ヤマブキ
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき(後拾遺和歌集 兼明親王)山振の 立ちよそひたる山清水 くみに行かめど 道の知らなく(万葉集 高市皇子)山振もヤマブキと読みます。ヤマブキの枝が風にしなる様子が、山が揺らいでいるように見えるところから名前がついたといわれています。万葉集や古今和歌集などにもよく登場する花です。一重のものは黒い実をつけますが、八重咲きのものには実がなりません。上の歌は太田道灌の故事でも有名ですね。下の歌は大友皇子の妃の十市皇女が急死したときの挽歌です。ヤマブキの黄色に囲まれた泉=黄泉まで行ってでもあなたに会いたいという、情熱的な歌。十市皇女の死には謎が多く、暗殺か自殺だったのではないかという説もあります。壬申の乱では父の大海人皇子が夫の大友皇子に対してクーデターを起こし、結果として大友皇子は自決に追い込まれます。その後未亡人となった彼女は伊勢の斎宮になることになりましたが、伊勢への出立の前日に急死しています。高市皇子の求愛を拒んでの死だったとも、高市とは相愛で大友側の残党による暗殺とも言われています。どちらにせよ薄幸の皇女の死に高市は悲しみ、彼女を悼む挽歌三首を詠みました。彼の詠んだ歌はこの三首以外は記録に残っていません。もよん日記(毒)