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我輩はドラ猫である

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桃太郎715

桃太郎715

October 15, 2021
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カテゴリ:母ちゃんの日常
「あんたの友達は次の日に着ていく洋服を選んでから寝るっていうのに!」と母に叱られた小学生時代。

私は母が出してくる服をノロノロと着るだけだった。選ぶも何も選択肢がない。兄や近所の子のお下がりを着るか、洋裁をしていた母が余った布で縫った服を着る。楽しみでもなんでもない。

中学、高校では制服があって助かった。日曜日に出かける時でさえ、制服を着るほど服を持っていなかった。

短大生になっても自分で服を買う機会はなかった。二つ資格を取るために朝から夕方までびっちり講義が詰まっていた。

週に三回くらい、夕方に地元のコーヒーショップでアルバイトをしていたが、ほとんど食費となって消えた。洋服は相変わらず母の手作りか、スーパーのセール品を母が選んで買ってくる。着いていくと動作が遅いと怒られるだけなので言われた通りの服を着るだけだった。

就職して、やっと自分で洋服を買えるようになったのだが、恥ずかしながらどうやって選ぶものなのかわからなかった。安い給料でデパートの洋服は買えなかった。結局、パルコの地下でセール品を買うのだから、スーパーで買うのと変わらなかった。組み合わせ方も全くわからないし、生地の質もわからない。

時々、全身白、或いは全身赤、のような出で立ちになり、職場の人が息を飲む。そこで初めて配色がおかしいらしいと気付く。考えるのが嫌になり、Tシャツとジーパンの組み合わせが多くなった。それは出勤するのにはふさわしくないらしいとぼんやり気付くが、職場に行けばどうせ着替えるのだ。どんどん横着になった。それでも都心に行く時は仕方なくスカートにしていたが、これまた組み合わせがわからないのでいつも変な格好をしている人になってしまった。

バブル時代、ブランド全盛期。私と同じように安月給なはずの人がなぜ、ブランド服を着てブランドバッグを持てるのか不思議で仕方なかった。今思えばしょっちゅう飲み会に参加し、夏は海外、冬はスキーという生活をしていたのだからお金は洋服に回りようがなかったのだ。安い服を買ってはセンスのない着こなしをしていた。高いものを長く着るという発想が理解できなかった。安くても長く着て、ボタンが取れたり綻びたりしたら、直すだけなのである。と言うと聞こえがいいが、服を捨てようとすると母が直してしまうので結局捨てられない。

これはボロボロの服を着続けた子ども時代に問題があったのか。
自己肯定感が低いとお洒落をしなくなると言う。
いや、結局色彩感覚の問題なので、絵が上手な人はセンスが良いという。私はそれの逆バージョンらしい。幼い時から塗り絵なんか大嫌いだった。ちっとも面白くなかった。やっておけば良かった。

娘が生まれた。
「女の子はいいわね、いっぱいお洒落させられて」と男の子を持つ人たちに言われたが返事に困る。

子ども服は予想以上に高いのだ。お洒落な服は高い。しかも成長が早いので翌年は絶対着せられない。かといって母のように子ども服を縫うこともできない。

小柄だった娘を見て同級生の母友達は「うちの子着られなくなったから着て」とお下がりをたくさんくれた。

結局娘もお下がりを着ることになる。フリマで買うことも多かった。そして配色のセンスは申し訳ないが相変わらず変だったので親子でちぐはぐになっていた。

娘は塗り絵はしなかったが、絵を描くことが好きだったのが幸いした。私の選ぶ服は変だと気付いたのは小学校低学年の時だった。

娘は絶対に買い物に着いてきた。私がセンスのない服を選ぶのが心配だったらしい。センスの無さが遺伝しなくて本当に良かった。それでもファストファッションを扱う店でしか買えなかったが、配色や柄に娘が気を付けたので、見映えは悪くなかったようだ。

娘は友達にこう話していた。
「うちはボーナスの時しか洋服をかってもらえないんだけどね」
「でも本はいつでもいくらでも買っていいことになってるんだ!」

洋服に比べたら本は安いというのも理由の一つだが、実は作家の曽野綾子さんを真似していたのだ。ご子息に本はいくらでも買って良いと話しているのをエッセイで読んでいた。子ども時代、なけなしのお小遣いは全て本代に消えていて、足りなくて、図書室や友達の本を借りまくっていたからこの話は羨ましかった。

遠藤周作はもっと徹底していた。ご子息のお小遣いは月に100円。でも本だけはいくら買っても良いのだそうだ。

どちらのご子息も本しか娯楽がなかったのでよく読んだようだ。曽野綾子さんに至ってはテレビも家に置かなかったという。

実は私もほとんどテレビを見ずに育ったのでテレビがないと本を読むというのはよくわかる。

しかし、自分の子どもにテレビを観るなということはできなかった。流行りものを知らないというのは変わり者扱いされがちだと身を持って知っている。

テレビを見て、外で友達と鬼ごっこをして、限られた中ではあるが自分で洋服を選び、娘は元気いっぱいだった。いくらでも買っていいと言われるのだから本もよく読んでいた。この点は作家の方々に感謝である。語彙力のついた娘は外国語の習得も比較的楽なようだった。社会人になった今は自分で判断し、選択をしながら自立し、家も出た。洋服のセンスも悪くないようなので、とりあえず親の勤めは果たしたか。

さあ、私はもう、自分で何もかも選択して生きていけるはずだ。ところが、相変わらず洋服を買いに行くのは面倒だから通販で済ませてしまう。似合っていなくてももったいないから着る。

いや、いいのだ。本だけは好きなように選んでいる。本を持って隙間時間に読む幸せは何物にも変えがたい。あっという間に別世界に入れる。

体力増強のため、ジムに通っているがレッスンの待ち時間に文庫本を読んでいる人は珍しい。私位だ。これからキツいレッスンがあるのかと思ったり、ここのスタジオは人間関係が出来上がっていてとても入り込めないので不安、という時に文庫本は助けてくれる。子ども時代、本を読んで不安を忘れたように、私は本の世界に入っていく。レッスン直前、我に帰る。私は運動しに来ていたということを慌てて思い出す。やっていることがちぐはぐだ。


でも本はいくら買ってもいいと今後の人生を甘やかさせてもらおう。安い服しか買えないのは貧乏性だからもう直らない。

でも本の中で私は最高の旅行をしている。外国にも日本津々浦々にも出かけられる。タイムトリップまでできる。

ちょっと苦手な運動でも直前まで読書に逃避し、今後も元気に働き続けるための体力作りを頑張るのだ。

私の洋服の歴史は貧乏性ということで締め括られるが、読書は贅沢にこれからも生きていこう。





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Last updated  October 15, 2021 11:08:59 PM
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Re:洋服と本(10/15)   沙絵子 さん
私も子供時代は貧乏で服はいつもボロボロでした。
その仇をうつように、自分で服が買えるように
なってからは好きに買っています。

母親がデザイナーになりたかったらしく、洋裁の本や
ファッション誌が家にあったのでそれをうっとり
眺めていました。
でも、本が好きに読めるというのも本当に贅沢な
事です。頭と心が豊かになりますよね。 (October 16, 2021 09:13:21 PM)

Re[1]:洋服と本(10/15)   桃太郎715 さん
沙絵子さんへ
子ども時代からファッション雑誌を見ていたからこそ今のセンスにつながっていらっしゃるのでしょう。私にセンスがないのはやはり色彩感覚がおかしいからですね。
そういう自分もジムではちょっとカッコいいウェアを着たくなっています。テンション上がりますからね! (October 17, 2021 03:23:50 PM)


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