モルト再び
最近、またモルトウィスキーを口にすることが増えてきた。 行きつけの純米酒のお店のマスターから紹介された、シングルモルトウィスキーの専門店に、時々飲みに行き出したからだ。 私は、20代の中盤頃から約10年位は、好んでモルトウィスキーを愛飲していた。 勿論、今でも仕事で飲む時は、生ビールで乾杯してから、後は焼酎を飲むと云うパターンに変りはないが、プライベートにおけるお酒の嗜好には変遷がある。 モルトウィスキー愛飲時代から、カクテルに本格的にハマり、その後、ダークラムを専門で飲むようになって、現在は日本酒の純米酒ばかり飲んでいる。 それぞれのお酒に魅力と奥の深さがあることは分かったうえでの変遷であったが、最近、モルトウィスキーを再び飲み始めて、モルトウィスキーには余りに多くの飲み忘れた銘柄があることに気付いて、もう一度、真剣に飲み直してみたい気持ちになった。 加えて、愛飲する対象酒が変遷したお蔭で、自分の舌にも変化が生じているようで、かつて定番にしていた蒸留所のオフィシャル物を、今、テイスティングしてみると、当時ではそこまで嗅ぎ分けることが出来なかった、実に様々な味わいを見出すことが出来た。 その事が、私にはとても新鮮な驚きであった。 これから暫くは、食中酒には純米酒、食後酒にはモルトウィスキーをと云った具合に飲み分けることになると思う。 ところで、モルトウィスキー自体のお話は、またいつかゆっくりとさせて戴くとして、ヴェネチアを訪れたのと同じ1974年に、私はスペイサイドと並ぶモルトウィスキーのメッカであるアイレイ島を訪れる機会を得た。 ただ、その頃の私には、モルトウィスキーを飲む習慣がなかったために、あまり熱心な訪問者ではなかったことが、返すがえすも残念でならないが・・・ 私が通っていた英国の語学学校では、タームとタームの間に、生徒のために格安の「オプショナル・エクスカージョン」を企画してくれていて、私が参加したのは4泊5日の「スコットランド・北アイルランドの旅」だった。 確かに、学校が補助しているのではないかと思うくらい、街で売られているツアーとは比較にならない格安さなのだが、それでもスミソニアン体制下で固定相場の時代だったから、日本人学生にとってはそれなりに高額なもので、そのエクスカージョン(遠足)に参加した日本人は私ひとりだった。 そしてその日がやって来たのだが、私が参加を決意したのは、エジンバラとグラスゴー&北アイルランドに行ってみたいと思ったのであって、キンタイア半島に挟まれたクライド湾に浮かぶ島々を訪問したかった訳では決してなかった。 エジンバラに1泊後、Kennacraig港から、バスごとフェリーでアイレイ島に渡った。 アイラ物と呼ばれて、濃厚なモルトウィスキーを好む御仁にとっては垂涎のアイレイ島だが、道路は牛と羊が優先の、本当に長閑なその島は、私を直ぐに退屈な気分にさせた。 半日観光コースは2つに分かれていて、1つはモルトウィスキーの蒸留所の見学と、もう1つは、アイレイ海峡を挟んですぐ隣にある「ジュラ島」の観光コースだった。 ジュラ紀の語源にもなったジュラ山脈を越えてスイスに入る計画を持っていた私は、ジュラ島と云う名前に惹かれたが、添乗員に尋ねと、その島には鹿が沢山いるだけらしかった。 ジュラ島では、雄ジカの骨質の角を煎じつめて 漢方の鹿角を生産しているか、鹿の角そのものを輸出しているかと云うことには関わりなく、奈良や宮島で鹿にあまり良い印象を持っていなかった私は、消去法的に蒸留所の見学の方を選んだ。 蒸留しなくなってから久しいポートエレンにラフロイグ、そしてラガヴーリンと、今にして思えば錚々たる蒸留所を見学していたのだが、フロアモルティングをしていたところもあってか、とにかく蒸留所全体が臭いうえに、お目当てのテイスティングでも、当時の私は吐き出しそうになってしまった。 何が悲しくて、こんなクレゾールや正露丸の味がするウィスキーを飲まなければならないのか? 見学が終わってからも、口の中に焼けたゴムのような香りが残っている。 これはたまらんわいと思って、口直しに、同じクラスで仲が良かったドイツ人を誘って、ホテルの近くのパブに繰り出したが、そこにはアイラモルトウィスキーのオフィシャル物ヴィンテージがズラっと並んでいて、そこのバーテンダーから、1杯だけは原価にしておいてやるから、自分の誕生年のものを飲んでみないかと薦められた。 ドイツ人の彼は、喜々として注文していたが、私は口の中のビート臭さを消し去るために、そのパブに来ていたから、私は自分の目的を達成するためにジントニックをオーダーした。 英国人バーテンダーは、口ではイッツオーケーと云ったが、肩を竦めてみせ、ドイツ人クラスメートはドイツ語で何か呟いた。 「何と云う勿体ないことを」或いは「お前には神の祟りがあるだろう」か、そんな感じの呟きだった。 呟いた彼の名前はマイケルで、温厚なドイツ人であったが、私は同じクラスの中では、あと陽気なイタリア人であるルイジと仲が良かったため、周囲からは3国同盟と呼ばれていたが、2杯目も同じものを注文するマイケルを見て、私はジョークではあるが、思わずマイケルよ!君は連合国側に寝返ったか?と云いそうになった。 しかし、それから3年ほどして、日本でモルトウィスキーにハマった時に、彼の方が正しかったことが痛いほど良く分かった。 今、私の誕生年のヴィンテージを飲もうと思えば、1ショットで10万円は覚悟しなければならない。 それを1杯のジントニックと交換してしまったのだ。 最近、またシングルモルトを飲み始めた私は、お酒の神様の祟りがないことを祈る毎日である(笑) ↑緊急企画「仮面夜会」