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モモン・PART2

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子供を虐待して育てたことの結末

2011.01.06
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子供の虐待は、今に始まったものではないのだ。
それは昔からありました。

現在のように子供の人権を守ろうと努力してくれる機関が無かったことなどで目に付き難かっただけではないかな?と思います。

昔は親が自分の子供を虐待していても、それを止めさせるために子供を隔離し保護してくれるくれる機関などありませんでしたからね。
『親子の問題だから』で片付けられていましたから。

私の場合もそうでした。
誰から見ても躾等ではなく虐待としか見えなかったそうですよ。
私の周りの大人達のほとんどが、
私のことを、『親父の浮気の犠牲者』と言っておりましたからね。
早い話が、母が継子虐めをしている。と思っていたのですよ。

それほどハッキリと虐待していると分かっていた状況であっても誰も介入することができなかったのですよ。
昔は、そういう時代だったのです。


母は私への行いもキレイサッパリ忘れていましたけれどね。
だから、これでよかったと思います。
私の心の中には母は始めからいなかったのだから。
私にとって母という人は、他所の小母さん、という感覚でしかなかったのですから。

人から、
『でも、お母さんが、あなたを産んでくれたんだから。』と言われたときに、
私はキッパリと、
『私は生まれてこないほうが幸せでした』言ってしまいました。
これが私の母への本心だったのでしょうね。
それ以来、私の心はスカッと晴れ渡っております。スマイル

私にとって、私を産んでくれた人というのは・・・・
やはり、親父ですね!音符スマイル
私にとって親父は、父親でると同時に母親でもあったと思いますね。

よくまともに育ったものだと自分でも思いますが、
それには、親父が母親の役割も果たしてくれていたからなんです。
私にとって親父は、父であり、母でもありました。
だから、私は子供の頃から母のことを、『母という名の他所の小母さん』と思っておりました。


でもね。
私の場合は見た目でもハッキリと虐待である。と分かるから、まだ救いがあるのですけれどね。

見た目では分かりにくい兄のようなケースは全てと言っていい程に見落とされてしまいますよね。
母は兄を、四六時中、可愛がっていたのですから。
周りの大人達も母が愛情を注ぎ込んで兄を育てていると思っておりましたからね。

母も自分が兄をも虐待している事に全く気付いてはいませんでしたがね。
一生気付かないままでしたね。

母は兄を大切に育てているように見えていたのだけれど、兄の精神面や心の発育を阻害していたよな。
猫可愛がりにして育てて躾というものを全くと言っていい程にやっていない。
兄が悪さをしたときなど、それを叱らず、悪さをした責任を他者に擦り付ける。
『うちの子に限って、そんなことはない!』と言って自分の子供の責任を認めようとしない親でした。兄に限ってだけね。

そのように育てられてしまった結果、
人の話や、人の気持ちを理解することができない。
1つのことを理解するまでに1年半もかかる。

自分の思い通りになって当たり前。
自分の思い通りに事が運ばないのは社会が悪いからだ!と言う。

人を気遣うということを知らない。
人の嫌がることだけは進んでやる。

という人間に成長してしまった。
だから社会に適合することができないのだよね。

このように育てることも虐待ではないかね?








Last updated  2011.01.07 00:17:30
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2010.11.26
人が死んだとき、その人の嫌な思いでは全て時の彼方へと消え去り、良い思いでだけが残ります。

母が亡くなったとき、母の思い出は私の心には何一つ残りませんでした。
これが意味するものは、私の心の中には母の嫌な思い出しかなかったということです。

そうなることを望んだのは、私ではなく、母自身なのですから仕方がありません。
親父は、そうならないために出来る限りの努力をしていたのだけれどね。

親父の努力も虚しく、母は親父の警告を無視し続けたのだから仕方がない。
けれど、親父は最後まで母を見捨てなかったのだね。

親父は、『母ちゃんが死んだら、父ちゃんのことも、キレイサッパリ忘れるのやで。父ちゃんが死んだ後でも、それまでは母ちゃんの事を憶えたってな。「父ちゃんが死んだ後のことなんか知らんわい。」てなこと思わんといたってな。その代わり葬式には来たらあかんで。要らんものが付いて行ったらあかんからな。』と言い置いてから亡くなりました。

親父には分かっていたのだろうね。
親父が亡くなったら、私は実家からソッポをむくと。分かっていたのだろうね。

親父が亡くなってから実家へ3回ほど行きましたが、その後は行っていません。
でも、母の葬式には、お姑さんに説得されて行ってきました。

だから、これでチャラだよ!

そして、私の心に今も残っているのは親父の思い出だけ!
母親の役割を果たしていたのも親父でしたから。

私にとって『母』という人は、私の命を消そうとした人。

私にとって『親父』という人は、【いのち】をかけて、私を、この世に生み出してくれた人です。
私にとって親父は、『父親』であると同時に『母親』でもあるのです。







Last updated  2010.11.26 17:23:07
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2010.11.25
母が自分の家で事故死したとき、家の中に兄もいたのだけれどね。
自分が、この世で最も愛していた・・・自分の分身のように愛していた兄が一緒にいたのにね。
その兄に気づいてもらえずに逝きました。

ハッキリした死因も分かりません。
兄から話を聞く度に証言が、二転、三転して、いったい何が本当なのか分からなくなりましたから。

そのとき兄は何をしていたかというと、大きな声を張り上げて『お題目』を唱えておりましたのだと。

大きな声を張り上げていたから母の異変にも気づかなかったのだよね。

でのね、兄は母が亡くなったのは私の責任みたいに言っておりましたわ。
私に負債を背負わせるようにね。
私を自虐させるようにね。

それでも私の心は自分でも驚くほどに静かでした。
心に何の動揺も起こりませんでした。

これが私と母の親子関係だったのだね。

私が思ったことといえば、
そんなに愛おしいと思うなら、何故、あの時(私が赤ん坊のとき)、私を殺そうとしたのだ?
あの時、親父が警告してくれていただろう?
『(私が母に殺されかけたことを)憶えていたらどないすんねん!』と。

その後も、あんた(母)は私を虐待し続けただろう?
親父が、『止めろ!後で後悔するのは、お前やねんぞ!』と何度も警告してくれていたのにね。
あんた(母)は止めなかっただろう?
あんた(母)は『お前なんか要らんねん。』と言って、自分から私との母子の絆を断ち切ったじゃないか。
私が赤ん坊の頃にね。

私と、あんた(母)の絆は、私が赤ん坊のときに断ち切られているんだよ。
あんた(母)が自分から絆を断ち切ったんだよ。

あんた(母)は、とても淋しがっていたそうだが、その淋しさは私が赤ん坊の頃から味わいつつけてきた淋しさなんだよ。

年老いて淋しいからと言って、母子の絆も愛情も『¥』では買い戻すことは出来ないんだよ。
あんた(母)と私の絆を繋いでくれていたのは親父だったんだからね。
親父が亡くなったときに、あんた(母)と私の絆も切れただよ。
そして、あんた(母)が死んだとき、私の思い出の中から母の思いでも消えた。
記憶を辿ろうとしても空白があるだけだったよ。

でも、正直な気持ち、ホッとしたよ。
長い間、苦しめられてきたモノから、やっと解き放たれた。と思ったよ。

親父の思い出を辿っているときだけ、オマケみたいに、あんた(母)のことを思い出す程度だね。
人は『血は水よりも濃い』なんて言うけれど、あれは嘘だね。

親子も血で繋がっているのではなく、長い年月をかけて愛情を育みながら絆を深めてゆくんだよ。







Last updated  2010.11.25 23:33:58
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母の唯一の愛情表現は『¥』でした。
『¥』さえ出せば愛情すら簡単に買えると思い込んでいたみたいですね。
だから母は良く働く人ではあった。足腰が立たなくなるまで働いた。定年の無い会社でしたからね、働けたのだけれど。
で、仕事を辞めて2~3ヵ月後に家の中で事故死した。

その2~3ヶ月間、私に会いたがっていたらしい。
母の葬式に行ったときに実家のご近所さんから聞きました。

でもね、私には母よりも、お姑さんの方が、ず~~~~~~っと、大切なのよ。
お舅さんが亡くなって間もない頃でしたからね。
お姑さんを1人には出来ないし、私も実家へは行きたくなかったし。
だって、親父が亡くなって、その後、私を守ってくれていた、お舅さんも亡くなってしまったのですよ。

恐ろしくて実家へなんか行きたくありませんよ。
母に、『遊びに来い。来い。』と言われるたびに恐怖心が増しましたよ。

『今度、実家へ行ったら生きては帰れないだろう・・・並外れたバカ力を持っている兄がいるのだから。今度こそ確実に殺される!』と思いましたからね。

私が行かないものだから、母は、私の家に来たい。と電話で言っておりました。
母は、
『何でも欲しいものを買ったやるから、お兄ちゃんと、そっちへ行きたい。最新型のテレビでも、エアコンでも、掃除機でも、何でも買ったやるから、そっちへ行きたい。』
と言っておりましたが、私は家の旦那さんの勤務時間を口実に拒否しました。
だって・・・後々が恐ろしいじゃないか!

それを足掛かりに、あの兄に家へ転がり込まれたらどないすんねん!
家の旦那さんと私の人生が、あの兄に滅茶苦茶にされるやろう!
冗談やないで!

と、いうのが私の正直な気持ちでした。







Last updated  2010.11.25 23:23:23
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2010.11.24
母は人を愛することの出来ない人でした。
人を愛せないということは自分を愛せないということなのだよ。
自分を愛せたなら、自分を愛するように人も愛せたはずなのだよ。

言い換えれば本物の愛情を知らなかった。ということかな。
まあ。私にとっては、どうでもいいことだ。
私には親父がいたからね。
その親父も逝ってしまったが、しかし、親父の愛情は死なない。今も生きている。
親父は私の心の中に生きている。

親父が逝った後も、お舅さんがいてくれたし。
お舅さんも家族のために一生懸命に生きてくれましたからね。
今は、お姑さんがいてくれるし。
お姑さんの方が『本当のお母さん』みたいになっておりますよ。

時々、頓珍漢な会話になります。
お姑さんは私の母のことを考えて『お母さんは、・・・・・』と、母のことを話していたのですが、
私の頭の中には、もう母という人は時の彼方に忘れ去られた人なので、
『お母さん = お姑さん』ということになっておりますから、

お姑さんとの会話が、ず~~~~っとかみ合わないまま話をしておりました。
『やっぱり、嫁姑って難しいのかな・・・』と思っていました。

でも・・・・家に帰ってから家の旦那さん(お姑さんの息子)が、
『“おふくろ”が言うちょったんは、神戸のお母さん(私の母)のことじゃったんじゃが、モモンは、誰のことじゃ思いよったんね?“おふくろ”が心配して変な顔しちょったんで。』と言っておりました。

私:『え゙!?私は、お母さん(お姑さん)のことやと思うて話しててんけど。どうりで話が噛み合わへんはずや~。やっと納得がいきました。あっはっは。』で終わりでした。
で、家の旦那さんに、私の母は時の彼方に忘れ去った人であるから『お母さん』というのは、お姑さんだけです。と伝えました。

家の旦那さんも、お姑さんが心配しているということで電話で、そのことを伝えておりました。
話が噛み合わなかった理由を聞いて安心していたそうです。







Last updated  2010.11.25 00:09:49
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2010.11.06
それは、男女の恋愛感情です。
男女が異性を愛し、慈しみ、しかし、やがて相手の心変わりから別の男(または、女)へと走ったとき、それまで愛し、慈しんで来た以上に憎しみが倍増するという。

『可愛さ余って、憎さ100倍』といった具合に。

けれど、親子・兄弟の場合は、それとは違うのですよね。
親子・兄弟の場合、愛する家族に裏切られたなら憎しみではなく、悲しみだけが心を埋め尽くします。

そして、裏切られ続けても、なお、愛おしいという思いから信じ続け、やがて、家族の心には自分への愛情など欠片もない。という現実を見せ付けられ、それを突きつけられたとき、家族は耐え難い悲しみ故に親子・兄弟は自分の愛する家族を『忘却する道』を選ぶのです。

親子・兄弟の場合。
『愛情の反対は忘却です』
それでも親子・兄弟の苦悩は消えることはありません。『いのち』ある限り続きます。
それまで信じてきた愛する家族に苦しめられることの苦悩は筆舌しがたいです。

本当に、忘却することが出来るときというのは、どちらかの『いのち』が尽きたときでしょうね。
どちらかの『いのち』が尽きたとき、思い出の中に残るのは、良い思いでだけなのです。

もし、何一つ、良い思い出がなかった場合、存在そのものが忘れ去られます。
私は、父の思い出は、日常的に直ぐ思い出せます。

しかし・・・母の思い出となると・・・記憶を辿り、そのときの場景を思い出さなくては、母のことを思い出すことが出来なくなっています。








Last updated  2010.11.07 00:19:56
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2010.07.06
人間は、
血のつながりから自分の身内を心のどこかで信じている。
『いつか、必ず、まともになってくれる!』と信じている。
人間だもの、仕方がないよね。

しかし、その身内に最後の最後まで裏切られ続け、事の原因まで自分に押し付けられたとき、やり切れぬ怒りだけが込み上げてくる。

私の場合、“その身内”というのは兄であったのだが。

昔から要領よく立ち回ってきた人であった。
言い換えると、要領よく立ち回ってきたから、ほとんど叱られたことがない。

代わりに叱られていたのは、いつも私であったから。
だから兄は、事の善悪の判断をする。という能力が極めて低い。

何も分からない、何も理解できない人間のまま齢だけを重ねて生きてきたのだ。

父にも、そのことを言ったことがあった。
さすがの父も、兄に関してだけは眼が曇ってしまっていたのだろう・・・

父は、
『あいつは、お前と違って優しい人間やから、あんまり強いことを言うても可哀想やからな~ぁ。あいつは、お前の兄貴やねんから辛抱したってくれ。
あいつもバカやないのやから時期が来たら分かるんやから、それまで辛抱したってくれ。』と、言って兄を庇うだけであった。

しかも、兄が何か仕出かすごとに、私のところに苦情が回って来ておりました。
私のことを、兄の姉だと思っていたとのことでした。

母に、そのことを言うと・・・・
『あんたは妹やねんから、お兄ちゃんを助けたらんとあかんやろ!』と言われていた。

父に言うと・・・・・一応、兄を叱ってはくれた
父は兄に、
『お前は男で、しかも兄貴やねんからな、妹に迷惑を掛けるようなことをしたらあかんやろ! もっと兄貴の自覚を持て!』
と叱ってはくれていたのですが・・・・

兄が、
『分かっている!』と返事をすると・・・・

父の話は、それで終わりであった。いつも・・・・

父は私に、
『あいつは、元々、頭の良い奴やねんから、気が付きさえしたら、すぐに挽回しようのやから、何も、言わんと長い目ぇで見てやってくれ。』
と、言っていたのだが・・・・・

その頃は、私も、まだ兄を信じていましたからね。
それ以上は言いませんでした。

しかし、現実は、そんな甘いものではなかったのですよね。

長い目で見ていた結果、兄は、事の善悪も分からず、
現在、自分が置かれている状況も把握できず、
人と、どのように関わってゆけばいいのかも、全く分からない。全く理解できない人間になってしまいました。

父の病気が悪化したとき、ようやく分かったのですよね。
そのときには、もう遅かりし。でしたが。

兄は自分が優越感に浸るためなら自分の妹であっても平気で踏みにじる人間であったのだ。
自分が楽に生きるためなら親でも平気で騙す人間であったのだ。

兄は、そういう種類の人間であったのだ。

私は父に、それとなく言ってはみたが・・・・
やはり、兄を庇う言葉しか出てこなかった。

父が私の言葉の意味を本当に理解してくれたのは、
父が亡くなる数ヶ月前のことでした。

そして、父は私に絶対命令を出しました。
『親が2人とも死んだら、あれ(兄)とは絶縁せよ!そうしなければ、お前達は、あれ(兄)に食いつぶされるぞ!お前達が生き延びることが親父の願いだ!』と、言っていました。

それまで、私は兄に不快な思いばかりさせられ、迷惑ばかりを掛けられ通しでした。兄は、それが自分に与えられた当然の権利であると思い込んでおりましたからね。

全ては両親の兄への溺愛、特に母の溺愛から始まり、
父の教育方針の全てが裏目に出た結果でありました。

父も病院のベッドの上で取り返しのつかない現実と向き合い、
悔やんでも悔やみきれない、後悔の念に苛まれておりました。

もっと早くに兄の実態に気づいてやっていれば軌道修正をしてやれたかもしれないのに・・・・と。

そして、私にも辛いばかりの人生を歩ませずに済んだかもしれなかったであろうに・・・と。
父は病院のベッドの上で後悔の念に攻め苛まれておりました。

父が、ようやく理解してくれたからと言っても、
私の心に積もりに積もってきた怒りがおさまるはずもなく、

私は兄との関わりの一切を断つために、
兄が何を言おうとも私は黙して語らずにいました。

しかし、兄は、
『自分(兄)の言うことが正しく、反論の余地がないために、私が黙している。』と、自分の都合のいいように思い込んでおりました。

私は歯を食いしばり、黙して語らない姿勢を貫きました。
現在は、それでよかったと思っております。

現在は兄への怒りは、ほとんど無い。

兄は、権利だけは2人分主張してきた。
しかし、義務を果たしたことがない。

義務を果たすのは私の役目と思い込んでおりましたからね。

これからは、そういうわけには行かないのだ。
自分の面倒は自分で見なければならないのだ。

普通の人であれば、『そんな事は当たり前だろう?』と言うだろう。
だが、兄は普通の人生を歩いてきた人ではないのだよ。
兄は、親と妹にぶら下がって生きてきた人間なのだよ。
しかも半世紀以上も。

そうした人間が自分一人の力だけで生きて行かなければならない。としたら?怒る自分の方がバカらしいだろう?

兄は、これまで自分が溜めてきた付けを、これから払わなければいけないのだ。これまで果たしたことのなかった義務と責任というものを、これから果たして行かなければならないのだ。

しかし、全ては兄が自分で選んだ道なのだから致し方ないことなのだ。
兄は自分から、苦しいこと、辛いこと、嫌なことから逃げ続けてきたのだから致し方のないことなのだよ。

これが、自分の身内を数十年間も騙し続け、上手に要領ばかりをカマシテ生きてきた人間の結末なのだ。

だからと言って、
私は哀れんだりなどしない。
人間は自分の人生を、自分の持てる限りの力でもって切り抜けてこそ苦難の中でも喜びを感じることが出来るのだと思うから。

誰のために生きるのかって?
自分のために決まっているだろう!( ̄ー+ ̄








Last updated  2010.10.21 23:39:50
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2010.06.02
兄という人は、母の分身だ。
それ故、母は兄を叱ることが出来なかったのだろう。
兄を叱るということは、自分を叱るという事になるのだろうか。
母にとってはね。

何故か?って?

母は何時も、自分だけを可哀想がっていましたからね。
他に目を向けることが出来なかったのだろうね。
で、自分(母)の気持ちのはけ口が私だったってわけ。

兄も自分の鬱憤を私にぶつけていましたね。

兄は親父や他の人に叱られた言葉を、そのまま私にぶつけて、親父や他の人に叱られたことは全て忘却していました。

何故、叱られたのか?を全く考えない。考えないから反省もしない。
だから進歩というものがない。

しかし嘘を吐くことだけは大変上手。
私も何回、騙されたことか分からない。
血の繋がりを良い事に騙すのだから、これ以上、関わりを持ちたくないよね。

『まさか自分の妹まで騙しはしないだろう。』
と、私も兄を信じておりましたが・・・・信じたお蔭で散々な目に遭わされて来ましたから、金輪際信じません。

何が本当か分からないのですもの。

だって、
『現実を見たら気が狂うから、現実なんか見たらあかんのや!』
と言う人ですからね。
兄という人は。

私は、
『現実を見ない方が気が狂う!』
と思いますけどね。

そして、兄は私に負債を背負わせるような言い回しで、私を自分(兄)に縛りつけようとしていましたね。
統一協会と同じような言い回しで。

それに、『叱る』と『怒る』の違いも全く分からない人でしたし。
どちらも、事の善悪というものが全く分かっていない人でしたから致し方ありませんけどね。






Last updated  2019.09.16 23:12:19
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2010.05.31
母は、兄を絶対に叱らなかった。
どのような悪いことをしても、
母は、兄を叱らなかった。

兄が悪さをしたのではなく、
私が悪さをしたと言っては、私をシバキ上げて楽しんでいたのだ。

兄も、よく心得たもので、
私が母にシバキ上げられるように、わざと母の目の前で悪さをしていたのだ。

親父に咎められると、
私がいるから、兄が悪さをするのだ。と言い訳をしていた。

母は、親父に叱られた。

『そないに嫌いな子やったら、人に、やれや!
いらん子やったら、人に、やれや!
これ(私)を欲しがっている人は、ようけ(多人数)おるのやから!』
と叱られていた。

事実、私は人から、よくクレ。クレ。と言われておりました。
親父が、それを拒否していただけなのだ。

が・・・・母も学習したのだろう。

親父に隠れて私をシバキ上げて楽しんでいた。

兄がわざと悪さをする。
    ↓
母は、
『またやってるんか!毎日、あれだけ叩かれているのに、お前は、まだ分からんのか!?』

と怒っては私をシバキ上げて楽しんでいた。
それが毎日、1~2時間、続くのだ。嫌になるよ。

継母だと思っていたから耐えられたことなのだよね。
親父に母が『実母』だと聞かされたときには、正直、死にたくなりました。

私は生まれてから、
ず~~~~~~~~~っと、母に疎まれ続けていましたからね。

兄も、わざと悪さをして、
母に私をシバキ上げる口実を与えてあげることが母を喜ばせること、
そして、自分も、それを見て楽しむことが出来る。

私の母と兄はそういう人でした。

他所の人から見たら異様な光景だよね。
周りの人は、
私のことを親父の浮気の犠牲者と思っていた。
親父と愛人の間に出来た子供という事で。

私が26~7歳のときに実際に言われたのですよね。
以前、お風呂屋さんを経営していた人の奥さんに、
『お宅の奥さんも、何のかんの言いながらでも、よく他人が生んだ子供を育てたね~ぇ。』
と言われたことがありました。

親父は唖然としていました。
『あれ(私)も、自分の子供ですがな。』
と親父が言うと、

驚いたのは、以前、お風呂屋さんを経営していた人の奥さんの方で、
『え゙!そうですか~ぁ。^^;(いらんこと言うてしもうた!)』
と、いう顔をしながら言っていました。

それからというもの、
以前、お風呂屋さんの経営していた人の奥さんは、
出来るだけ母とは関わらないようにしておりました。

母も、何故、自分に、そのような余所余所しい態度を取るのか?と、ぼやいておりましたが・・・・・

その理由に全く気づかないほどに母は鈍いというか。頭が悪いというか。

母は、以前、お風呂屋さんを経営していた夫婦に大変な迷惑を掛けていることをキレイサッパリ忘れているのだ。
お風呂屋さんの存亡に関わる一大事を引き起こした張本人なのにね。
それさえもキレイサッパリ忘れているのだ。

経緯は、これに↓
http://plaza.rakuten.co.jp/momon7032/diary/200907280000/

だから昔の母を知っている人は、母には近づきたがりません。

だから、私も時期が来たら母を忘却する。






Last updated  2019.09.16 23:11:32
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2010.05.30
母と兄も、そうであった。
母方の従弟妹に知的障害を持った子が2人いました。
母の、すぐ下の弟の子供に。

母は言っていた。
『自分の家系には、そんな子は1人もいないのだから、弟の嫁の血に原因がある。』ってさ。
自分のことは除外して、人のことを言っておりました。

で、母は従弟を兄に近づけないようにしていましたね。
兄にバカが移ったら困るんだって。
バカだよね~ぇ。って感じ~ぃ。
うつるわけがないのにね。

昔のことを穿り返していたら思い出しました。

私は、もともとバカだから、従弟と同じ仲間だからいいのだとさ。
ということで、
私が従弟と遊ぶ事になりました。

でもね・・・・・

あれから○十年経ってみると、
従弟は確りした人になって、
兄の方が、おバカになりました。
従弟と一緒に遊んでいないのにねぇ。

私にとっても、従弟と遊んでいた数日間は大切にしたい思い出になっています。今、思うと従弟は、私の身内の中で最も神に愛されていた子供だったのかもね・・・・と思いますね。

で、その子と心から打ち解けて遊べたのは私だけだったって、後から親父に聞かされたときには、『神さんは粋なことをするな~ぁ。』と思いました。
従弟の心は澄んだ泉のごとく清らかで美しい。

が・・・私は濁っているよな~ぁ!と思いました。
本心からね、そう思いました。

私も、従弟と出会えたことで人間の持つ可能性の広がりというものを身近に感じることが出来ました。

知的障害があるからって諦めてはいけないよ。
従弟が、その良い例なのだから。
従弟は一生、自分の力では生きて行けない。と言われていたのですよ。

その従弟が1人の社会人として自分で生計を立てていました。
でもね、それだけじゃないのですよ。

末の弟には障害はなく普通に勉強が出来たのですよね。
だけど家が裕福な方ではなかったから大学は諦めていたのだって。

でも、お兄ちゃん(従弟)は末の弟を大学へ行かせてやりたかったんだって。

で、お父さんに、
『僕が、もっと、もっと、働いてお金を稼ぐから弟を大学へ行かせてやってくれ。』
って頼んだって。

知的障害があると言われている人が、こんなこと親に言う?
家族思いの良いお兄ちゃんではありませんか?

私はね、こういう一生懸命に努力して生きている人をバカにする奴が許せないのさ。そういう奴に出会うと『キツネの仮面』を着けたくなるのさ。

相手が自分の、親・兄弟でも関係ないね。
祖父と親父の教育の結果かな。






Last updated  2019.09.16 23:10:43
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