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モモン・PART2

全6件 (6件中 1-6件目)

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見守ってくれていた人々

2011.09.30
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私はトン汁を食べたら直ぐに家へ帰るつもりでいたのですが、兄が、また、何やら、やらかした様子だったので事の次第が分かるまで残る事にしました。

先ほど泣き叫んでいた女性はボランティアで派遣されていた女性が宥めておりました。

ボランティアの女性:
『貴女のせいで震災が起きたんじゃないのよ。誰のせいでもないの。自然災害なんだから。貴女のせいじゃないの。』
と優しく宥めておりましたが、

避難所の女性は、『私が悪いのよ!私が悪い因縁を持っていたせいで家族が死んでしまったのよ!』
と号泣していました。

ボランティアの女性:『(優しく)どうして、そう思うの?』


避難所の女性:
『だって、あの人達が、そう言ってたんだから!私が持っている先祖の悪い因縁を、もっと早く切っていたら家族は死なずにすんだって、あの人たちが言っていたんだか!。』


ボランティアの女性:
『先祖の因縁で震災が起きたのでもなければ、貴女のせいで震災が起きたのでもないのよ。』
と宥めていたが・・・・・・


避難所の女性は、『今直ぐに、私が持っている先祖の悪い因縁を切らなければ、もっと悪い事が起きるって言っていたのよ。生き残った家族も、皆、霊界へ連れて行かれるって言っていたのよ!』
と錯乱状態に陥ってしまっておりました。


ボランティアの女性が錯乱状態に陥ってしまっている避難所の女性に何を話しかけても彼女には全く届いていない様子でした。

ボランティアの女性は錯乱状態の彼女を『大丈夫だから。私達が側にいるから。大丈夫だから。』と話しかけながら、ずっと抱きしめておりました。


私は、“まさか、あいつ(兄)も、これに1枚、かんでへんやろな~ぁ。”と思いつつ避難所の責任者と兄が戻ってくるのを待っておりました。

母の様子を見やると、真っ赤な顔をして怒っていました。
無言で。
傍から見ても激怒しているのが分かるほどに怒っておりました。

私と母は押し黙ったまま待っておりました。

時間が経つにつれて寒さもましてきました。
50分近く経った頃か、責任者は兄を連れて戻ってきました。兄は、何やら、しょげ返っておりました。


責任者の方は私の顔を見ると、
『よかった。居ってくれていたんですね。』と言い。
炊き出しの一件について簡単に話をしてくれました。

避難所の責任者は私に、『僕も、あの人達は怪しげやな~。とは思っていたんです。僕もボランティアですからね。』と言い、

続けて兄に、『なあ。君、あの人等に、あんまり深入りせん方がええよ。君だけの事と違うからね。君の家族に、どんな迷惑を被らせる事になるか分からんからね。』


私:『あの~。すんません。また何か、やらかしましたん? それやったら、それで父に一切合切、報告せんとあきませんからね。』

避難所の責任者:
『そうですか~。そしたら、お父さんに「今回は初めてという事で多めに見ることができますから此処に非難していてもらっていても問題ありません。だけど、次に、また同じ事を繰り返したら、この避難所から出て、自分達で別の避難先を探してもらわなくてはいけなくなります。このような事は二度と、させないようにしてくださいね。」と伝えてもらえますか?』

私:『はい。分かりました。父に、そのように伝えます。』


避難所の責任者:
『あ~。それと、妹さん?(私を指差して)あの人達に何か奇妙な事を言われたら、直ぐ僕に知らせてくださいね。僕が留守のときは出入り口のところに居る女の人に言うて下さい。それだけです。よろしくお願いします。』と言い一礼して自分の持ち場へと戻りました。


私:兄の方を向いて、『今日のことは全部、父ちゃんに言うとくからな。父ちゃんと、よう話しいな。ほな帰るわ。』

母:『何や泊まるんとちがうのんか?じいっと座っとるから泊まるんかおもてたのにから。』

私:『さっき言うたやろ!事情が分かるまで居るけど、事情が分かり次第、すぐに帰るからな。言うたやろ!帰るからな。さいなら。』

と、私は避難所を後にしました。


避難所の外へ出ると日も、とっぷりと暮れて辺りは真っ暗でした。
日没に備えて太目の見もを付けタスキ掛けにして下げていた懐中電灯を左手に持ち、前方を照らしながら歩き、右手には護身用の金槌を持っておりました。もぎ取られないように、これにも太目の紐を付け、それへ手首を通して握っておりました。


両手には、もちろん手のひら部分にゴムのイボイボが付いた軍手を穿いてました。


避難所は学校の広い敷地内にある体育館を解放してもらっていたので、学校の正門のところまで歩いてゆくにも7~8分くらい掛かっていました。そこから家まで25分くらいの道のりでした。

私は学校の正門を出て約10分くらい歩いていた辺りで人影が急いで物陰に隠れるのを見ました。

とっさに、“出たな!”と懐中電灯の明かりを消して、私も暗がりへと身を潜めて怪しい人影の方へと少しずつ間合いをつめてゆき、辻強盗が隠れている地点を確認すると・・・・金槌を確りと握り締め。

無言のまま、辻強盗めがけて突進すると、
辻強盗は『ひぇぇぇ!』と、とっさに走り出した。

私は、その人影が辻強盗であると思っていましたから、直ぐにでも金槌でぶん殴れる体勢で追いかけました。

辻強盗は少し走ったところで足がもつれたらしく転び、
『お、お金やったら、お金やったら財布ごとあげますから命だけは助けてくださいーーーー!私も歩いて家族を探してるんです。(;_;)命だけは助けてくださいーーー。』と哀願しておりました。

私:『なんや~。辻強盗と違うんかいな?』

辻強盗に間違えられた男:
『よかった~。女の人やった~。よかった~。(は~っと溜め息を吐いた。)』


私:『女やから強盗やないとは限らんで~。』

辻強盗に間違えられて男:
『え~~~!あ、、あんた・・・あんた・・・』

私:『強盗と違います。』


辻強盗に間違えられて男:『ほんまに・・・?』

私:『私は辻強盗と違うよ~。けど、あんたは辻強盗と違う保障はどこにもないやん?何処の誰とも知らんし。』


辻強盗に間違えられた男:
『オッチャンは、三宮の方から、ずーーーっと弟一家の行方を探して此処まで、やっとの思いで辿り着いたとこやたんです。今朝、おにぎりを1個、食べたきりで腹が減って困ったな・・・と思っていたとこへ、お姉ちゃんが来たんや~。ビックリしたで~ぇ。』


私:『ごめんな~。そうやったんですか~。家族を探しに来はったんですか?家族が居てる場所は分かってますのん?で、家族は弟さんだけですか?』


辻強盗に間違えられた中年の男:
『私の家族は、お陰さんで無事でしてんけど、弟一家と連絡が全く取られへん状態ですから、まずは私の家族を非難させてから、やっとの思いで此処まで辿り着きましてん。』


私:『そういうことでしたら、私の家族が非難している避難所で聞いてみはったらよろしかもしれませんわ。伝言板を作ってくれてますから居場所が分かるかもしれへんし、もしかしたら居ってかもしれませんし。案内しますわ。』

と、後は歩きながら話をした。


中年の男:『帰りかけてやったんと違いますか?場所を教えてももろうたら自分で行きますさかい。』


私:『いいですよ。知らん人がいきなり尋ねていくより、顔を知っている者が間に入った方がええやろし。それと、辻強盗が出たらあかんし。』


その後も避難所へ着くまで雑談をしながら歩いていた。
私は、殆ど聞き役でした。
中年の男は、とても不安そうな様子で歩いていました。


来た道を戻り、避難所へ付くと伝言板の前には人だかりが出来ておりました。

私:『あの~、すんません!一寸、見せてあげてください!すんません。』と中年男性を伝言板の前まで案内して、

私は玄関先で男性が身内の安否確認をするのを待っておりました。

中年男性:肩を落として『弟の名前も家族の名前もありませんでした。』

私:『ほな、責任者の人に聞いてみましょ。この時間は居ってのはずやから。』と私は帰り道で出会った中年男性を責任者をやってくれていた男性のところへ案内して、

私:『帰り道で会うたんですけど行方不明の家族を探してはるんです。詳しい事は本人から聞いてください。』と言って、私は母と兄がいる場所を指差して、『オッチャン、私は家族のところに居りますから、何かあったら呼んでな。』


中年男性:『ありがとう。お世話掛けます。』

中年男性は責任者をやってくれていた男性に事情説明をしはじめた。


母:『帰ったんと違うんかいな?』

私:『帰る途中で行方不明になった家族を探しとう人に出会うたから案内してきたんや。責任者が「泊まってもええ。」言うたら、ここに寝かしたってな。それと朝、握り飯を1個食べた限や言うてたから何か食べさしたってな。そんだけ。』
と説明すると・・・・

兄は事情も全く分からないのに責任者と中年男性の間に立とうとしておりました。

私はメッチャ恥ずかしかった。
こういう兄がいる事に。


責任者の男性:『君は何も言わなくていいから。この人(中年男性)が自分で説明してるところやからね。君は何も説明しなくてもいいから。妹さんとお母さんと一緒に居ってください。』と大きな声で言った。


兄は不機嫌になって戻ってきて、
『なんやねんな~。あの責任者!偉そうにな!』と自分の可笑しな行動には何も気付かず、責任者の、ごく当たり前の対応を非難しておりました。

私は、黙って体育館の壁にもたれて座っておりました。


5分ほどが経ち、
帰り道で出会った中年男性が私達のところへ来て、
『お姉ちゃん。ここに弟一家はおらへんかってんけどな、今晩は、ここに泊めてもらえる事になりました。ありがとう。』


私:『よかったな~。ほな、私は家へ帰りますわ。水も食べる物もありますから好きなん食べてな~。ほな。』


中年男性:『すんません。ありがとう。』

私:『困ったときはお互い様やから、かまへんよ。ほな、帰りますわ。オッチャンもゆっくり休んでな。』


中年男性:『せめて玄関まで送らしてな。』

私は中年男性と避難所の玄関先まで一緒に行った。

中年男性:『ごめんな。家まで送ってあげられたらええねんけど。』

私:『家まで送ってもろうたら、また、ここ(避難所)まで送ってこんとあかんさかい、ここでええよ。』


中年男性:『何や、反対やな~』

私:『こういう時やさかい、ええやん。気にせんと。ほな、ここで、さようなら。』


と私は避難所を後にしました。
今度こそ本当に家に帰りました。


でも、こんどは途中で
『石やん!』と親父の知人に、親父と間違えられて呼び止められました。

私:『誰や!』

親父の知人『わしや!』

私:『何所のわしや!』

親父の知人:『××の角を曲がったとこの△△や。』

私:『なんや、オッチャンやったんか。父ちゃんやったら向こう(前方)から鉄の棒持って歩いて来よるで。』


親父の知人:『モモンちゃん、えらい遅い時間に何所へ行っとったんや?』

私:『一寸、用事で避難所へ行っとってん。のんびりしとったら日が暮れてしもうてん。』




親父:『帰って来たんか。あんまり遅いから何かあったんかと思うて迎えに行きよったとこや。何があったんや?』

私:『家に帰ってから話をするわ。』


親父は『ほな、先に家に帰っときー!』と言って、
親父の知人と何やら話し始め、地域の集会所に使わせてもらっている家へと向かった。








Last updated  2011.09.30 22:19:05
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2011.08.12
昼飯を食べ終わると母は直ぐに避難所へ戻ろうとしました。

でも親父が母に、
『何所へ行くのや?』と言った。

母:『避難所へ帰るんやない。』

親父:『なんぼ「一寸、居るだけでええさかい。」と言うたからっちゅうて、そないに早よ帰らんかてええやろ。もう一寸、居れや~。今日の晩ご飯は炊き出しがあるんやろ? それやったらモモンにも食わしたらんかい。』
と言いました。

私も温かいものが食べたかったので、『今日の晩ご飯は炊き出しなんか?私も食べたい!』と話に乗っかった。

で、母は夕方まで家にいる事になりました。

けれど・・・あったのです、2時ごろに。
また余震が。
余震は、しょっちゅう、あったのですけれどね。小さいやつが。


そのとき親父は釣り道具をこしらえておりました。

私は水っぽいジュースを飲みながら、お菓子を食べておりました。

母は疾風のごとく表へ飛び出しました。
目にも留まらぬような早業でした。

親父:『今のんは、一寸、大きめやったなぁ。』

私:『うん。一寸、大きめやったなぁ。』

親父:『え?母ちゃんは?何所へいったんや?今の今まで、そこに座ってたやろ!』

私:『居ったで。揺れたんと同時に家から飛んで出たで。』

親父:『早いなぁ。』

私:『うん。メチャメチャ早かった。疾風みたいやった。』

親父:『あないに怖がるんやったら、しゃーないな。一寸早いけど用意をして送って行ったり。ほんで、お前も炊き出しをご馳走になってから帰ってきたらええさかい。』
と言っているところへ母が家に静かに入ってきました。

親父:『怖かったんか?』

母:『・・・・・・』

親父:『怖かったんか?』

母:『・・・・・』

親父:『怖いことないねやったら、家におらんかい。』

母:『怖いわいな!いつ頭の上に落ちてくるか分からんのにから!』と怒った。

親父:『(笑いながら)怖いねんやったら、「怖い。」と言えや。』

母:『二人で私を馬鹿にしてからに!』

私:『え゙え゙―ぇ゙!何も言うてへんがな!』

母:『ああーぁ!怖い!怖い!々!々!々!』

私:『私かて何も言うてへんがな!』

親父:『放っといたり。1つの事しか目に見えてへんのやさかい。』

しばらくして、母も静かになりました。

親父:『もう直ぐ2時半やな。一寸早いけど避難所に帰るか?』と母に尋ねた。

母:『ほな、帰るわ。』と、そそくさと家を出た。

親父:『おーい!母ちゃん!モモンの用意ができるまで待ったらんかい!』

私:『ええわ。怖いんやろ。後から追いかけるさかい。ええで。』
と用意が出来次第、私も母の後を追いました。


会話も少なく避難所への道を歩いておりました。
家から30分ほどのところに避難所はありました。

着いたのは3時ごろ。
兄も貰ったスペースに毛布を敷き座っておりました。
炊き出しは4時半頃で、それまでの1時間半、時間をもてあましておりました。

話をしながら時間を潰すにも話し相手が母と兄では全く話が合わないのです。
話す事と言えば『風呂に入りたいな。』くらいしかありませんでしたから。

で、何もする事もなく、ボーっとしておりました。
時間が過ぎるのが遅かったですね。
だって、何にもする事がないんだもん。

4時半くらいまで、ボーっとしておりました。

4時半ごろ、
兄貴が『向こうで炊き出しをしてるから貰うておいでぇ。とん汁やで。』と言ったから、

私も『炊き出しは 4時半 5時からとちゃうのんか?』聞き返しました。

兄:『もうやってるで。早く行って貰うておいで』と言うから、周りの人達も誘っていこうとしたら兄が止めたのですよね。

私も何か変!と思ったので、
『それやったら、また、出直すわ。母ちゃん、また今度な。ほな帰るわ。』と言って立ち上がると、

兄:『5分だけ待っといて。』と言って外へ出て行ったのですわ。

5分経っても帰ってこない。
私:『ほな、帰るわな。またな。』

母:『まあ待ちぃな。お兄ちゃんが、せっかく取りに行ってくれてんのにから。もう直ぐ帰ってくるわいな。』

私:『いつまで待つねん?日が暮れるで。辻強盗に襲われたらどないすんねん?』

母:『あんなん家に急いで帰らんかてええやないか?もう一寸待ったり。』

私:『あんなん家て何や!父ちゃんと私で、こけてこん様に守をしとんねやろが!今は、父ちゃん1人やねんで。そんなん考えた事あるんか?どないやねん!?』

母:『お前も、直ぐに父ちゃんみたいに怒るねんから!もう!』

私:『あないなこと言われて、怒らん方がおかしいんとちゃうか?』

母:『もう。・・・・・もう一寸待ったて。いうて頼んでるんやない。』

私:『はあ。1分な。』
時計の秒針を見ながら・・・・『はい。1分経過。帰るで。』と言い、母を残して避難所の外へ出ました。
避難所として体育館を開放してくれていた学校の校門の方へ向かって歩いていると。

前方から兄が汁椀を3つトレーに載せて歩いてきました。

兄:『ごめんな。喋ってたら遅くなってしもた。』

私:『誰と喋ってたんや?誰か知った人がおったんかいな?』

兄:『うん。昔な、一寸知った人がおってな懐かしかったから喋っとってん。』

私:『楽しかったか?』

兄:『うん。あの頃が懐かしかった。』

私:『あの頃てなんや?』

兄:『お前に言うても分からん。』

私:『そんなもん言うて見んとわからんやろ。』

兄:『昔の事やから、もうええねん。』

と話しながら、また避難所へと戻りました。


私も我が家に割り当てられた区画に座りトン汁を食べておりました。
その時、母が、
『お前(兄)、えらい遅かったな?』

兄:『うん・・・・。一寸な。』

母:『一寸、何や?』

私:『昔の知り合いに会うて、えらい懐かしいて喋ってたんやと。』

母:『知り合いて誰や?』

兄:『知り合い言うたら、知り合いや。』

母:『知り合いて誰や?言われんような知り合いか?』

兄:『違うわい!名前を知らんだけやないか!』

母の顔が突然、真っ赤になり、『お前(兄)は、まだ、あの女と付き合うとったんか!』と体を震わせ怒りだしました。

兄:『違うがな!あの人の友達やがな、そやからなあ、彼女が元気にしてるんか聞いてただけや。』

母:『お前は、まだ、そないに、あの女に未練があるんか!?』

兄:『・・・・喋らなくなりました・・・・』


私は母と兄の会話など見向きもせず、ひたすらトン汁を食べておりました。
早く食べて帰らなければ、すぐに暗くなりますから。

私がトン汁を食べていると、自分の家の様子を見に帰っていた人が順々に避難所へ戻ってきて、
『え?今日炊き出しがあるのん?』

兄:『うん。向こうで炊き出しをやってるよ。』と言いながら場所を教えておりました。

被災者が次々にトン汁を貰ってきて各区画で食べておりました。

が・・・・突然、出入り口の方から女性が泣き叫ぶ声が聞こえてきました

それを慰める男性の声も聞こえてきて・・・・その男性が避難所へ入ってきて中の様子を見るなり、
『それは何ですか? ああ、トン汁ですか?
はあ。はあ。ところで、そのトン汁は何所から調達されたんですか?』と出入り口付近の被災者に声を掛けておりました。

被災者は私達の方を指差して『あそこに座っている大きな男の人に教えてもらったんですわ。^^』と言っていた。

避難所へやってきた、ある男性:『一寸、皆さん、聞いてください!』

皆が、その男性に注目すると、
『今、食べてるトン汁のことは、どうやって知りましたか?』と男性は行った。

私達の周りの被災者達は皆、私達を指差して『あそこに座っている人に教えてもらいました。「炊き出しがありよ。」言うて。』と言いました。


確かに炊き出しがあると言っていたのは兄です。


男性は私達の所へ来て、私の顔を見て、
『見かけない人ですが、どちらから来られましたか?』

私は住所氏名と、その当時の我が家の状況を説明し、トン汁の炊き出しがあるという事で食べにきました。と説明すると・・・

男性:『そうですか。私は、この避難所の責任を任されている○○です。そういうことでしたら場所を確保する事ができますので、もしもの時は、お父さんと此方へ非難してください。今日のことは大目に見ますから次からは、今後このような事は弟さんには、させないように、お姉さんからもよく言うて下さいね。秩序の乱れに繋がりますからね。』


私:『あの~。すんません。私は妹なんです。今日、家に帰ったら直ぐに父に今日あった事を報告しますんで父から兄に言うてくれるように伝えておきます。』

男性:『え?そしたら、あなたは炊き出しについては弟さん、いや、お兄さんから聞くまで全く知らなかったということですか?』

私:『はい。』


責任者の男性:『あ・・・。そうですか。あのね~。確かに炊き出しをする事になっていたんです。だけど僕が急用で出かけないといけなくなったものですから、時間を遅らせてくれるように言うていたんです。そのことを知っているのは僕と炊き出しをしてくれることになっていた人達しか知らない事なんです。僕の留守中を狙うような事をされると炊き出しそのものを断らないといけなくなりますからね。
妹さん? もし、また何かありましたら、直ぐ僕に連絡してくださいね。

それと、お兄さん?一寸、一緒に来てくれますか?』
と言って兄を連れて避難所の外へと出てゆきました。


※一部訂正しました。






Last updated  2011.08.12 23:34:15
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2011.05.22
昼前くらいに親父と母が家に帰ってきた。
母が持っていた手提げの中には握り飯が3個、入っていて、

親父は母に『握り飯で“おかゆ”を炊いてくれや。冷たい握り飯は胃にこたえるさかい。』と言っていました。
ガスは、まだ来ていなかったけれど電気は通っていたので電磁調理器で水さえあれば簡単な煮炊きであればできました。


母は“おかゆ”を炊く準備を始めたのですが・・・余震が度々、くるため落ち着かず・・・台所をウロウロ。
持ち場を離れれば親父が怒るし・・・・で。

親父は私に『手を出すな。』と言っていたけれど、見ている私の方がイライラした。
で、母と私は選手交代。

私は“おかゆ”を炊き。
母は家の外にいた。昼とはいえ寒いのに。
しばらくすると近所の小父さん達の話し声が聞こえてきました。母の声も。

“おかゆ”が炊ける頃、母が家に恐る恐る入ってきました。
我が家は隣家の二階が落っこちてきそうな光景でしたから。


怖くなかったのか?って?

そんなもん、怖いに決まってるやろ!
親父も『怖い。』って言っていたよ。

でもさ、家で食い止めなければ、お隣さん達も巻き添えを食って将棋倒しになったちゃうんだよね。
だから親父と2人で頑張っていたのだよ。
何でも屋の親父を信じていたからね。







Last updated  2011.05.22 21:48:41
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2011.05.15
私は、何時、隣家の2階が我が家を押しつぶすかもしれない。という状況の家で寝ておりました。
熱は40度を越して意識は半分飛んでおり、昨晩よりも朦朧としておりました。

しかし・・・何故か目が覚めました。
頭は冷たくて気持ちが良かったのですが、
臭うのです。
枕が。

サビキ釣り用の撒き餌独特の、あの何とも言えない臭いで目が覚めたのです。

私:『臭・・・、この枕、臭うで・・・豪い硬いし・・・』と言うと、

親父:『臭いか?冷凍庫に入れたままにしてあった餌を氷枕の代わりにしたさかいな。再冷凍したものは、もう使われへんけど、とりあえずお前の頭を冷やす氷枕の代わりには使えるさかいな。』

私:『何や、エサかいな・・・』と、またいつの間にか寝ておりました。


次に兄が私を起こしにきました。
兄:『陸上自衛隊の野営テントに行って薬を貰うて来たったで。』と言っておりました。

兄は自衛隊の医師に私の症状を説明すると、
『普通の解熱剤では効かないだろうから座薬を出しておきます。たぶん、これで熱は下がると思います。もし、それでも熱が下がらないようなら、直ぐに来てください。』と言っていたそうです。

1日目は何の変化もなく寝ておりました。
2日目に、ようやく熱が下がり始めました。
3日目の明け方になると、だいぶ楽になってきました。

4日目には全身の痛みと激しい咳は止まらないけれど、ようやく熱も下がり動けるようになりました。

兄は、母が言っていたように、よく気が付くのかな・・・・と思っておりました。
その時は。

でもね、その後しばらく恩に着せられ続けておりました。

事あるごとに、
兄が、『あの時、俺が自衛隊のテントに薬を貰いに行ったらんかったら、お前も此処には居らんかったかも知れへんかったんやで。よかったなぁ。俺が薬を貰いに行ったってなぁ。』
と、しきりに言い続け面倒臭い用事は、全部、私に押し付けておりました。


あまりの、しつこさに、
私は晩ご飯代わりの菓子パンをかじりながら親父に、
『こないに、しんどい目に遭わされるのやったら熱冷ましなんか貰うてきてくれんかて良かったわ!』
と苦情をいうと・・・

親父は、
『何でや? 熱が下がらへんから、あいつに、「俺は家を留守にするわけにいかんから、代わりに熱冷ましを貰うてきたってくれへんか。お前かて体があいとんのやさかい。」いうて頼んだんが何でいかんのんや?』と言っていました。


私は、これまでの経緯を親父に説明しました。

親父は、『明日の朝、避難所へ行ってくるから留守をたのんだで。』と言ってその日は寝ました。

あくる朝、
朝ご飯の代わりは、やっぱり菓子パンでした。
親父は、菓子パンと水っぽいジュースで朝食を済ませると避難所へ向かいました。


私も、もしもの時にブレーカを落とす以外に何もする事はなかったので家の中でゴロゴロしておりました。

で・・・・昼前くらいに親父と母が帰ってきました。

親父:『今度、兄貴が恩着せがましいことをいうたら、「父ちゃんが言うてたことを、もう忘れたんか?」と言うたらええさかいな。』と言っていました。

その後、兄は恩着せがましいことを言わなくなりました。


母は家に帰りたくなかったのですが・・・・親父が連れて帰ってきました。

親父が、
『娘が豪い熱出して寝てるのに、家ごと潰されるのが怖いからいうて様子を見にこん母親が何所ぞの世界におるんや? 1~2時間くらい家に居って、また避難所へ帰ってらええやないか?』
と言って連れて帰ってきました。


本当は、全て親父の指示によるものだったのでした。







Last updated  2011.05.15 21:48:39
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2011.05.10
私たちが兵庫県南部地震に被災して2週間ほど経った頃でしょうか。

親父がいきなり、
『お前は用事があり時以外、外へ出るな!格好が悪いわ!!
と怒り出しました。

私:『何を怒っとんねん?私が何をやった言うねん!?
と親子喧嘩になりました。


事の発端は、母と兄と私の3人が安全な避難所で避難所暮らしをしていたのです。
が、

4~5日経った頃、私は風邪をひいて寒気と朦朧とした意識の中で生活をしておりました。
風邪を引いたからという理由だけで寝かしてはくれませんでしたから。
母は。

何かというと私を呼びにくる。
1~10まで私に聞くのですわ。
『分からん事は世話役に聞け。』と言っているのに。

事あるごとに私を呼びに来るのですわ。
『私も具合が悪いから一寸寝かしてくれへん?』というと、

母:『一寸、用事を頼んでいるだけやない。用事が済んでから寝たらええやない。』と言うのですが・・・・
母は口だけの人なのです。
結局、寝かしてなどくれなかったのです。

症状が急激に悪化し、『意識が飛びそう!』と思ってので体温計を借りてきて自分の体温を測ってみると・・・・39度を超えていたのでした。

当時は生活する事だけでやっと。
薬なんてありません。
自分の体力で治すしかありません。
体力がなければ死ぬしかない。

だって母は私が、どんなに具合が悪くてもお構いなしなのですもの。
お構いなしで用事を言いつけに来るのです。
当の母はというと・・・・何にもしません。

私に用件をいうと自分に配分されたスペースに座っていました。
母の代わりに動くのは常に私。
私は、あんたの、お母んじゃない!!!!!!と言いたかった。
言ってもしょうがないけどね。
私の言葉を理解してくれた事なんてなかったから。

そんな状況でしたから、
私は、
『今から家へ帰って、そこで生活するわ。同じ死ぬんやったら家で死ぬ。家の下敷きになって潰れて死んでもかまへん。お母ん、用事があったら家に来てな。ほな家に帰るわ。』と言いおいて避難所を後にしました。

夕暮れ時で・・・・朦朧とした意識の中で、何とか家に辿り着いた時には真っ暗になっておりました。


家の玄関の戸を開け、『だだいまー。』と言うと。

親父:『どないしたんや?何かあったんか?』

私:『風邪ひいてな、えらい熱が上がりよるから、お母んに同じ死ぬんやったら家で死ぬ。言うて帰ってきたんや。』

親父:『そうか。ほな、ストーブの側で温うにして寝とき。』と言って釣り道具を触っていました。
親父の趣味が魚釣りでしたので。


(つづく)







Last updated  2011.05.11 00:34:17
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2011.05.08
私が子供の頃、その店には母に内緒でお菓子を買いに行っていました。
母は何故か、その店を嫌っておりましたからね。

でも私は、その店が好きでした。
その店の小父さんと小母さんが私の大好きだった駄菓子屋の老夫婦と似た雰囲気をかもし出していたからかもしれません。

お菓子を買いに行くと、その店の小父さんと小母さんが何時も私を気遣ってくれていました。
私が小学3年の中頃までお菓子を買いに行っていた駄菓子屋の老婆のように私を気遣ってくれていました。

その当時は私も何も思わなかったのですが、
今は、母による虐待について知っていたのかな?と思える節があるのですが・・・

その店は『こども110番』の店でもあったこと。
母が往来の真ん中で兄の身代わりに私をシバキ上げていた現場に、その店の小母さんが割って入って母の異常な行動を指摘してくれた事。

それから日を置かずに、私が駅まで父を迎えに行った帰り道で、その店の小父さんが父に、母には兄を溺愛し、私を虐待する癖があるみたいだから気をつけてあげてください。みたいな事を言っているのを聞いた記憶がありますね。

それからですね。
母が、その店を嫌うようになったのは。

母は度々その店で逆切れしておりました。
店の小父さんと小母さんの話が全く理解できなくて。

店の小父さんと小母さんは、母の事を心配して声を掛けてくれていたのにね。
母の心には、その気持ちが微塵も届いてはいませんでした。

仕舞いには店の小父さんと小母さんを極悪人のように言い始めるようになっておりました。

父にも、そういう行いをこっ酷く叱られていたのですけれどね・・・改まりませんでした。

そんなんで母は、とうとう誰からも相手にしてもらえなくなってしまい、
母が何かを言う度ごとに父に確認の連絡が回ってくるようになっておりました。

とうとう父は仕事と家の事を掛け持ちしなければならない羽目になって、
父は母に
『外出禁止命令!』
を出しました。

で、ようやく父の周りも静けさを取り戻しました。


でもね・・・・
それから4~5年ほど経った頃に母は大変恥ずかしい思いをしなければならない事態に陥ってしまいました。
全て母の行いが自分に跳ね返ってきただけの話なのですけれどね。






Last updated  2019.09.17 00:38:31
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