ずと限界がありました。
>英領ビルマ等を「解放」しましたが、それらの指導者は、国際戦争を奇貨として独立を準備し、日本敗北の機会を利用しました。


旧日本軍の目的は、それであったと思います。
日本人独特の『滅びの美学』という、他者を生かすために自分が犠牲になる。という、
日本人独特の美学。

>中国大陸は特定の列強の植民地にはなっていませんでしたが、沿岸及び平野部の諸都市は、ことごとく日本軍が解放(占領)しました。


中国を占領することが目的ではなく、『清王朝を復興させること』
それが、目的であったと思います。

>ソ連、中共も近隣地域を「解放」しつつ、全世界の解放闘争を「支援」しましたが、


共産圏を拡大するための戦争でしたね。

>かつて「野蛮な土地に文明の恩恵をもたらす」と列強が喧伝していたように、いずれも実態は異なり、国益が動機でした。


私も学校で反日思想活動家の歴史の先生に、そのように教えられましたけれどね。

日本も、確かに国益を求めました。
利益に繋がらないものに投資なんてしたくない。そう思うのが普通でしょう。
(だから、伊藤博文さんは朝鮮併合に反対していたのですけれどね。
それを、どこぞの、おバカが伊藤博文さんを暗殺して日本に朝鮮を併合させてしまいました。)

日本が求めた利益というのは、
誰か1人だけが重荷を背負うのではなく、
誰か1人だけが富み栄えるというのでもない。

それは、お互いが共に発展ゆくこと。
そのようなアジアのあり方を目指していたのだと思いますよ。

>宣伝のためにコストを払うのは当然でしょう。
-----

宣伝の内容にもよると思います。






Last updated  2019.09.16 22:48:56
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2010.04.05
カテゴリ:歴史について
格闘ボディさんが補足するコメントを書いてくださったのでUPしました。

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Re:【インパール作戦】(04/04)    格闘ボディさん

合っていると思います。
あの時代、弱肉強食でした。
日本は有色人種の代表として欧米列強と戦っていましたが、日本だけでは当然敵わないことも解っていました。少なくともアジアを彼らの植民地から解放し、日本が指導的立場として団結・対抗しようというのが元々の大東亜共栄圏ですし。


この大東亜共栄圏、言っていること自体はヨーロッパのEU、アメリカ合衆国の州の構成と何ら変わりない先進的なものだったんですよね。

日本は負けても、日本兵は現地にかなりの数が留まり、独立戦争に身を投じていきました。ただの侵略戦争ならそこまでする意味がないですから、これの意味することは日本はアジアの欧米からの開放を目的にしていたと言うことなのですよね。

インドは、その敵のイギリスという存在を叩くためにも重要だった訳で、そのための作戦がインパール作戦。これは日本軍が相当死んでいった過酷な作戦でした。

もし侵略するなら、むしろインド人を操作してイギリスと戦わせ、弱ったところに進軍した方がよっぽど楽です。
だから日本を頼ってきたインド人(チャンドラボースなど)と組み、そんな過酷な作戦をしたのは、左翼が言うようなただの侵略戦争ではないと言うことですね。

私も学校では日教組教師に自虐史観で教わりました。今思い出しても納得のいかない教育でした。
あんな教育からは、これからの子供は解放していかないといけないですね。

(2010年04月05日 01時10分43秒)

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Last updated  2019.09.16 22:47:51
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2010.04.04
カテゴリ:歴史について
それが何なのか、長年、意味が分からなかったのですが、
それが分かったとき、日本の戦争の意味も分かると思っておりました。

私は学校で、反日歴史義務教育、によって、
日本が起こした戦争は石油資源を確保するための戦争であったと教育されておりました。

けれど、石油とは全く関係のない、
そして、あの、あまりにも無謀な、【インパール作戦】を、何故、日本軍は決行したのか?

中学の歴史の先生(ガチン、ガチンの真っ赤っ赤)に【インパール作戦】に何の意味があったのかを聞いたことがありましたが・・・・

その先生、【インパール作戦】はアジア全土を侵略するための戦争だったのです。
と、言っていました。

当時、
イギリス、フランス、などの植民地となっていたアジア諸国を日本が侵略するために戦争を仕掛けたものが【インパール作戦】です。
けれど、その作戦は失敗に終わりました。

日本軍は失敗に終わっているにもかかわらず、
『日本は戦争には負けたが、しかし、我々の作戦は成功した!』
などと負け惜しみを言っておりました。と、主張しておりました。
日本の中学で反日歴史教育係をしていた歴史の先生は。

けれど、その主張だと矛盾してくるのですよね。

【インパール作戦】の最終目的地はインドでした。
当時のインドで独立運動を行っていたマハトマ・ガンジーと日本は友好関係にありました。

そして、日本軍が向かう進路にあるものは、全て西欧列強の植民地にされていた地域で、
しかも、地元住民が独立運動を起こし、植民地支配から独立するために絶えず小競り合いが起きていた地域だったのですよね。

で、日本軍が現地に到着した後、独立運動を起こしている地元住民と合流して、
植民地支配から開放していった。

戦争がないときは牧歌的な行軍だったそうですね。

日本軍は、なおも進軍を続け、片っ端からアジア諸国の独立の後押しをして回っていたそうですね。

やがて、イギリス軍は日本軍を迎え撃つために兵力を増強しなければいけない状況に陥り、
インドでの独立運動を鎮圧するために駐留させていた兵員も日本軍を迎え撃つための兵力として投入しなければいけなくなりました。

そして、インドでの独立運動鎮圧部隊は手薄となり、
独立運動家達と独立運動鎮圧部隊の力関係は逆転し・・・・インドはイギリス政府から独立を勝ち取ることが出来ました。

このとき、
『インパール作戦、成功せり!』という連絡を司令部から受けると日本軍は速やかに引き上げたそうですね。

けれど、インドの手前で足止めを余儀なくされているとき、雨季に見舞われ、戦争をしているとき以上に過酷な状況が日本兵達を襲っていたそうです。

旧日本軍が推し進めていた【インパール作戦】とはインドを、はじめとするアジア諸国を西欧列強の植民地支配から独立させるためのものだったのですね。

格闘ボディさん、これで合っていると思う?






Last updated  2019.09.16 22:47:03
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