我輩はドラ猫である

2020/12/29(火)20:45

貧乏の定義とは

母ちゃんの日常(63)

娘と夕飯を食べながら色々話をするのは楽しい。しかし、はっきりした娘なので遠慮なく指摘をされる。 「ママ、頭頂部ヤバいよ」 え?気付いていなかったが言われてみると地肌が前より目立つ。髪の毛の量が多いので白髪は気にしても薄毛は気にしたことがなかった。最近、自分で頻繁に頭頂部を中心に染めていたから、傷んだのだろうか。それとて、白髪を気にしてのことだから歳だなあ。一気に老化を感じた。 それから子供時代に貧乏だった話をした。 中学生時代は制服にハイソックスだったが私の靴下はヨレヨレですぐに足首に落ちてしまい、ハイソックスにならなかった。 「みんなのはちゃんとしたハイソックスだよ。恥ずかしいから買って」 と言ったら母に 「そういうのはべらぼうに高いんだ!」 と一蹴された。たまたま担任の先生と話す機会があったので 「靴下を買ってもらえない」と愚痴ったら「二足はあるんでしょ?毎日自分で洗えばいいんじゃない?」 と言われてしまった。洗ってもヨレヨレは直らないのだが解決しないので諦めてヨレヨレのまま通った。家は貧乏だから仕方ないと思ったのだ。 娘はそれを聞いて首を傾げた。 「じいじは会社の役員だったんでしょ?それ、貧乏と違うね」 あれ、そうか。 ばあば好きな娘はばあばの言い分をすごく信じている。 「じいじが家にお金を入れないからそうなっただけで、貧乏とは違うね」 「でも多少は家に入れてたし、ばあばも働いてたよ」 「じゃ、ばあばも子供にお金かける気なかったんでしょ」 確かに。母はよく私に宝石や革製の鞄を見せびらかしていた。私は学生鞄すら買ってもらえなかったのだが。 「まあ、今で言ったら教育虐待だね」 あらあら。確かに習い事もさせてもらえず、多くの子が通っていたそろばん、習字、ヤマハとも無縁だった。食事でさえ、朝は自分でインスタントラーメンを作り、夜は母の機嫌が悪いと「抜き」にされていっけ。私や兄はお金のかからない子供だっただろうな。それでも兄はスイミング、塾と通っていたけど、2番目の私は行かせてもらえなかった。 「それでもお兄ちゃん高卒でママが短大卒なのはなんで?」 「ママも高卒で夜間の専門学校に通うつもりだったの。昼間働いて。その計画を話したらじいじが資格取るなら短大行けって間際に気が変わったんだよ」 「ふうん。つまりお兄ちゃんは投資する価値がないとじいじは思ったんだね」 いやいや、じいじは自分が高卒でもそれなりの収入を得られるようになったので学歴不要論者だっただけで… 「あたしの友達の親は高卒、中卒で働いてる人、結構多いよ。ママの時代で短大行かせてもらえたのはありがたいことだと思わなきゃね」 あらそう。そうなのかな。 娘の彼氏のご両親が中卒、高卒なのだそうだ。私より若い世代だ。決して裕福な家庭ではなく、なんと4世代同居だ。 でも彼氏のご両親はお酒が好きで仲がよくて、二人とも料理が上手なので子供たちにご飯はちゃんと作っていた。こどもに大学へ行かせるお金はなかったが、彼氏の場合長男ということでおばあちゃんが学費を出してくれたので彼氏は大学へ行けた。妹は高卒だそうだ。 「普通は男の子にお金をかけるのに、じいじとばあばは違ったんだね」 それは、実家の家系がそうなのだ。私の祖父は小学校を出てすぐでっち奉公に出されたが下の妹は女学校まで行っている。明治の女性としては最高学歴なのである。理由はよくわからないが、嫁入りに箔がつくからだろうか。それとも投資のし甲斐があった?俳句を作ったり英文を読んだりするのが好きなばあちゃんだったと記憶している。 母に至ってもそうだ。戦後で日本全体が貧しかったから仕方ないが、母と母の兄は中卒。一番下の妹だけが当時にしては珍しく 東京の短大へ進学させてもらっていた。勉強好きな人だったから、投資のし甲斐があったのだろうが親族は疑問に思ったようだ。長男を高校にも行かせないのに末娘を戦後の貧しい時代に、田舎から東京の短大に行かせたのだから。勉強が好きなのもあっただろうが末娘は特別に可愛かったのではないだろうか。私の叔母だが、子供がいたらさぞかし教育熱心な母親になっただろう。残念ながら子供ができたのは中卒だった伯父と母の方で、頭のいい遺伝子は叔母にあったため、双方こどもたちは私を含めて残念な学業成績であった。  そんなこんなで子供を生む前から私は教育熱心な母親になるつもりだった。嫁ぎ先は生活は質素でも子どもにはできるだけの教育をする方針の家庭だった。元夫もその弟も勉強させられるのを嫌がっていたらしいが、それなりに基礎学力は付いていた。 「ママは偉いね。働いて、自分は贅沢せずに子供に教育費かけて、感謝してるよ」 だって、それが嫁ぎ先の方針だったから。実家のようにはしたくなかったのだ。 「あたしも将来子供が生まれたら同じように教育投資する。引き継ぐよ」 おやおや、まだ結婚もしていないのに。 孫のことまで私はなんとも言えない。どんな時代が来るかわからない。今だってコロナで仕事を失う人たちがたくさんいる。花形だった観光業や航空業界は苦しかろう。先が読めない。 それでも基礎学力はやはり大事な気がする。健康と体力もなければやはり働き続けるのは難しい。コミュニケーション力がないとどんなに優秀でも伸びていけない。 娘が育児をする頃に手伝える状況にあればいいが私も年だ。 娘には褒めてもらえたし、まだまだ元気でいたい。 来年は還暦だ。定年退職まで秒読み。悠々自適な生活など、セレブの方たちのお話。私は給料半額になるが65才まで再雇用してもらう予定だ。その後元気なら短時間のパートを70才まで続けて、それ以降はさすがに引退したいものだ。それも全て健康で体力があったらの話なので、健康増進のために余暇を使うことになる。働くための健康増進って優雅じゃないが、優雅に育てられていないので一生貧乏暇なしだ。かように子供時代は老人時代を象徴するものなのである。 長くなったが貧乏の定義が間違っていたようだ。 貧乏とケチは違う。 例えお金が少なくてもそのなかで可能な限りこどもの教育に投資するか。あるいは自分の楽しみや老後に備えるか。 どちらも価値観の違いだ。 逆にお金をかなり稼ぐ家でも親が自分の楽しみ、飲み代、見栄のためにばかり使ったらこどもにお金は回らない。 少ない稼ぎでも精一杯こどものために、自分は我慢してでも、お金をかけるのはこどもに伝わる。私はどんくさいので貧乏だから仕方ないと諦めていたけど親次第なのだ。お金が愛情を示している場合もある。だってそれは労働の対価を注ぐわけだから。 娘はそれをわかってくれて、感謝してくれるのだと思う。それは親として嬉しく達成感もある。 そして、いろいろケチをつけられながらも短大を出してもらったことを感謝せよという娘の言葉、考えてみよう。父にとっては小さな額だったとは思うんだけどね。豪遊しまくっていましたから。 それでも短大行けたお陰で今の仕事がある。夜間の専門学校でも今の仕事に就けた自信はあるし、実際そういう人も少なくない世界だ。だけど、短大時代はとても楽しく、何とか安定した仕事に就けたのだから娘の言う通り感謝すべきなのだろう。

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